上の息子が、後ろに回って、ふぅぅと息を吹きかけてきたり、イタズラしているので
「なによォ~」というと「人間」と答える。
「何してんの~?」というと「人間生活」と答える。
あぁ小学生ギャグ・・・
その息子が「犬と会話できる人がテレビに出てる!一緒に見て~」と私を呼びました。
見た方も沢山いらっしゃると思うけど、ハイジさんという方。
「すぐ行くけど、犬に話しかけて会話で返してもらう感じだったら、その人ニセモノだよ~、犬って言葉で会話しないから」
と。
なぜそんなにはっきりいえる、私(笑)?
と突っ込みたいところですが(笑)
昔飼っていた犬と、一定期間だけテレパシーで会話していたことがあるのです。
会話というよりもイメージがあるエリアを、シェアするみたいな感覚なのですが・・・。
と書くと、自分の能力をひけらかしたいみたいに見る人がいるのですが、この世界は映し鏡ですから、そう感じたのなら「自分が認められたがっている」んだなと気付いて下さいね。
自分が認められていないという思いが強い時、自分が持たない何かを持つ人をうらやむようになります。
その心はあなた自身の中にあるものの投影なのです。
その満たされない感は、小さな子供の頃に形成されたものなのか、ある程度大きくなってからなのかを探します。
理解出来たら解放していきます。
ご自身で難しい場合はカウンセリングをご利用下さいね♪
さて、この期間限定の犬とのテレパシー会話は、私にとってはとても神聖な位置にある思い出なのでした。
だから、別に信じて貰えなくても構わないんですが、私にとっては真実。
なぜなら誰にとっても体験だけが真実だからです。
過去の孤独と絶望の中で生きていた子供時代に、唯一兄弟と呼べる存在だった柴犬。
私が小学校高学年に飼い始め、25歳まで(犬の年齢は14歳)生きていました。
最初にテレパシーで会話が出来たのは、ものすごく私は仕事で疲れていたとき。
彼はお散歩前でお散歩に行きたかった(笑)。
行きたいから、ワンワン吠えまくって行こう行こう!と呼びに来ます。
でも仕事でぐったり疲れていた私は(そう考えると今は疲れたということがあまりなくなっているのですね)
うるさいなーー!面倒くさいな!!と思っていて
うるさいよーという気力も無いくらい疲れていたので(本当に今ではありえない)、頼むから玄関でイイコでお座りして着替えるまで待っててくれーー!!
と髪をかきむしりたいくらいの気持ちで思いました。
そうしたら突然静かになり、私は静寂の中で着替えて散歩の準備をする事が出来たのです。
そのまま思考停止で着替えて、階段をボーっと下りていったら(ホントに今ではこんな体調になる事がありえない!)
頭に浮かべたとおりの映像で、玄関で、犬が座って静かに待っていました。
その時は疲れていたので(笑)疑問にも思わず、ほどなく散歩に行って走りまくって(原チャリと競争できる速さで走る!)帰ってきました。
これがテレパシーだったということには、彼が亡くなる数日前に気付く事になります。
犬が14歳を過ぎた頃、口臭がきついということで母が病院に連れて行くと、老衰で腎機能がほぼ100%停止していました。
このままだと尿毒症になり、とても苦しむため、利尿作用を促す点滴を毎日することになりました。
延命ではなく、最期まで少しでも楽に生きられるようにとの処置です。
毒素が溜まると相当厳しい症状に陥るようでした。
生きられるのは、長くても7日と言われ、まだまだ一緒にいる時間があると思っていた私は声も出ないまま、彼(犬)の目をじぃっとにらみつけているのが精一杯で、やがて嗚咽が漏れました。
彼も体がだるいのでしょう、それまで全く目も開けずに点滴を受けていた彼が、ぱっと目を開き、瞬きもせず私の目を見つめ返してきました。
その時に、言葉にならないけれど「気持ち」そのものが送られてきたように感じました。
なぜか分からなかったけど、じぃっと見られたら気持ちが落ち着き、なんかしょうがないことなんだな!と思えるようになったのです。
それから一ヶ月間「あの目が言っていた意味は何だったんだろう?」と模索することになります。
本当に、あんなに乱されていた気持ちが、ほんの数秒で落ち着いてしまったんですから。
深いところでは完璧に知っている、でも言葉に出来ない。それがもどかしくて。
結局、一月以上を過ぎて、何とか人間語に翻訳したのですが、それはこんな意味でした。
「生き物は、生きて死ぬもの、死は泣くことじゃないんだ・・・」
生き物としてきちんと生きて死ぬだけなのだから、、だからもう、いいんだ」
意訳するとそんな言葉に置き換える事が出来ました。
それで、あの時なぜ、目で見つめ返されて自分が落ち着いたのかが分かったのです。
命ある限り、出逢って、必ずいつか別れが来る、それは自然なことで誰にでも平等に当たり前に来るものなのだから、きちんと生きて死ぬのだから、それはそれでいいんだよ。
と。
まさにその通り、彼は最期まで排泄は自分の力で歩き、庭でしました。
腎臓が機能していないので毒素が体に溜まるのか、日に日に体が固まり、手も足も伸ばしたままの状態でひょこひょこ歩きます。
胴体に竹馬の棒をくっつけて、それで歩くような感じです。
だからすぐに転ぶし、排泄していても力が足りなくておしりがついてしまったりするのだけど、おむつは嫌がり、最期まで自分でしようとしました。
私たちは、出来る範囲で出来る事をするのが当たり前、という彼の生き方を見守りながら涙しました。
以前の姿からは考えられないほどの不自由な動きで、あんなにヨレヨレなってまでまだ自分でやろうとするその姿に、泣けてきました。
彼だけでなくきっと動物ってみんなそうなんだろう。
素直に凄いなぁと思いました。
そして、尤もクリアなテレパシーは、亡くなる数日前に多用したと思います。
例えば、体温調節もうまくいかないのか、暑かったり寒かったりするみたいで、庭に出たがることが頻繁になりました。
けれどももう自分では歩いていけなくなっていたので、抱っこして連れて行きます。
亡くなる多分3日前に抱き上げたときには、竹を組み合わせて作った張りぼてを抱っこしているかのように軽くて固く、それがもう生き物の手触りと重みではなかったので、本当に死んでしまうんだ!!
と泣けてきました。
どう頑張っても回復しない体になりつつあることが。。。
とはいいながら、テレビなんか見てると、彼の事は瞬間的に忘れているんですが(笑)
ふと「あ、もう冷えてくる時間かな」と15時頃にピンと来ました。
その瞬間、わたしの体で感じる気温の降下の感じと、同じ気温が彼の体には相当な負担であることが同時に伝わってきます。
同時に、彼が今休んでいる庭の場所が浮かんできました。
家に入りたいんだ。と分かりました。
はじかれるように庭に出てみると、まさに彼が渾身の力を振り絞って立とうとしている瞬間でした。
いいよいいよ立たなくて!!
と、そのまま抱きかかえて家に入りました。
本当に、何度抱き上げても、もう生き物というよりは、中身が空っぽの、張りぼてそっくりな抱き心地の毛皮といった感じでした。
そんな感じで、亡くなる数日前は、彼が意図的に送ってきているような感じでしたけど。
今思えば、そのおかげで彼が体を移動したいときサポートすることがとてもやりやすかったのが分かります。
もう一匹飼っていたダックスとは、こういうやりとりはありませんでした。
私の意識が閉じていたのかも知れません。
ちなみに柴犬が亡くなる確か1年前に私は結婚して、家を出ていました。
彼は毎晩、夜中の1時まで玄関で私を待ち続けたそうです。
一ヶ月ほどすると、もうこの家には帰らないことを理解し、私の母と一緒に寝るようになったそうです。
そんな風に、別々の暮らしをしていたので、彼がこの世を去ったとき、私はそばにいませんでした。
弟が看取りました(弟は父も看取ったなぁ・・・そういう星回りなんだろうか)
彼が旅立つその日、仕事中、突然顔が真っ青になり、眠くてたまらなくなり、そのとき研修をしてくださっていた講師の方には「全く不届き物がいる!」みたいに言われたんですが(笑)
抗えない眠さで、トイレに行くと真っ青な顔をした見たことのない自分の顔が鏡に映っていました。
タバコ吸ってる人みたいな唇の色。ゾンビみたい。
それで、もう彼が去るつもりなんだな、と分かって、もう何が何だか分からなくなりました。
もうろうとしながら家に帰り、途中で母に電話すると
「もう、天国にいったよ」
といわれました。全く理解できなくて4~5回「え?」と聞き返し、母は一番簡単な言葉で「もう死んだよ、弟が看取った」と繰り返してくれたのですが、それでも全く理解することが出来なくて
それでもぼろぼろと涙だけは出てくる。
本当は分かっているんだけど、理解出来ない。
そんな状態で実家に向かいました。
家に着くと、清潔な布団とシーツの上に寝かされていました。
明らかにそれはもう生き物ではありませんでした。
私は多分ありったけ叫んで泣いたのだと思う。
けれども、翌日になって、少しだけ開いていた眼球がくしゃっとなっていたのを見て、あぁもうこの体に戻ってくることはないんだと、悟り、あきらめました。
荼毘に付して数日後。
なんだか右耳(確か)がすごいノイズがして聞こえなくなりました。
麺棒を入れるとさらにすごい音がするので、これはなんだ~??
耳鼻科にいかなければ、、、と、思いながら10日ほど(確か)も行けなくて
ようやく耳鼻科に行くと、何のことはない、異物が耳に入っていました。
その異物とは、、彼の毛でした。
白っぽくてまっすぐな、いつも家に散らばっていた毛。
一緒に布団で寝ていても、14年間一度も耳に入ったことはなかったのに。
私には「ありがとう、楽しかったよ」
と聞こえたのでした。
と、言葉にするとこれだけの話なんですが。
このやり取りの中で分かったことは、犬が持つ意識というのは人間と違って自然界のルールから外れないレベルで活動していることでした。
つまり地球とリンクしているということです。
自然界のルールみたいな流れみたいなものがあり、そのリズムの中で犬たちの意識は活動しているのです。
「パワーかフォースか」のホーキンス博士の意識マップで、200のレベルが色がピンクになっていますが、これは人間か獣かの境目だからと言う事です。
つまり意識レベルが200に満たない人は獣レベルの意識。
といわれています。
けれども実際にテレパスというのは、意識をそのままシェアするような感じなので、送るとか送られるとか、言葉もない、言葉を超えた世界なわけです。
全てが瞬時に分かる、それがテレパシーという方法。
意識をシェアする。
シェアできるレベルで交流する、そんな感じ。
そして理解したことは、人間が獣と化すと相当にたちが悪いのですが、犬などの動物たちの獣意識というものは、自然界、大自然のルールと一体化して
いて、ただそれに乗って生きているだけ、だからそのルールの範囲内で、生きるために必要であれば、目の前の獲物を殺すし、人でも襲い掛かるかも知れないけ
れど、人が獣と化した場合のそれは、エゴに支配され、他を殺すという、全く次元が違うものだという事です。
人が獣意識に落ちる状態は、本物の動物のように全体意識(地球意識のようなもの)と常に響きあっているのではなく、自我というものの支配下に完全になった場合を言うように思うのです。
そんなわけで、200以下の意識レベルを獣レベルと呼ぶのは、ちょっと違和感が・・・(笑)
そんなわけで、意識というものはある程度の位置まで深く入り込むと一つであるということなんだなと漠然と感じました。
だから自分を信じる。
なぜなら、他人を信じると、自分という肉体として分離したレベルのものを信仰(思考停止)していることになり、その層を出ることはないからです。
さまざまな新興宗教が、教祖を信じておかしくなっていくのも、偶像崇拝が駄目な理由も、ここにあります。
同じ階層のものにしがみついても、真実の世界を見ることも、その世界を出ることもないからです。
違う階層、本来の真実のレベルの階層に到達することが必要で、それには内なる自分を深く深くもぐっていく。
その途中に動物達とシェアできる意識層があったり、人間と出来たり、色々あるように思います。
でも今は意図的には出来てないかな(笑)
たぶん彼の能力だったんだと思いますが(いえ、本当は誰でも出来ることなのだと知っています、なので私だけ特別能力があるのよ、みたいな人は真実を隠蔽しているという点では東電と同じです、次元が違うけど(笑)。
人ならみな同じ能力を有しています。思い出していないだけで。)
この世界のレイヤーを理解するのにとても役立っています。
もし心通じ合いそうな犬がいたら、全ての葛藤を手放してハートをオープンにしていると、結構いろんなことがシェアできますよ♪
ちなみに狼も100km以上離れた群れ同士はテレパシーで交流していることを研究している方もいらっしゃり、気付く人は気付くんだなあと思った次第です。
そのうち証明されると面白いですね♪