どこの地域だったか全く覚えていないが、
東日本大震災の被災地のがれきの処理で、
運んでくるトラックの通行を阻止しようとして
反対住民が道に座り込んだり、トラックの下に入り込んだり、
前に仁王立ちしたりといった映像が最近ニュースで流れていた。
あの映像を見た人達はどう感じただろうか。
反対住民に同情する人が多かったのだろうか。
少なくとも被災者の方達にとっては
何とも複雑な思いだったはず。
私はあの映像を見て、ああやっぱりな、という感じだった。
結局そうか、と。
私は一応東北出身ではありますが、
もう東京に出てきてからの方が長いですし、
そうじゃなくても東北寄りの考えを持つつもりもありません。
ただ、あの映像は見苦しいの一言だった。
結局のところ、他でやってくれ、という事です。
ウチの近くでそんな事をしてくれるな、と。
現に、彼らは被災地での処理を反対しているわけではないですからね。
当時のあの津波の映像、その後の戦後直後のような被災地の映像を見て、
多くの人がショックを受けたと思います。
当たり前です。
あんな映像を見たら、人間であるならば誰でもショックです。
その後、“つながり”やら“絆”やらといった言葉が、
震災とリンクさせて、マスコミを筆頭に徒に数多く使われてきました。
時間が経つにつれて、当時の事が忘れられそうになれば、
当時の事を風化させてはならないと、多くの人が口にする。
だから何?、と思ってしまう。
それで?、って。
あまり私も詳しい事は分かりませんが、
被災地でのがれきの処理能力が他に比べたら当然足りない。
だから他の地域に助けてほしいと言っているわけです。
ですが大して情報を処理しようとしない人達が、それはやめてくれと。
募金や物資の寄付はするけど自分達に火の粉はかけないでくれと言うわけです。
そんな連中は復興がどうだとか、“つながり”やら“絆”やらといった言葉を
軽々しく使ってくれるなと思います。
石原都知事は、そういう人達に対して、“黙れ!”という言葉を使いました。
トップとしての言葉としてはどうかという点は置いておいて、
もっと言葉を発しなければならない人がいると思います。
説明不足という部分もあるように思いますし。
会議か何かで決定させるだけ決定して、
後は現場で処理してくれ、では説得力が足りません。
まあ、人の本音、仮面の裏側なんてそんなものなのかもしれませんが、
もう少し考えてほしいものです。