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リブログした過去記事 「青春に捧げるメロディ」 のアクセス数が、昨日 本日と突出して多いので調べてみたところ、イアン・ミッチェル逝去のニュース記事を見つけることが出来ました。9月1日、喉頭癌によって亡くなったそうです。62歳でした。
イアン・ミッチェル。 あのベイ・シティ・ローラーズのメンバーとして活躍した方です。在籍期間が短ったとは言え、人気があったんですね。中学生の頃、同じクラスの女子の間ではメンバー中1番2番で人気を競っていました。
グループ加入時まだ17歳。最年少でした。ファンにとっては年齢が近いゆえの親近感もあったのかも。でも人気の高かった1番の要因は、なんと言っても際立った美少年であったことでしょう。10代の少女たちに夢を与えるには、美しさは大切な条件なのです。
イアン・ミッチェルは途中から加入したメンバーで、加入時にバンドはすでに世界中で人気が沸騰していました。ローカルの無名バンドからメンバーとなり、いきなりの世界ツアー。プレッシャーは大きかったはずです。メンバー中、ひとりだけスコットランド出身ではなかったことも、短期間での脱退となった要因としてあったようです。
在籍時にメンバーとしてリリースされたアルバムは1976年発表の 『青春に捧げるメロディ 』1枚のみ。個人的にこのアルバムは好きでした。アルバムの原題は 『DEDICATION』ですが、当時の夢見る10代の需要に応えた作品として 、『青春に捧げるメロディ』 は、少し気恥ずかしさを感じるも、なんとも素晴らしいタイトルであったと思います。王道を行く、堂々としたタイトルであったと思います。
日本でベイ・シティ・ローラーズと言えば、山本さゆりさんです。本日、担当されているラジオ番組 「山本さゆりのミュージックパーク」の中で、イアン・ミッチェルへの想いを話され、曲をオンエアされていました。ショックは大きかったようです。当時、まるでローラーズの広報担当のようにして、ラジオ番組で紹介をされていましたからね。この日は番組始まって以来の数の、イアンへの想いを込めてのリクエストメールがあったそうです。
ベイ・シティ・ローラーズ在籍時にメインボーカルとして残された曲は一曲だけ。僕も山本さゆりさんと同じように、この曲を選びたいと思います。
さゆりさん、所有する当時のアナログ盤をスタジオに持ち込みオン・エアされていました。時折聴こえるスクラッチノイズの中に、さゆりさんの青春の思い出も刻まれているような気がしました。当時の多くのファンの想いも、溝に刻まれているような気がしました。
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