Live At Budokan | Get Up And Go !

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日本武道館。今年で設立50周年なのだとか。
1964年開催の東京オリンピックの柔道競技会場として建設され、同年10月3日に開館したのだそうです。建設期間約1年の急ピッチで作られたということです。

武道館 イコール コンサート会場というイメージの強い武道館ですが、実際は柔道・剣道・空手道などの武道やボクシングやプロレスなどの格闘技。ほかにも様々なイベントで使用される日本武道館。今回は、ここで行われたコンサートについて、個人的な思い出を絡めながら記事にしてみました。


武道館、何度行ったことか。その目的のほとんどがコンサートを観るためです。地下鉄の九段下を下りて緩やかな坂道を上り、会場に向かうまでのあのワクワク感は今でも変わりありません。立ち並ぶアーチスト非公認ショップのグッズをながめながら、思わず買ってしまった経験をお持ちの方もいるでしょう。

みなさんは武道館と言うと、最初に誰を思い浮かべるでしょうか。洋楽ファンであるならビートルズと応える人がかなり多いと思いますが。


THE BEATLES 1966
1966年、ビートルズは最初にして最後の日本公演を行っています。6月30日、7月1日2日 の3日間で5回の公演(1日,2日は昼・夜の2部制)を行っています。ポピュラー音楽家(ロック・バンド)として初めて武道館でコンサートを行ったのがビートルズです。

このビートルズの日本公演。調べてみると実現までにはいろいろとあったようです。4月に日本側と契約が成立し正式発表。場所も日本武道館に決定。にもかかわらず、主催提携社である読売新聞社主の正力某が、「武道館設立の主旨に反する。使用まかりならん」と言ったとか。このあたり「巨人軍は常に紳士たれ」の精神に通ずる、今では笑える話です。

でもって当時の首相・佐藤某も「武道館で公演するのは考え物」と言っていたようですが、結局のところ「女王陛下から勲章までもらっているグループ。面倒な国際問題に発展してほしくない」といった着地点となったのでしょう。笑えます。代替案として後楽園球場もあったそうですが、そちらで実現していたとしたらそれはそれでまた面白かったかも知れません。

ところで、僕は解散後の70年代にビートルズを知った第2世代です。当然66年のことをリアル・タイムでは知りません。けれど第2世代にとっては忘れられない、"日本公演体験" があります。

1978年に「ビートルズ日本公演!今世紀最初で最後,たった1度の再放送」と題して、66年の来日公演がそのままゴールデン・タイムにテレビ放映されたのです。当時、家庭ビデオ・デッキなど普及していない時代。ビートルズ・ファンはかじりつくようにして見たのです。テレビの場合、こういった「たった1度」という宣伝文句には嘘があったりしますが、これは契約上のことなので本当のことでした。

正確には、66年の時は7月1日(昼の部)の公演の模様であったのに対し、78年の時は6月30日(夜の部)の公演が放送されたので、再放送ではありません。この時放送された画像は驚くほどきれいなものでした。後に、バップからVHSやレーザーで正式リリース。VHSテープは今でも大切にしています。



THE BEATLES / Day Tripper (Budokan 1966)




CARPENTERS 1976
個人的に初めて行った武道館コンサートは、1976年4月9日のカーペンターズです。洋楽アーチストとしても初めてのコンサート体験でした。あの頃のカーペンターズの人気は大変なものでしたが、ファン・クラブに入っていた友達が取ってくれたのです。武道館に入った瞬間の広さにまず感動しました。もちろん、コンサートは素晴らしいものでした。

あの時のことを思い出すとどうしても目頭が熱くなってしまいます。忘れられないコンサートです。ああいった時って、帰りに友達と食べたラーメンのメニューや店の風景、ラジオでかかっていた曲のことまで憶えていたりするんですね。人間の記憶のメカニズムの不思議さを感じたりします。

カーペンターズについては2月のカレンの命日にまた記事にしたいと思うので、今回はここまでにしておきます。



CARPENTERS / Superstar~Rainy Days And Mondays~Goodbye To Love
(Budokan 1974)





CHEAP TRICK at Budokan
武道館の名前を BUDOKAN として世界中に広めたたアーチストは誰でしょうか?. . . . 。正解はチープ・トリックです(ボブ・ディランでも可)

アルバム・タイトルはずばり『At Budokan』(1978年リリース)です。このアルバムがアメリカのアルバム・チャートで上位に達した時、アメリカ人にしてみたら「Budokan ???」といった感じだったと思います。

チープ・トリックは本国アメリカより日本での人気が先行していたバンドです。音楽的にはポップで、ハードな面も持ち合わせていたバンドなので、現在ではパワー・ポップとカテゴライズされたりもします。好きなバンドでした。

イケメン組2人と、そうではない現場組2人が組み合わさったヴィジュアル面の面白さもあって、当時かなりの人気があったのです。このバンドのコンサートには行ってません。あまりに女性ファンが多かったこともあって、二の足を踏んだのだと思います。ちょと後悔しています。

ですがテレビでコンサートが放送されたのを憶えています。よく憶えているのはベースのトム・ピーターソンが12弦ベース(?)だったかを、ギターのようにしてコードを抑えてジャカジャカとストロークして弾いていた演奏です。「ベース・ギターでそんなの有りか!?」って驚いたのを憶えています。



CHEAP TRICK / I Want You To Want Me (Budokan 1978)




日本人アーチストも多くライヴを行っていますが、70年代80年代ぐらいまでは、武道館でコンサートを開催するというのが、アーチストにとってひとつの大きなステイタスであった時代だと思います。「大きな玉ねぎの下で」なんて曲もあったし、武道館を目指すという願いを込めた"BUDOKAN"という名前のバンドもありました。現在でもステイタスなのでしょうが、当時ほどではないように思います。


ところで武道館はロックの聖地ではありますが、プロレスや格闘技の聖地でもあります。一度だけ全日本プロレスの試合を観戦したことがあります。鶴田と天竜が全盛の頃です。ふたりの三冠統一戦でした。この時、はじめて天竜が鶴田に勝ったのですが、そんなことよりセミファイナルのジャイアント馬場の大きさに驚愕したのを憶えています。花道を通って入場するときに間近で見たのですが、デカイ!それに顔が長い!! 生まれて初めて、生で2メートル以上の身長の人間を見たのが武道館でした。これは余談です (^^ゞ



ERIC CLAPTON
武道館で観たコンサートについてこれ以上続けると、この下(↓)3mぐらいまで記事が続きそうなのでそろそろ終わりにしますが、個人的に最多で観たのはエリック・クラプトンです。実際、外国人アーチストによる武道館最多公演回数はクラプトンですし(82回)、武道館が最も似合うアーチストだとも思います。クラプトンのギター・プレイって、冴えわたっているときは切れ味や凄みばかりでなく格調の高さも感じるので、イギリスではロイヤル・アルバート・ホール、日本では武道館がぴったりくるアーチストだと思うのです。
クラプトンの武道館、2月28日に行って来ます。



ERIC CLAPTON / Sunshine Of Your Love (Budokan 2001)






余韻. . . 。コンサートが終了し、九段下駅まで混雑した道のりをゆっくりと歩くのがまたいいんですね(かなり混雑していてなかなか前に進まない)。友達とその日の演奏について語ったりしながら、また周囲からもいろんなコンサート評が聞こえてきてとても心地よい道のりに感じるのです(イラつく人もいるのかも・・・)。



日本武道館  2014 1.14 .... 勤め先(丸の内)のビルの上階から撮りました。屋根のトップにあるのが "大きな玉ねぎ" です。