今月から“リラクセーション”という新たな分野で、
とある店舗でお客様を相手にデビューをさせて頂いています。
まだお相手した人数も少なく、
その上いいお客様ばかりに当たっているので有り難いのですが、
そのうち誰もが経験する“厳しいお客様”に当たる時が必ず来ると思います。
その時にどう対応出来るか。
その時点での自分の技量と気持ちでアジャストしなければなりません。
今のうち、覚悟をしています。
今日、越谷イオンレイクタウンのシネコンで
“ストロベリーナイト”を観てきました。
公開間もないというのに、平日とはいえかなり空いていました。
主人公姫川の心の闇について。
それが見えるのか、見えないのか。
たとえ見えたとしても、それを理解出来るのか、出来ないのか。
そんなやり取りをするシーンがありました。
きっと同じような痛みを抱えたもの同士であれば、
その人の闇も見えやすいし、理解もしやすいのかもしれません。
誰もがそこを感じられるわけではないですし、
その人自身も誰にでも理解してもらいたいわけではない。
部下の菊田が一度は姫川の腕を掴んだものの、
そっとその手を緩めて手放したシーンが印象的でした。
ただナンセンスなのは、
同じような傷を持ったもの同士がその傷を舐め合って過ごす事。
主人公姫川が一度は同じ“匂い”のする相手と車中で溺れるものの、
そのリグレットと痕跡をシャワーで洗い流し、
“絶対乗り越えてみせる”と再び事件現場のアパートの階段を駆け上るように。
その車中で傷を舐め合った相手がナイフで刺され危篤状態となっても、
最後を見届けることなくその場を立ち去ったように。
痛みを抱きつつも、後ろを振り返る事無く、
前に進まなければならない。
そんな事を感じさせられる内容でした。