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「River Deep - Mountain High (リヴァー・ディープ・マウンテン・ハイ)」は、一年ほど前の5月に亡くなったティナ・ターナーの代表曲のひとつです。そこで取りあげても良かったのですが、この曲はどちらかと言えばフィル・スペクターの傑作として語られることが多く、どうしてもスペクターの名前のほうが先に立ってしまうので、その時は取り上げませんでした。
この曲の魅力を簡単に言うならば、ティナ・ターナーの野性のボイスと、フィル・スペクターの "ウォール・オブ・サウンド" がせめぎ合い、そして見事に溶け合った点でしょうか。スペクター作品としては最も有名な「Be My Baby」 に代表される、夢見るティーンのためのポップスではなく、壮大なロック・シンフォニーという言葉がふさわしく思える曲です。プロデューサー、スペクターの集大成と言ってもよい曲です。
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60年代半ば、夫であるアイク・ターナーと組んでのアイク & ティナ・ターナーというロック・デュオでの活動によって、ライブ・ショーでは人気を得ていたティナ・ターナーでしたが、弱小レーベル所属であったがゆえヒット曲には恵まれない状態でした。ライヴで聴いて彼女の声に魅了されたというフィル・スペクターに誘われて、スペクターのレーベル、フィレスと契約することとなります。ロネッツやライチャス・ブラザースでの大ヒットによって業界の大物となっていたプロデューサーと組むことはチャンスだったんですね。
『TINA ティナ』という、1993年に公開されたティナ・ターナーの自伝映画の中で、彼女がフィル・スペクターに誘われ、そしてスペクター・プロデュースのもと「River Deep - Mountain High」を録音するシーンが再現されています。当時の "ウォール・オブ・サウンド" の録音風景の再現としても興味深いシーンです。
この時、フィル・スペクターはギャラだけは夫であるアイクにも払い、彼をレコーディングから遠ざけています。フィル・スペクターにしてみたら、頭に描く理想の音楽を作るためにティナ・ターナーの声だけが欲しかったんですね。
フィル・スペクターによる "ウォール・オブ・サウンド" と言われる録音手法は、狭い部屋に大勢の演奏者を集め、いっせいに音を出して録音。現在のようなマルチトラックなどない時代です。多数の演奏者による広がりを持った音の塊を、エコー・ルームに通すことによって残響音や反射音を与えて深みを出す。大雑把にいうとそんな感じでしょうか。
「River Deep - Mountain High」は、その壮大なサウンドにティナ・ターナーの野性的な声が乗り、パワフルで感情を揺さぶる曲となったわけです。
「River Deep - Mountain High」の作者には、あの「Be My Baby」の作者・バリー & グリニッチを起用。スペクターが渾身の力で放った一曲は、アメリカでは最高位88位と振るわずセールス的には惨敗に終わります。イギリスでは3位のヒットとなっているわけで、このあたりがちょっと不思議なところです。そしてこの地点が、フィル・スペクターの人生にとっての分かれ目となったようです。
会心作は惨敗に終わり、プライドは傷つき引きこもりの状態となり、そして音楽業界に背を向けることとなってしまいます。70年代になり、過去の実績を評価していたジョン・レノンやジョージ・ハリスンがプロデューサーに起用しますが、その頃には奇行も目立つようになり、かつての天才は紙一重の境界を歩いていくことになります。
2003年、女優・ラナ・クラークソンを射殺した容疑で逮捕され、裁判の後 殺人罪で収監。2021年1月、刑務所から移送された病院で亡くなっています。
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