The Best Of MUDDY WATERS | Get Up And Go !

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みなさん、ブルースと聞いて最初にどなたを思い浮かべるでしょうか。
B.B.キングでしょうか。ロバート・ジョンソンでしょうか。あるいは白人ブルース・プレイヤーのエリック・クラプトンやジョニー・ウィンターでしょうか。僕の場合は、マディ・ウォーターズです。そしてアルバム 『The Best Of MUDDY WATERS』 です。

このアルバムと真正面から向かい合って記事にするのは、実は気が重いのです。日本でもブルースという音楽に真剣に取り組んでいる人たちはたくさんいて、このアルバムは日本でも "ブルースの聖典" に位置するようなアルバムであるわけだし。「自分ごときが」 と言うのはありますが、「どこかに記しでおかねば」 というのもあるわけで。まぁ ここは開き直って 「自分なりの」 ということで記事にしたいと思います。


マディ・ウォーターズとシカゴ・ブルース
簡単に。マディ・ウォーターズ(本名:マッキンリー・モーガンフィールド)は1915年、ミシシッピー州ローリング・フォーク出身。1940年代、大都会シカゴには南部から労働を求めて多くの黒人たちが移り住みますが、マディもそのひとり。けれど移住前からブルースマンとして国会図書館用の録音を残していたマディにとっては、都会でミュージシャンとして身を立てようという密かな野心もあったようです。

当初はそれまでのシカゴでは主流であった、洗練されたシティ・スタイルで演奏していたマディが、ニックネーム(MUDDY WATERS = 泥水)のような泥臭い演奏スタイルで録音をしたのが1948年。これが南部から移住した同胞たちの郷愁を呼び起こしヒット。ミシシッピー州出身のアイデンティティとも言えるギター1本の古いスタイルのブルースに、電化したバンド・サウンドを付けたのがシカゴ・ブルースというスタイルであり、このギター2本、ピアノ、ベース、ドラムによるバンド・ブルースが主体となって、1950年代のシカゴ・ブルースの黄金期を築くこととなったわけです。さらにそのスタイルから生み出された音楽は、今日まで続くロックという音楽に大きな影響を与えることになります。


The Best Of MUDDY WATERS
1948年から1954年までの、チェス・レーベルに残された代表曲を集めたのがこのアルバムです。ミシシッピーの香りが漂うような濃厚なこの音楽を、言葉で伝えるのは難しいことではあります。

I Can't Be Satisfied
アルバム中では最も古い録音となる48年の録音です。ベースだけをバックに、得意のスライド・ギターを披露。まだバンド・ブルース完成以前の非常にドロ臭いデルタ・ルーツ全開の粘っこい演奏です。こういった土着的な雰囲気の曲に「わぁ~ これこそブルースやなぁ」と強く感じたりするのですが、みなさんはどうでしょうか?

このデルタの香りのするサウンドに、「どうにも満足できない。南部に帰りたい」 と言う歌詞も重なって、南部出身の黒人たちは心を打たれたということのようです。想像するに、日本で言うと演歌を聴いて故郷を想う感情に似ているのではないか、と思います。






Hoochie Coochie Man
48年から時を経て、こちらは54年の録音。ここにはマディとバンド・メンバーによって作られたシカゴ・スタイルのブルースの完成形があります。

MUDDY WATERS (Vocal,Guitar)
JIMMY ROGERS (Guitar)
LITTLE WALETR (Harmonica)
OTIS SPAN (Piano)
WILLIE DIXON (Bass)
ELGIN EVANS (Drums)


ギター2本、ピアノ、ハープ、ベース、ドラム の編成によるスタイルが、シカゴ・ブルースといわれる音楽の基本形であり、後の多くのロック・バンドの見本となったスタイルです。

「ロックの見本って言うけど、それにしちゃ音がしょぼいんじゃね」 なんてきっと思うでしょう。音を何度も重ね、計算の上で作り込まれた現在の音楽(ロック以外のものもすべて)と比較すればそのように感じるのは仕方のないところ。無駄な装飾を外した原初的な音楽として捉えるには少しばかりの時間が必要なのです。ただサウンドを貧弱に感じるぶん、マディの異様な迫力を持った歌は際立っていて、それは初めてこの曲を聴いたときから感じたものでした。

当時のビルボード・R&Bチャートで大ヒットしたというこの曲は、ベースのウィリー・ディクソンによって作られたブルースの名曲です。後にジミ・ヘンドリックスやエリック・クラプトンなどによる多くのカバー曲が生まれています。





I Just Want To Make Love To You
この曲もウィリー・ディクソンによって作られた曲です。「Hoochie Coocje Man」 も同様なのですが、マディの男っぽさを強調するようにして作られた曲です。男っぽさと言っても、性的な魅力を持ったマッチョなイメージです。チェス・レコードとしての、マディの売り出し方でもあったようです。

「洗濯だって、掃除だってしなくていい。俺はオマエとやりたいだけだ」。ちょっと下衆な訳だと思うかもしれませんが、ニュアンスとしては大きく外れてはいないと思います。そんな歌詞を持った曲です。

アルバムの冒頭の曲がこの「やりたいだけ」 ですからね。かなり強烈です。マディー・ウォーターズを信奉していたローリング・ストーンズの面々は、この曲を1964年のデビュー・アルバムでカバーしています。ビートルズに対抗して、ダーティなイメージ戦略で売り出したストーンズにとっては、うってつけの曲だったと言えます。 因みに、これはあまりに有名ではありますが、ROLLING STONES というバンド名は、マディのこのアルバムにも収録されている曲 「Rolling Stone」 から付けたものです。







アルバムの中から3曲だけをとりあげましたが、ブルースに興味を持たれた方には、ブルースの定番中の定番ともいえるこのアルバムのすべてを聴いてみることを薦めます。またブルースという音楽を知らずにロックをやられている方にも、一度はブルースという音楽を通過してみることを強く薦めます。

マディ・ウォーターズは60年代末からは白人ロック・ミュージシャンたちからのリスペクトを受けて、ロック・サイドとも多くの交流を持つようになります。そのあたりはまたの機会に。



McKINLEY MORGANFIELD 1915 - 1983
1997年。シカゴを旅したさい、マディの墓参りをしました。目立たないとても小さな墓でした。「巨大で偉大なブルースマン、マディの墓なのにどうして?」 という気持ちにはなりましたが、ロックの父とも言えるマディにはやっぱり 「ありがとう」という言葉をかけました。




(1997 pic. by Yang)