めちゃ美しいカッコ良い♪MOHOMBI|モホンビ | 魂職支援の自然美容専門家|神智美和

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偶然見付けたこの方、モホンビ(模本美!と変換されたのは偶然ではあるまい)

男性の方ですが、この気品と、このソフトで優しい艶っぽいセクシーな声と、ほとばしるエネルギーは何~~??

かっこいい~っていうのでは表しきれない。

エネルギーがとてもきれいで目が釘付けです(笑)

女性の方も素晴らしい!

好きな女を射貫くあの目、あれが演技で出来るなんて素晴らしい。

獣的な要素もはらみながら誠意溢れるあの目は、どの男もあの瞬間は同じ目をする。

本当に人を好きになった瞬間。

まだお互いを好きになり始めた頃の目。

この時期は、目で会話する。

あのレベルの演技ってちょっとすごい!

女性の方も、好きな男に挑戦的に差し向けるあの目、あれが演技で出来るなんて素晴らしい。

艶っぽくて、チーターみたいにしなやかな強さがあって。

けど、やっぱりモホンビのすごさが勝る気がします。

この方、お父さんがコンゴの王族でなんですね!
この気品はそのせいでしょうか?

レディー・ガガの仕掛け人レッドワンが満を持して世に送り出す大型新人、日本上陸!

というフレーズがついています。

プロフィールをコピペしますが

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MOHOMBI / モホンビ

本名:モホンビ・ンザシ・ムポンド(Mohombi Nzasi Moupondo)。1986年、コンゴ生まれ。母親はスウェーデン人、父親はコンゴの王族。彼に転機が訪れたのは13才のころ。生まれ育ったコンゴが内戦で崩壊寸前となった時、コンゴの王族兼政治家でもあった父親の判断でヨーロッパに送られた。ストックホルムに落ち着いた彼は、そこで一気に西欧POPSの虜になった。高校は音楽専門学校に通い、ストックホルムの国立音楽大学を卒業した。大学卒業後の2004年、DJとして一足先に音楽活動を行っていた兄(Djo)と共にユニット(Avalon)を組み、ダンスホールやヒップホップにアフリカのビートを融合させた独特な音楽スタイルでアフリカとヨーロッパを拠点に活動し、2007年にリリースしたアルバム『Afro-Viking』はヨーロッパで50万枚のセールスを記録した。ソング・ライターとしても活躍していたMOHOMBI、BIGBANGにも多数トラックを提供しており、「ナンバー・ワン」「カム・ビー・マイ・レイディ」「ガラガラGO!!」「Stay」「Top Of The World」「Follow Me」「Emotion」を共作している。BIGBANGの成功も自信に繋がり、LAに拠点を移した2009年、レッドワン(母親はスウェーデン人、父親はモロッコ人)と運命的な出会いを果たし、意気投合、レッドワンが設立したばかりのレーベル=2101レコードの第一号アーティストとして契約を交わした。最近ではファー・イースト・ムーヴメントのデビュー・アルバム『フリー・ワイヤード』収録「シー・オウンズ・ザ・ナイト」のゲスト・ヴォーカリストとして共演している。
MoveMeant(=意義ある動き):自分の音楽は自分の生い立ち、移住、亡命などの動きと共に形を変えていったもの、という意味が込められたタイトル。
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とのこと。

モホンビに限らず、黒人系でゴリラ系(笑)の顔立ちの人に、すごく懐かしさを覚えるのは過去生が関わっているようです。

だけど全然思い出せない、思い出さなくて良いんだろうけど、オバマ大統領がもう少しふっくらしていた時も懐かしかったし、パウエル元国務長官に、えーっと誰だっけ・・・あの手の顔立ちに何かキィがあり、何かを思い出しそうになる。

日本人が無理矢理マッチョに鍛えているのは好みじゃないけど、人種的に自然な肉付きのマッチョはやはりきれい。

日本人は日本人らしい体型というものがある。
鋼の体みたいな、細いけどしっかりしているような。
もちろん人に寄るけれど・・・

これを無理に鍛える事は、自己否定を強化していることになる。

ちょっとした意志の使い方であり、同じマッチョになった人でも意志の遣い方により結果が全く違ってくる。

レイキで例えれば
初心者の時には、単なるヒーリングツールだけど、

深く入っていくとこういったことを自然と学ぶ。

この深さは個人の気付きの度合いによるが、
虎穴に入らずんば虎児を得ずで、

やってみなければ分からない。


さて、可能性はどこにあるのか?

といえば、今ここに生きている事、そのものが可能性。

なぜなら物理的な世界に、肉体を使ってアプローチ出来る。
明日マチュピチュに行く事だって出来るし、
好きな人に会いに行って出来事を共有することが出来る。

そういう事が出来るのは、生きている間だけだ。


生きているだけで儲けモン

と言う言葉


生きているだけで儲けモンだ

生きているだけで

まだ、この世界で何かを味わう事が出来るということなんだもの

その存在全てが可能性


だから、最期まで楽しみ尽くそう〜💕



↓↓↓即買いしてしまいました(笑)


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 モホンビ | 形式: CD



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NTERVIEW with モホンビ:
http://beatculture.music.jp.msn.com/archive/interview/110720_mohombi/default.htm

モホンビ
――まずはアルバム『MoveMeant』のリリースおめでとうございます。発売から約3ヵ月が経過しましたが、周囲やファンからの反響はいかがですか?
モホンビ: 凄い反応だよ!ボクの想像を超えた反響だよ。あの夏っぽいポジティヴなヴァイブはいかにもボクらしいシングル「バンピー・ライド」に始まってノリだったし、アルバムがリリースされた今、もっとボク自身について知ってもらえるようになった。ボクの音楽、ボクの改革(ムーヴメント)を分かってもらえるようになったんだ。ムーヴメント(音楽改革)を作り出そうとしてるんだよ。世界中に一人でも多くのダンスフロア・ソルジャー(自分の音楽に合わせてクラブで踊るファン)を増やしたいと思ってるんだ。ムーヴメントもダンスフロア・ソルジャーも拡大しているから、凄く嬉しいよ。
――あなたのバイオグラフィに関するお話から聞かせてください。コンゴで生まれ、王族のお父さんのもとで育ったあなたのバックグラウンドは非常に特異なものに映ります。幼少期~子供のころはどんな環境で育ったのでしょうか?
モホンビ: ボクにとってはただの家族だったし、どんな家族もそれぞれユニークでしょ?ボクの場合は15人兄弟という大家族に育って、ボクは末っ子だった。だから大きな愛情を受けて育ったよ。母親はスウェーデン人で父親はコンゴ人、その状況だけでも愛の象徴だったんだ。というのは、当時コンゴで国際結婚は異例だったから。コンゴとスウェーデンの両方で育ったからアフロ・バイキングとでも言うんだろうか(笑)?そんな感じで、大家族に育って、みんな音楽が大好きで、年上の兄と姉に可愛がられて育ったんだ。
――やっぱり城みたいな建物に住んでたの?
モホンビ: まあ。。恵まれた環境に生活してたけど、ボクの父親は人民のための人だったんだ。だから超豪邸とかデカい城みたいな建物は好まなかったんだ。人民の中に生活していたし、凄く良い判断だったと思う。シンプルな生活を好んでしていた両親を尊敬しているよ。そのおかげでボクもシンプルな人間になれたし、どの階層の人とも繋がるにはシンプルであることが大事なんだ。音楽についてもそうありたいな。ボクの音楽の世界の中の王子とでも呼んでよ(笑)!
――その後、13歳のときにはコンゴの内戦に伴ってストックホルムに亡命することになるわけですが、その当時の状況を教えていただけますか? また、そのときの体験はあなたの人生観にどのような影響を及ぼしていますか?
モホンビ: ボクはラッキーだったんだよ。皆が脱出できたわけじゃなかったんだ。国を出られなくて、生き残るのに必死に生活していた友人は何人もいたよ。戦争になれば戦うしかないしね。学校も閉校になって、両親が僕らに学業を続けさせたかったということでスウェーデンの祖父母の元に送られたんだ。スウェーデンにも大家族がいるからね(笑)!スウェーデンでは新しい人生が待ってたよ。10歳か11歳の時だったかな?新しい学校、友達、地平線だって違う。スウェーデンはポップ音楽大国で、ボクにとっては新たな音楽の世界への入口になったよ。どこに行っても近所にスタジオがあって、音を作ったりレコーディングしたりできる環境が整ってたんだ。ボクは子供のころラップをカジってたんだ。
それと、その時初めて自分が混血であることに感謝できたんだ。それぞれの文化を同様に理解できて、それはボクにとっての正義であってボーナスでもあるんだよ。
それと、音楽はボクにとってセラピーみたいな存在でもあったんだ。戦争で目撃したことからのトラウマとかを乗り越えるためのね。音楽に本当に救われたんだ。
――ストックホルムへ亡命後に本格的にポップ・ミュージックを聴くようになったそうですが、当時はどんな音楽/アーティストをよく聴いていましたか? また、特に影響を受けたアーティスト/作品を教えてください。
モホンビ: 子供のころはエルヴィスを愛する母親やボブ・マーリー好きな姉、ランDMCやトゥパック好きな兄もいたし、ボクは一家のチビだったから、そうしたあらゆる音楽を聴いて育ったんだ。スウェーデンに渡ってからも色んな音楽を聴いたけど、ハマったのはヒップホップやR&Bだったな。僕ら世代の流行でもあったし。ラップをするようになったんだけど、兄とアヴァロンというユニットを組んだ時、彼もラッパーだったからシンガーに転向したんだよ。どんどん歌うようになってラップは減っていったんだ。


モホンビ
――具体的にハマったアーティストか歌は?
モホンビ: 当時はいい音楽がいっぱい出て来た時だったよ。90年代後半、ヒップホップが急成長して、R&Bが世界的な拡がりを見せていたころだよ。エミネムとかが出てきてさ。うーん、誰か特定なアーティストっていうのはすぐには思い浮かばないなー。ジャンルにハマるとぜ~んぶ聴くからね(笑)!でも明らかにボクの音楽観を変えたし、作り手としてのインスピレーションになったよ。
――お兄さんと組んだユニット=Avalonの結成の経緯を教えてください。Avalonでの活動はあなたのキャリアのなかでどのような意味をもっていますか?
モホンビ: ボクの出身地だよ。音楽のルーツ。なんていうか…学校だったね。もちろん今と同様、ツアーして、ファンと会って、ハッピーになって、パフォーマンスして、ポジティヴなヴァイブを作って職としては同じ何だけど、今思うとアヴァロンではビジネス面を学ぶことが出来た。結構若かったし、あのレベルに到達するにも相当な努力が必要だったんだ。今の自分はまたレベルが違うけど、始まりには変わらない。
――音楽専門学校を経て国立音楽大学へ進学したそうですが、学校では具体的にどんなことを学んでいたのでしょうか? また、こうしたなかでプロのミュージシャンを目指すようになったそもそものきっかけを教えてください。
モホンビ: 毎日、とにかく四六時中音楽に触れていたかったということと、単純に学校が好きだったんだ(笑)。あまりアーティストにも、若い子一般的にもいないんだけど、学校が好きだったんだよ(笑)。音楽はやりたかったけど、学校でしか得られない知識も身につけたかったんだ。だから、両方出来る音楽学校ってのは最高だったんだ。それから大学に進学して経済学の修士号を得て、働いてもいたんだ。音楽もやって勉強もして、家賃を払うためにちょっと仕事もしてたから、何年かは一日4時間くらいしか寝られなかったな。それだけ情熱があって、実現させたかったんだ。だからプロを目指すきっかけというのは特に無くて、これを職にする運命にあったんだと思う。チビの頃から自分が人々に影響を与えるような大物アーティストになることを信じていたんだ。
――大学は音大じゃなくて普通の大学だったの?
モホンビ: そう。高校は音楽専門学校で、大学は普通の大学。大学は親を納得させるためでもあったんだ(笑)。ほら、親はさ、「一応普通の仕事もやってみたらいいじゃない」って言うでしょ?だからやってみたんだよ(笑)。学士号を取った時にエリクソンに就職したんだよ。ストックホルムで。当時若干22歳にしては凄く良い仕事に就いたんだ。それを一年間やった頃、友人たちがLAに行ったり本格的に音楽を始めるようになってね。だからある日、ボスのオフィスに行って相談したんだよ。「こういうのはどうでしょう、ボス。一旦会社を辞めます。そしてLAに行って夢に向けて挑戦してきます。それで失敗して10年後に戻ってきたとしても会社でまだ最年少でしょう?」ってね。そしたら彼は大笑いしてさ、「君をサポートするよ。どれだけ仕事熱心か分かってる。スタジオ作業で一睡もせずに朝出社してるのも見てた。頑張って来いよ」って言ってくれたんだ。だからすぐに荷物をまとめてLAに引っ越したんだ。
――じゃあ今は随分喜んでくれてるだろうね?
モホンビ: そうだね(笑)!まだFACEOOKで連絡を取り合ってるし(笑)、凄く喜んでくれてるよ。
――エリクソンのCMにでも出たら?
モホンビ: だよね(笑)!

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――あなたはAvalonでの活動のほか、スウェーデンのラッパーLazeeとコラボもしていますが、スウェーデンの音楽シーンの特徴や現状を詳しく教えてもらえますか?
モホンビ: スウェーデンは他国と比べて小さいけど、何十年もポップ大国として知られてるよね。アバに始まって、ロビンまで。モホンビも(笑)!レイジーもね。理由は分からないけどプロデューサーという意味で輸出面でもね。レッド・ワンとかさ。ビジネス面でもビッグ・ネームで溢れてるよ。スウェーデンは歴史的に見て、常に音楽ビジネスに世界的な影響力があったんだ。でも国内の音楽シーンとしては他のヨーロッパの国々と同様、小規模ビジネスで、ローカル・アーティストがスウェーデン語で歌ってね。国民は国を愛してるし、言語も愛してるからさ、必要なんだよ。まあ、輸出大国だよね。
――こうした活動のなか、あなたはBIGBANGに多数の楽曲提供を行っていますね。彼らに書いた曲で特に気に入っているものはどれになりますか?また、ソングライティングの際にはどんな点に気をつけていますか?
モホンビ: ボクはとにかく曲作りが大好きなんだよ。毎日音楽を作り続けないと頭がいっぱいで眠れなくなっちゃうんだ。メロディーに起こされてさ、鍵盤に向かう羽目になっちゃうんだ。BIGBANGとの仕事は素晴らしかったよ。日本はもちろん、アジアとの最初の接点でもあったしね。アジアのバンド、しかもスーパー・ポップ・バンドだし、大きなチャレンジだったよ。よく覚えてるよ。(「ガラガラ・GO!!」を口ずさむ)「ガラガラ・GO!!」が一番気に入ってるよ。「テル・ミー・グッバイ」も美しいバラードだし。BIGBANGは大好きだよ。ボク自身彼らの大ファンなんだ。これからも一緒に仕事をしていくと思うよ。一緒にやると魔法が生まれるからさ。
――2009年に活動の拠点をLAに移して以降のお話、RedOneとの出会いから彼が主宰する2101レコーズと契約を結ぶまでの流れを詳しく教えていただけますか?
モホンビ: 前にも言ったとおり、ボクは大きな夢を持っていたけど、仕事熱心でもあったんだ。よく人に「お前ラッキーだなー」って言われるんだけど、どうして仕事に打ち込めば打ち込むほど幸運に恵まれるんだろう?って思うんだ。夢を実現させるためには努力しないといけないよね。だから、スウェーデンで仕事を止めて、学士号の証書を親に持って行って「ほらね?じゃあね!」って見せた後に(笑)LAに渡って、何人かの友人と暮らし始めたんだ。彼らと「とにかく挑戦してみようよ」って音楽プロダクションを始めたんだ。兄とのアヴァロンでは10年間もツアーして、ありとあらゆる事をやったし、スウェーデンのフェスに出演したり、アフリカン・グラミーも受賞したし、ちょっとアーティストとしては休業しようと思ったんだ。BIGBANGもそうだし、ソング・ライターとして順調に進み始めたからね。
友人達と引っ越したアパートに、いつもプールサイドでパーティーしてる連中がいたんだ。ある日、うるさくてたまらないから下りて行ったらスウェーデン語で喋ってたんだ。「お前たち何者だよ?それと、何でスウェーデン語で喋ってんだよ?」って聞いたら「スウェーデンからやって来てて、レッドワンっていうプロデューサーの下で働いてる」って言ったんだ。「ここをベースにして彼のために曲作をりしてるんだよ」ってね。ボクも聞かれたから、同じようにアーティストで、曲も作っていることを伝えたんだ。そこから結構仲良くなって、暫くしてから彼らが尋ねてきて、「モホンビ、お前いいもの持ってるし、イケると思うんだ。レッドワンがLAに来てるから会ってみないか?今夜がお前の大きなチャンスだから、音持ってスタジオに来いよ」ってね。
だからCDを何枚か焼いてスタジオに行ったんだ。そしたら本当にレッドワンが居て、会うといきいなり「モホンビ!お前知ってるぞ!」って言うんだ。聞いたら、スウェーデンで知り合いから何度も「毎日しつこく電話してくるクラブ・プロモーター泣かせのモホンビっていう面白い若いヤツがいる」って話しを聞いていたそうで、名前を覚えていたそうなんだ。当時はまだ子供だったんだけどね。「こうしてLAで会うなんて人生クレイジーだね」なんて話をして。で、「何か聞かせてよ」っていうから一曲目をかけたら途中でヴォリュームを落とされてこう言われたんだ「オレがお前をスーパー・スターにしてやる」(笑)。それが人生の転機とも言える瞬間だったな。ていうのも、実は金銭的にも底を尽きてスウェーデンに帰国しようとしていた一週間前のことだったんだよ。ボスに「また雇ってください」って懇願するところだったんだ(笑)。


モホンビ
――RedOneの才能のどんなところに惹かれますか?
モホンビ: 彼が音楽的に認められていることはよく分かっているし、確かに天才的な才能は実証してきているけれども、人として知り合いになると、もっと好きになっちゃうんだ。人として。音楽的に優れている分と同じだけ一人の人間としても非常に魅力的だから。本当にそうで、それが一番リスペクトしているところかな。素晴らしい師匠でもあり、頼り甲斐のある兄貴みたいな存在だよ。音楽においてはゴッドファーザーみたいな感じかな。家族を思いやる人でまあるんだ。彼も大家族出身でね。一つ屋根の下に何人もの才能のある若い連中をまとめて、ボクらは強いチームだし、若い連中は安心して人生を楽しみながら音楽を通じて世界中に良いエネルギーを与えようと励んでるよ。
――記念すべきデビュー・アルバムの制作にあたってはどんな作品をつくりたいと考えていましたか?また、アルバムの内容や方向性についてRedOneとはどんなことを話していましたか?
モホンビ: ああ、ヴィジョンは最初から決まっていたよ。ボク自身、何年も前からヴィジョンを作ってあって、実はレッドワンがそのヴィジョンを解ってくれた初めてのプロデューサーだったんだ。それまでにレコード会社の人とは何人とも会ってきたけど、その度にヴィジョンを解ってもらえなくてガッカリさせてきた。ボクのヴィジョンは文化の融合で、アフリカやカリブのリズムとスウェーデンをはじめとするヨーロッパの超ポップなメロディーだったんだ。ボクの夢は万人のための音楽を作ることなんだ。ボクの音楽には人種差別が無いんだ。ボクの音楽は世界のためにあるんだ。ボクは世界の人民だから。これを理解してくれるプロデューサーは誰もいなくて、皆ボクのスタイルをもっとR&B寄りにしようとしたり、ポップやヒップホップにしようとしたけど、もう既に大物スターが存在するじゃないか。クリス・ブラウンとかNe-Yoとかね。ボクはもっと新鮮な音楽を音楽業界に届けたかったんだ。それが最初のヴィジョンで、そこからひたすら作り続けた。スタジオでジャムしながら、どんどん曲が出来たよ。だいぶバンピー・ライドだったね(笑)!
――彼もアフリカとスウェーデンの混血っていうのも理解し合えた理由の一つかな?
モホンビ: そうだね!彼も半分ヨーロッパとアフリカで、彼は彼のルーツであるモロッコ民謡や北アフリカの音楽もかなりリズミックだし、ボクらが音楽面で理解し合えた理由かもしれないね。
――アルバム『MoveMeant』のタイトルに託された意味を教えてください。
モホンビ: 2つの言葉、“move”(動き、行動)と “meant”(意味、意義)を組み合わせた造語だよ。ボクのこれまでの行動はすべて意義あることだったということ。
――『MoveMeant』の音楽的/歌詞的なコンセプトは?
モホンビ: 主なコンセプトは、アルバムを通して聞いてもらえれば解るけど、ボクがポジティヴな男であって、ポジティヴなエネルギーやメッセージを拡散させたいということだよ。人生の喜びを。ハッピーでポジティヴなアルバムだね。ボクの音楽にあわせて踊っていい気分になってもらいたいんだ。
――アルバムに参加しているゲスト・アーティストやプロデューサー、それらのなかで特に印象深かったコラボはどれになるでしょう?
モホンビ: その質問を毎回受けるたびに思うんだけど、「ワオ!確かにエイコン、ネリー、二コールとかがゲスト参加してくれていて、プロデューサーにもポロウ・ダ・ドンを迎えたりしてる」ってね。みんな勿論印象深かったけど、一番は二コールだね。何故なら彼女が美しすぎて仕事に集中するのがすごく大変だったんだよ!今までのどんなセッションよりも大変だったよ。何人かの女の子とも仕事はしてきたけど、とにかくトビっきりの美女なんだよ。
――ピットブルには会ってるの?
モホンビ: あー、もちろん!ピットブルとは何度か会ってるよ。地上で最もクールな男だよ。数週前一緒にカリブのツアーもしたよ。彼は「バンピー・ライド」に新たな一面を加えてくれたんだ。彼のおかげでボクの理想とする“世界中の人に喜んでもらえる音楽”にグッと近付いたんだ。


モホンビ
――エイコンとはどうやって繋がったの?
モホンビ: スタジオでレッドワンと「ダーティー・シチュエーション」を作ってたときに、レッドワンが「これ、何となくエイコンっぽくないか?」っていうから(笑)、「そうだね、エイコンっぽいよ」ってことで、ボクのためじゃなくて彼に提供してみないか?って言われたんだ。「もちろん、彼に気に入ってもらえるんだったら最高だよ!」って感じで送ってみたら二日後に電話がかかってきたんだ。「ヨウ!すっごく気に入ったぜ!最高だよ!」ってね。でもこれはやはりモホンビ自身が歌って彼はゲスト参加するべきトラックじゃないか、ということで話が進んだんだ。ボクにとっては、この偉大なアーティストがアルバムをサポートしてくれるなんてスゴすぎて、光栄なことなんだ。個人的にも“良質の音楽を作って正しい道を進んでるな”っていう自信にもなった。
――ネリーとは?
モホンビ: ネリー!「ミス・ミー」のビデオも一緒に撮ったしね!ネリーは凄くクールだし、出で立ちからして危険なヤツなんじゃないかって誤解されたりするよね。いやあ、ホントにね、確かに怖いかもしれないよ(笑)!でも凄く愛のある人で、ボクを応援してくれるんだ。先日もロンドンであるアワードのイベントがあって、一緒に賞を手渡す瞬間があったんだけど、事ある毎にボクに機会を譲ってくれるんだ。「お前がルーキーなんだからもっと前に出ろよ。オレはもう何年もやってるんだから、お前が喋るんだ、お前がリードするんだ」って背中を押してくれるんだよ。実は一番連絡を取り合ってるアーティストなんだ。
――ニコールについてももっと何かあれば。
モホンビ: もちろん!実は先週「ココナッツ・ツリー」のビデオを撮影したばかりなんだ。ヨーロッパの次のシングル曲ね。ニコールは凄く可愛らしい人なんだ。始めのうちは「ワオ!すっげーいい女じゃん!」って感じるんだけど、慣れてくると彼女の凄くオープンで優しい性格をリスペクトするようになるんだ。ボクが幸運なのは才能だけじゃなくて人として純粋な人たちと仕事を出来たことだね。
――今回のアルバムの楽曲のなかで、もっともパーソナルな内容の楽曲はどれになりますか? また、誰が他人が歌うことを想定して書く曲と自分が歌うために書く曲とでは作り方にちがいがあるのでしょうか?
モホンビ: うーん、難しい質問だけど「ラヴ・イン・アメリカ」かな。ボクの人生を語っているような感じもするしね。歌の中では女の子になってるけど、追いかけてるのは夢なんだ。でもアルバムの曲は全部好きだけどさ。自分の曲と他人に提供する曲を作る際は、もちろん大きな違いがあるよ。自分で歌う曲は非常にパーソナルな内容になるし、ステージに立ったときに責任をもたないといけないしさ。責任をもつという意味では他人に書く場合もあるけど、彼らの観点で書くことができる。まあ、何れの場合もいい曲が出来ればいい気分だしハッピーだよ。曲作りは大好きだよ。
――あなたの恋愛観や人生観がもっともストレートに打ち出されている曲は?
モホンビ: 「マッチ・メイド・イン・ヘヴン」だね。バラードで、特定な人のために書いたから、ボクにとって本当にパーソナルな歌なんだ。実際の経験を元にしてるし、沢山の人がこの曲に共感してくれるんじゃないかな。抱きしめたくなった時にね(笑)!
――あなたにとって最もチャレンジになった楽曲はどれですか?
モホンビ: 全ての曲がそれぞれチャレンジングではあったよ。曲作りは始めるのは簡単だけどまとめるのが大変なんだ。それと、曲作りはシンプルだけど、シンプルな曲を書くのは大変なんだ。全ての曲がそれぞれチャレンジングだったけど、ボクはチャレンジが大好きなんだ(笑)。

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――初めてのソロ・アルバムをつくりあげたことによってあなたが得た最大の収穫はなんですか?
モホンビ: 聴いた人に楽しんでもらえているということかな。ボクにとっては収穫だよ、酷評されることもできたんだから。アルバムを凄く気に入って満足して貰えてるんだ。ファンからは毎日メッセージを貰うし、アルバムを聴いて新たな発見をしてくれるのも楽しいよ。ボク自身も未だに新たな発見をしているしね。これから獲得したいことはどんどんライヴ・ショーを出来るようになること。ボクはショー・マンなんだ。ずっとステージに立ってきたし、何よりも好きなことなんだ。この商売の一番好きなところで、またボクの才能を生かすのにも最も適している場所なんだ。ダンサーを従えて振り付けがあってね。ファンには一緒に歌うだけじゃなくて一緒に踊っても貰いたいんだ。
――ほかのアーティストにはない「シンガー:Mohombi」の魅力はずばりどんなところにあると考えますか? 自己分析してください。
モホンビ: 特に言えるのは、ボクがショー・マンだということだね。生まれもったエンターテイン精神っていうのかな。ボクは音楽業界にエンターテイン性を呼び戻したいんだ。新しくて新鮮なものを提供したいんだ。音を聴いた瞬間に踊り始めちゃうような音楽。一緒に歌うだけじゃなくて踊っちゃうような音楽をね。オレが世界に踊り方を教えてやるよ。もう一度ね。
――今年の年末にはいよいよアメリカでのデビューが控えていますが、その意気込みを聞かせてもらえますか?
モホンビ: すごく楽しみだよ。アメリカではプロモーション・ツアーもライヴも続けてきたし、ファンに凄くサポートしてもらえているから。ついにまた皆を招集して、より多くの人にアルバムを知ってもらえるしね。
――現在のアメリカのポップ・ミュージック・シーンはあなたから見てどのように映っていますか?
モホンビ: 今のUSシーンはヨーロッパのシーンと全く変わらないと思うよ。だから音楽は好きなんだよ、ボクらは架け橋を作ってるんだ。ポップがハウスの影響を受けているし、むしろハウスそのものがポップと呼ばれているような状況だし(笑)!次に何が来るのか、思うだけでもエキサイティングだよね。よりアップテンポでいいヴァイブの音楽に変わってきていると思う。
――現在のUSシーンで活躍しているアーティストのなかで特にシンパシーをおぼえる存在がいたら教えてください(その理由も含めて)。
モホンビ: 色々いるけど、具体的に選ぶとしたら…ドレイクかな。何年も自国のカナダで活躍して、アメリカで機会をモノにして、且つルーツであるカナダを忘れない、というところに共通点を感じるんだ。今でもいつも「オレはトロント出身だぜ」ってアピールしてるところとか、最高だな。音楽は架け橋となって、ボクらは共に世界をもっと小さくしてと思うんだ。
――あなたのアーティストとしてのマスタープランを教えてください。将来的にどんなアーティストになりたいと考えていますか?
モホンビ: アーティストとしてのマスタープランは、音楽をツールにしてより大きなモノを得ること。ボクの言動にみんな耳を傾けてくれるし、心で受け止めてくれるんだ。ネガティヴな発言をしちゃうとそういう感情になっちゃうんだ。アーティストとしての夢は、より多くの人たちと繋がって、素晴らしいゲスト・アーティスト、プロデューサーやレーベルのサポートでボクが始めたこの“ムーヴメント”(ポジティヴなエネルギーを放ち続ける)をどんどん広めていくこと。長い長い旅の始まりだと思うんだ。ボクがやり遂げるのか、他の人が引き継いでいくのかもしれない。常にポジティヴで、愛に溢れたヴァイブ。質問の答えになったか分からないけど(笑)、そんなところかな(笑)!