BILLBOARD Week of April 4, 1964 | Get Up And Go !

Get Up And Go !

音楽を中心に、映画、文芸、スポーツ など・・・。

より高く! より深く! けれど優雅に・・・ 冗談も好きなんですけどね (*゚.゚)ゞ






1964年4月4日は、ビートルズがアメリカの音楽業界紙・ビルボードにおいて、ヒットチャートの1位から5位までを独占した記念すべき日です。 旧ブログ時代の4年ほど前に一度記事にしたこともありますが、先月8日にジョージ・マーティンさんが亡くなられたこともあり、追悼記事のような形に出来たらと思い、大幅に加筆編集して記事にした次第です。

62年、本国イギリスでデビューし全英制覇を果たしたビートルズは、63年末アメリカの大手レコード会社キャピトルとの契約にこぎつけ、12月にシングル 「I Want To Hold Your Hnad」 をリリース。 キャピトルの大きな後押しもありましたが、ラジオでの反響は大きくリクエストが殺到。 64年2月1日にトップの座に登りつめます。 この曲は7週連続で一位を記録。 以後、「She Loves You」(2週) 「Can't Buy Me Love」(5週) と立て続けに一位を獲得。 14週に渡って1位の座を独占することになります。




2月7日にはニューヨークJFK空港に降り立ちアメリカ初上陸。 直後の9日に人気テレビ番組 『エド・サリヴァン・ショー』 に出演し、72%という驚異の視聴率を記録しています。 デビュー・アルバム 『Meet The Beatles』 も爆発的なヒットとなり、いよいよ全米でビートルズ旋風が吹き荒れることになります。


ビートルズ トップ5を独占!
4月に入りついにその日がやってきます。これほどのチャート独占はそれ以前も以後もなかったわけで、ちょっと想像のつかない状況ですね。



5位. プリーズ・プリーズ・ミー / Please Please Me
はじめスローな曲であったのを、ジョージ・マーティンの提案によりテンポアップ。 それによって軽快なポップ・チューンに仕上がったのは確かでしょう。 有名なエピソードです。この曲でのジョージ・マーティンの貢献度の大きさは、ポール・マッカートニーも認めています。 単なるポップ・チューンにならなかったのは、声質そのものにロック性を内包するジョンの声質によるところも大きいでしょう。その声がコーラスとかけ合う瞬間は、今聞いても気持ちを高揚させるものがあります。
尚、この曲のシングルはキャピトルではなく、ヴィー・ジェイ (Vee-Jay) というマイナーレーベルからのリリースです。


4位. 抱きしめたい / I Want To Hold Your Hand
衝撃的なイントロだったはずです。 この破壊的とも言えるイントロがラジオから流れた瞬間、ビートルズは甘ったるいアメリカン・ポップスをすべて吹き飛ばしてしまったのです。 アメリカのポピュラー音楽史の中では革命的な出来事だったはずです。 当時、アメリカではこの曲を24時間かけ続けたラジオ局もあったそうですが、この曲にはその場の空気感を一瞬にして変えてしまう力があり、その空気感は全米に広がっていったわけです。




3位. シー・ラヴズ・ユー / She Loves You
ビートルズと言えば、この曲をあげる人も結構います。 トレードマークとも言える "Yeah Yeah Yeah" の印象が強いということもあるのかも。 ジョンとポールの共作ではありますが、「彼女は君を愛している」 という三人称を用いた歌詞は、ポールの好きなパターン。 この部分はポールのようです。
スワン(SWAN) というマイナーレーベルからリリースされています。


2位. ツイスト・アンド・シャウト / Twist And Shout
この曲のみ レノン=マッカートニー作による曲ではなく、アイズレー・ブラザーズが62年にヒットさせた曲のカバーとして知られています。 オリジナルは61年にリリースされたトップ・ノーツというグループによるものです。とは言え、デビュー前の下積み時代からライヴのレパートリーとして演奏されていたナンバーなので、自分たちの持ち曲として完全に血肉化しているんですね。 潰れる寸前のジョンのシャウトが異様な迫力を生み出していて、当時この曲のインパクトというのは相当なものがあったはずです。
この曲のシングルも、トリー(TOLLIE) というマイナーレーベルからリリースされています。





1位. キャント・バイ・ミー・ラヴ / Can't Buy Me Love
イントロなしで始まるのは、ビートルズの得意パターンのひとつ。 サビから始めたのはジョージ・マーティンのアイデアだそうですが、これは即座に聴き手を惹きつけますよね。 歌詞からして "愛は金では買えない" でいきなり始まるわけで、インパクトがあったと思います。曲の大部分がポールによって作られた曲のようですが、後のビートルズにつながるメッセージ性も感じさせます。

4月4日付けの HOT 100 では他に
I Saw Her Standing There (31位)
From Me To You (41位)
Do You Want To Know A Secret (46位)
All My Loving (58位)
You Can Do That (65位)
Roll Over Beethoven (68位)
Thank You Girl (79位)

もチャートインしていて、当時のアメリカでは "ラジオを点ければビートルズ" 状態であったことが想像できます。






一般には知らないひとも多いと思いますが、実はビートルズは1963年2月にヴィー・ジェイというシカゴのマイナーレーベルから 「プリーズ・プリーズ・ミー」 でひっそりとアメリカ・デビューしています。 大手キャピトルがビートルズとの契約を渋ったため、ブライアン・エプスタインは契約を結んだわけです。 スワンなどの他のマイナー・レーベルも同様です。

アルバムのほうも、キャピトル盤の 『Meet The Beatles』 より少し早く 『Introducing The Beatles』 をヴィー・ジェイがリリースしています。 ビートルズがTOP5 を独占したその週に、アルバム・チャートではこの2つのアルバムが1位2位を独占していました。 当時の契約についての事は詳しくはわからないのですが、結果としていくつものシングル盤やEP盤が複数のレーベルより発売され、多くの曲がチャート・インする要因になったようです。


.

63年 ジョージ・ハリスンは、姉がアメリカに嫁いだことから、単身渡米したことがあるそうですが、その時アメリカのレコード店でビートルズのレコードを探したけれど、誰も知らなかったというエピソードが残っています。 ヒットするか否かはラジオによる力が絶大であった時代、プロモート力のない弱小レーベルでは曲をオンエアーさせる術はなかったということなのでしょう。

ビートルズがイギリスでデビューするさい、当初デッカをはじめいくつものレコード会社がまともに相手にしなかったわけですが、ジョージ・マーティンはビートルズの可能性を見出し、彼の担当するパーロフォンからデビューとなったわけです。

そしてビートルズがアメリカ進出するさいには、ジョージ・マーティンはブライアン・エプスタインと共に、今度は売り込む側になってアメリカのレコード会社に乗り込んだわけですが、大手のキャピトルからは3回拒絶されたとのこと。 4回目にようやく 「一枚だけ売って様子を見よう」 でメジャー・デビュー。 どんな成功物語にも裏話はあるわけですが、ビートルズの歴史の中で、ジョージ・マーティンの果たした役割というのはあまりにも大きかったわけですね。


1964年、ビートルズはアメリカの HOT 100 に、一年で29曲チャート・インさせています。 この圧倒的な数字を見れば、1964年がどういった年であったかを語る必要はないでしょう。







↓ こちらの記事もオススメです グッド!
抱きしめたい!