ベイ・シティ・ローラーズ ビギニング | Get Up And Go !

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英バンド「ベイ・シティ・ローラーズ」のオリジナメンバーでベーシストのアラン・ロングミュアーさんが、7月2日(現地時間)に亡くなられたそうです。BBCによって報じられています。6月20日に70歳の誕生日を迎えたばかりであったとのこと。

詳細 → J-CASTニュース "アラン・ロングミュアー死去 ベイ・シティ・ローラーズのベーシスト"

ベイ・シティ・ローラーズというバンドは、一般的には70年代半ばに世界的に人気を博したアイドル・グループとして知られています。 ここ日本でもミドル・ティーンの少女を中心にして、当時 社会現象とも言えるほどの人気を得ることとなりました。 人気がピークであった1976年 ~ 77年頃は、凄まじいほどの人気であったと記憶しています。

割と知られていないのが、デビューが71年と古くいわゆる下積み時代が長いバンドであったということです。 グループ最年長のアラン・ロングミュアーが、弟デレクと共にアンバサダーズというバンドを結成したのが60年代中頃のこと。

そしてヴォーカルに、ノビー・クラークを加えてサクソンズとして活動。 68年にベイ・シティ・ローラーズと改名し、71年のレコード・デビューに至っています。 アランとデレクのロングミュアー兄弟が、ベイ・シティ・ローラーズを作り上げた最も古いオリジナル・メンバーだということです。




Keep On Dancing (1971)
邦題は「朝まで踊ろう」。 アヴァンティーズ、63年の録音がオリジナル。


デビュー曲の 「朝まで踊ろう」 こそ全英で9位を記録するヒットとなりますが、その後の数枚のシングルはほとんど鳴かず飛ばずといった状態。 音楽的にはロックというより、普通のポップ・ミュージックといった感じでしょうか。 印象としては地味です。

ただし良質なポップ・ソングであることは、間違いないと思いますね。 このあたりはイギリスですからね。 エンターテイメント性重視のアメリカよりも、演奏力を含む音楽的な実力そのものを問われる環境で鍛えられた、というのはあったのではないかと想像できます。




We Can Make Music (1972)
邦題は「二人のミュージック」。 オリジナルは、トミー・ローによる70年のヒット。 地味ながら、すぐれたポップ・ナンバーだと思うのですが。


これはアラン・ロングミュアーの当時の言葉ですが 「ハード・ロック全盛の中で、ぼくらの音楽は受け入れられなかった」 とあります。 3枚目のシングルとなった 「いとしのマナナ」 と言う曲は、ルクセンブルクのラジオ局のコンテストでグランプリまで獲得したにも関わらず、本国イギリスではまったくの失敗に終わったそうなので、当時のイギリスの状況というのが見えくるようです。

73年に入ると、マネージャーの借金が嵩むなどの金銭的問題によって、ベイ・シティ・ローラーズは解散の危機をむかえます。 そして 最後に勝負を賭けた 「想い出に口づけ」 という曲が、74年に入り大ヒット。 ヴォーカルがノビー・クラークから、華のあるレスリー・マッコーエンに代わったことも追い風となったようです。




Remember (1973)
邦題は「想い出に口づけ」。 74年、全英6位のヒット。 この曲からBCRの大ブレークは始まります。


ファッション的にも、あのタータンチェックをあしらったコスチュームも有名なものとなり、また音楽的にもグラム・ロック的な要素も加えて、このあたりは売るための戦略であったとは思うのですが、それまでの地味なイメージから一変した感じです。

以後は75年の 「バイ・バイ・ベイビー」 が、イギリスで記録的なヒットを記録。 この曲は日本でも大ヒットしています。 76年には 「サタディ・ナイト」 が全米で1位となり、いわゆる タータン旋風が世界に吹き荒れる こととなります。

続きは良かったら こちらから

アランさんヴォーカルによる、素敵なポップ・ナンバーでお別れです。



Here Comes That feeling again (1976)
メンバーのエリックとウッディのペンによるオリジナル。 ちょっとマッカートニー風のメロディですね。





。。。。rest in peace
。。。。Alan Longmuir