コロナで世の中がオンラインなんてろ、リモートほにゃららになってもう4か月くらいか。
ガル子が通う大学の授業も、本当に試行錯誤で、ライブ配信の授業中に見せたい動画を再生したら、おじさん二人の対談画面が映し出され、さ、どんな話かな~と見ていると、音声一切、届かず。
しかし、先生には音声が聞こえるようで、学生たちに音声が届いていないと気づくのに時間がかかるのだ。生徒も自分だけなのか、みんな聞こえていないのか、の確認作業がまずあり、その後、誰かがツイッターで「先生、音声きてない」を送り、先生の目に入って、やっと
ほんまかっ!!
な段階を踏むのだ。なので、しばらくの間、学生たちずーっと見させられる
おっさんふたりの口パク対談
なんてこともあった。
だんだん、慣れてくると、先生も、「こういう事例があるから前もって気をつけねば」が出てくるようになったのだ。
ライブ配信の授業中、先生が画面に直接文字を打ち込む作業をしたことがあった。
すると、先生
「嫌なんだよねぇ、ライブでこうやって打ち込んでいくの・・・」
と言い出したのだ。
どういうことなのか・・・
「ほら、文字を打つとさ、変換予測が下に出てくるじゃない。そしたら、普段どんな言葉を打ち込んでるのがちょっと見えてまうわけやんか」
と。
え…普段そんな見られたら恥ずかしいワード打ち込んでんのか
とざわざわ。
ライブ配信の時なんてのは、携帯で友人同士ラインで感想とかつっこみとか送り合ってる学生たち。バストアップくらいでしか自分は映ってないから、お腹の前あたりで打ち込む携帯ってのは映らないから、みんなやっちまってるのだ。
え?
「ば」って入れたらバストとか?
「きゃ」って打ったらキャバクラとか?
先生の転ばぬ先のステッキ、もう粉々
堂々でエエと思うで、先生って思う。
ハプニングやミスで「おい~恥ずかしいやんけぇ~」が実は受講してて楽しいひと時。先生の脱線とか、余談って待ってました!な時間。
スマートにやってのけるそつのない感じより、そういうストーリーある感じの方が実は授業内容が頭によく残ったりするもんで。
ワタシが大学生の時の一般教養、そう28年前の話。
先生がちょっと脱線して心理学の話になり、
『細い道で前から車が来た、自分は自転車乗っててね、でアカン、ぶつかる気をつけなーって思えば思うほどハンドルぶるぶるぶる~って震えて、アカン!車にあたるやん、と思ったらもっとぶるぶるぶる~って震えて、おい、なにしとんねーーん。これ精神相互作用って言うねん」
ってこの余談、今でも覚えているからね。
ちなみに、さっき、「感想とか送り合ってる」って打ちたかった時のワタシのパソコン
完走を送り合ってる
ちゃう!!!
乾燥を送り合ってる
どないして!?
と変換しやがって、全然「感想」を送ってくれなかった。
マラソンを完走したこともなければ、蒸しますねぇ~いうてお中元に乾燥を送り合ったこともねぇ。
ね?先生、大丈夫、己の日常をさらけ出すばかりではない。オモシロ変換でひとネタできますさかい、どうぞ、そのまま、ありのままで授業してください。
後期も続々とオンライン授業で決定している教科が増えとります。
いつまでこのスタイルが続くんだか・・・
「変換」といえば!コチラも読んでみて~
ワタシのパソコン並みのガル男の日本語変換機能をご覧あれ。
ランキングに参加中!押してって~
このブログに初めてお越しの方はぜひ読んで
ココを押したらこのブログフォローできちゃう
***
今日もお読みいただきありがとうございました
Boi