ベイ・シティ・ローラーズ  1976 | Get Up And Go !

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5月5日は子供の日。それでベイ・シティ・ローラーズ!?

記憶にある方はそれなりの年齢であるかと思いますが、70年代半ば頃、ベイ・シティ・ローラーズ (BCR) の人気って、ここ日本でも凄まじかったですよね。

イギリス・エジンバラ出身の彼等が、日本でも人気となり始めたのは、1975年のヒット曲「バイ・バイ・ベイビー」 からです。 この曲は本国イギリスでは記録的なヒットとなり、10代の少女たちを中心にして人気は過熱。

日本でもミドル・ティーンの少女たちを中心にして爆発的なブームとなっていったのですが、その人気を加速させたとも言えるのが、76年5月5日にNHKテレビで放映されたライヴ演奏です。ライヴといっても、いわゆる口パクなのですが、今回はあの現象面を中心にしての記事なので野暮な言及はなしでいきます。



BAY CITY ROLLERS / Keep On Dancing
"We Want ROLLERS !"。 We Want ~ ってよく使う言い方。 We Want BEATLES とか We Want OSMONDS とか。 それにしてもローラーマニアの熱気はすごい!


当時は海外アーチスの映像なんて、まれにしか見れなかったわけですが、その "まれ" が NHKの 「ヤング・ミュージック・ショー」 という番組でした。 2カ月に1度ぐらいの放送ながら、ラインナップは凄かったですね。

ローリング・ストーンズ、ピンク・フロイド、イエス、キッス、サンタナ、ロッド・スチュワート などなど・・・。そしてBCRなわけですが、あのラインナップの中にBCR! で、お子様バンドなどと本格ロック・ファンからバカにされていたBCRを、5月5日子供の日に放送したわけです。夕方の4時くらいから1時間程度の番組でした。 お堅いNHKの、どぎついシャレ。 というか深い意味はなかったのか!? わかりません (^_^;)




BAY CITY ROLLERS / Be My Baby
おなじみのロネッツのヒット曲のカバー。 ローラーズは、こういったアメリカの60's のナンバーを好んでカバーしています。 それにしてもローラーマニアの熱気はすごい!


全英を制覇し、社会現象にもなっていたBCRが、アメリカ進出を目論んで制作したのがこのライヴ番組。 75年9月20日に全米ネットの 「サタデイ・ナイト・ライヴ・ウィズ・ハワード・コーセル」 で、衛星中継にて放映。

9月30日には、ニューヨークのケネディ空港からアメリカ上陸。訪米に合わせてリリースされたシングル 「サタディ・ナイト」 はヒット・チャートを上昇し、年が明けた76年には1位となり全米を制覇。 アリスタ・レコードは、プロモーションに相当の金をつぎ込んだのでしょうが、売り方としてはビートルズの全米進出のシナリオに似ています。






日本では約半年遅れてのテレビ放映となったわけですが、かなりのインパクトがあったと思います。 「BCRって、あちらではすごい人気なんだな」 と。 翌日、学校では女子たちが当然 「レスリーってやっぱりかっこいい!」 「あたしはエリック」 と盛り上がり、男子たちは当然 「あんなの口パクじゃえねぇか」 と腐したわけです。

僕はアメリカン・ポップスを基調にしたBCRの音楽は好きでしたね。初期作品にはグラム・ロックのゴテゴテ感がうまくミックスされていて面白かったし。 あのコスチュームにしたって、好き嫌いは別にして個性的じゃないですか! でも、友達間の会話ではなかなか 「好きだ」 とは言えないんですね。そう言った 隠れファンは男子にはけっこういたはずです。

音楽評論家は、けなすと言うよりほとんど無視していましたね。 ただ、大貫憲章が意外にも好意的であったのをよく憶えています。 あの "クイーンの大貫" "パンクの大貫" が、「ロックに高級も低級もない」 と、らしい言葉を使ってBCRを応援していたんですね。 それ以来、あの人のことは信用しています。




BAY CITY ROLLERS / Saturday Night
きわめつけの大ヒット曲。 それにしてもローラーマニアの熱気はすごい!


あれからもう40年ですか・・・
あんなに熱かった現象も、長い時間の流れの中では一瞬のものなんですね。