こんにちは。
ブログをご訪問くださってありがとうございます。
天野茂美です。
先日から、私が人生の引き潮の時期をどうやって過ごしたかについて書いておりますが、
その中でも最も大きな変化を起こしてくれた事柄の一つと言えることについて、今日は書こうと思います。
私は60歳手前で、いわゆるアラ還ですが、一番コンプレックスになっていたのが、未婚であること。
これまで全く隠してはいなかったし、このブログでも以前に何度か書いたこともあると思いますが、いつもうーっすらと私の中に影を落としていたことでした。
(ずいぶん前の記事は削除したものも多いので、もう残ってはいないかもしれませんが)
と言っても、この数年はこのことについてあまり考えることもなくなって、私の中では大きな問題ではなくなったと認識していたのですが、
何がきっかけだったのかは忘れてしまったのですが、未婚ということ、一人暮らしであるということが、どうしようもない「恥」のように感じられて仕方なくなってしまった時がありました。
そして、人を深く愛することができずにこの年まで来てしまった自分の人生が、なにか取り返しのつかない大きな失敗のように感じられて、情けなくてどうしようもなくなってしまったんです。
表面的な苦しみであれば、見方や視点を変えるなど、いくらでも対処のしかたはあるのですけれど、
このような根源的な感情の爆発が起こった場合には、完全に乗り越えるためにも、一度その感情を真正面から受け止めてしっかりと感じ尽くすのが、結果的に一番効果的で一番近道。
なのでこの時も、その痛いまでの苦しみの感覚をしっかり見つめ、その根っこがどこにあるのか静かに探っていきました。
そして辿り着いたのは、ずっとずっと昔から体の奥にあった「寂しいよ~!」という叫びだったのでした。
寂しいという感覚は、あまりにも長い間私とともにあって、あまりにも馴染みがありすぎて、いつの間にかあるのが当たり前になっていたのかもしれず、これほどまでの寂しさが残っていたことに気づけませんでした。
いや、後から思えば、気づかないふりをしていただけのかもしれませんね。
もともと何が原因で、その寂しさを抱き続けてしまったのかも、はっきりは分かりません。
親から思ったような愛し方をされなかったことも一因だろうとは思いますが、
でも、これは私が肌感覚で感じたことなのですが、どうやらそれだけではなく、それ以上の深い痛みのようなものがあるようにも感じられ、
その叫びを出し尽くしてしまうまで、ただひたすら見つめ続けていました。
私の人生にいつも影のように付きまとっていた「寂しさ」と「恥」の感覚。
もういらない!もうたくさんだ!
今、ここで、おしまいにしよう!
そう決意して、どこか俯瞰した目を持ちながら、その真綿で縛られるような苦しさを、ただ受け止め続けました。
誰かに愛してほしくて、寂しくて、どうしようもなく途方に暮れている自分
幼稚すぎるほどに人を愛することを怖がって来た、バカで情けない自分
失敗だらけの人生をいまだに後悔している自分
ずっと受け容れきれずにいたそんな自分を、今ここでしっかりと受けとめるしかないんだ!
そんな自分とともに生きていくしかないんだ!
生きていこう!
やっと、本気で、そう決めることができたのです。
私は自分の人生を楽しむために、この性格で、この個性を持って生まれてきた。
自分をあきらめそうになった時、私はこのことをいつも思い出すようにしています。
神さまが与えてくれたこの個性や、必ず与えられているであろう才能を活かして人に喜んでもらい、周囲の人たちと喜びや感謝を循環させて生きていく。
そんな理想の人生を送るのは、理想の自分になってからじゃなくていい。
いい年して幼稚で社会性は全然ないし、弱いところもたくさんある、そんな不完全で未熟な今の私のままで、望む人生を生き始めることを許してあげよう。
ちょっと肩の力が抜けてそう思えたことが、心底ありがたく感じられました。
最後までお読みくださってありがとうございました。