1976 ダコタ・ハウスにて | Get Up And Go !

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今回は、2000年にアメリカのケーブル・テレビ局が制作し放映されたテレビ映画 『ザ・ビートルズ 1976 ダコタ・ハウスにて(原題;TWO OF US) 』 を。

良い映画だと思います。ずっと記事にしたいと考えてはいたのですが、ポール・マッカートニー&ウイングスの全米公演を捉えたライヴ・ドキュメンント映画 『ロックショウ』のDVD がまもなく発売され、ライヴ・アルバム『ウイングス・オーヴァー・アメリカ』 の最新リマスターCDも発売。今がそのタイミングなのかな ということで。
(現在 『1976 ダコタ・ハウスにて』 は日本ではDVD化されておらず、VHSの中古を探すか、字幕のない輸入のDVDを入手するしかないというのが残念なところ。乞DVD化!)


1976年。ビートルズ時代以来の全米ツアーを開始したポール・マッカートニーは、マジソン・スクエア・ガーデンでのコンサート(5月24、25日)のために滞在したニューヨークで、ジョン・レノンの住むダコタ・ハウスをお忍びで訪ねます。この事実に基づき、その際のふたりの会話や行動を空想したのがこのフィクション・ドラマです。とは言え、断片的にはポールとジョンの口から明かされた事実もあり、どこまでが本当でどこまでが想像なのか判断をするのが難しいのですが。ただ、監督がビートルズ『レット・イット・ビー』 のマイケル・リンゼイ・ホッグであることを考えると、ビートルズを間近で見て撮ったひとだけに、ある種の説得力はあります。

ジョンとポールを演じた役者さん。アメリカでの放映時は似ていないという意見が多かったようです。どうなのでしょうか。「ポールってもっと陽気な雰囲気だろ」 「ジョンってもっとシャープなイメージだけど」・・・と意見はいろいろとあるでしょう。大切なのは、この映画にのめり込みたいのであれば、ジョンとポールの "つもり" で観なければ楽しめないということです(やっぱり似ていないってなるのか)。

これはやはりテレビ局制作という予算の問題と関係するのか。本格的な劇映画なら、ジョンとポール ふたりに近かった人物を役者につけて、ふたりの雰囲気を作るという役作りに時間を割くことも出来たのでしょうが。とは言え、まったく似ていないというわけでもなく、表情や仕草などにドキッとする場面もあります。


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ジョンとポールの再会
物語はポールがニューヨークのテレビ番組で 「ビートルズの再結成」 について質問されている場面から始まります。「ビートルズ再結成の噂はうんざりですか?」と。「正直、飽き飽きしているが仕方がない。ビートルズの後では何をやっても大変だ」 と答えたポールは、さらに再結成の可能性について聞かれ、「わからない」と答えるのですが。

帰りの車の中。ラジオでも「ビートルズ再結成」 の話題。そしてウイングスの「心のラヴソング」 が1位になったというニュースが。(流れている曲はなぜかピーター・フランプトンの 「ショウ・ミー・ザ・ウェイ」、まぁ 1976年ってことなのね)。
ポールは急に思い立ったようにジョンの住むダコタへ。そしてジョンを訪ねるんですね。ヨーコはショーンを連れて不在という設定です。





最初ぎこちなかった2人も次第に打ち解け、一緒にピアノに座って歌ったり、変装してセントラルパークへ繰り出し、ストリート・ミュージックを楽しみ警官をからかい なんて場面もあります。ジョンがポールにちょっかいを出し、子供のように戯れるなんて場面を見ていると、きっと2人は昔からこんなだったんだろうな と思えてきてとても温かい気持ちにもなったりします。

ジョンとポールが口論となる場面が印象的です。
ジョンがポールにかつてヨーコに冷たかったことをなじると、ポールは 「ヨーコを批難したのじゃない。君がヨーコをスタジオにまで連れてきたことを言ってるんだ」 とやり返します。そしてポールは 「辛かったんだ。解散を食い止めようと必死だったのに君はずっとヨーコといた。親友を失うような気がした」 と打ち明けることに。そんなこと面と向かって言うかよ!なんて思ったりもするのですが、そこは何といってもビートルズの崩壊劇を間近で目撃した監督の "マイケル・リンゼイ・ホッグの印籠" が効いています。んー それが狙いってわけか。

ふたりのやりとりを見ていて思うのは、決定的にズレがあるということです。ポールはあくまで音楽人であり、ジョンはヨーコとのライフ・スタイルやニューヨークに住むことも含めてたすべてが自らの表現であると言うことです。




ビートルズ再結成の夢
"ポールがジョンをダコタ・ハウスに訪ねた" というニュースは、1976年の時点で聞いた記憶があります。ポール・マッカートニーを特集したラジオ番組の中だったと思います。僕が大切に保管する音楽雑誌 『ミュージック・ライフ』76年の8月号の、"ウィングス・マジソン・スクエア・ガーデン・コンサート評" の中でも、「ビートルズの4人がこのニューヨークのステージ上で顔を合わせるのではないかという噂がふくらんでいる」 と記されています。映画の中でも言っていた、シド・バーンスタインというプロモーターが、4人に2億1000万ドルのギャラで再結成を呼び掛けたのもこの頃です。ビートルズの再結成が少しだけ現実味を帯びた頃でした。

映画のクライマックスで、ジョンとポールがテレビのバラエティを一緒に楽しんでいると、番組プロデューサーが現われて、「ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ の4人を番組に招待したい」と呼びかけるシーンがあります。この部分は実際の話です。その時ふたりは 「面白い。2人でテレビ局へ行って皆を驚かそう」というノリで盛り上がったのだそうです。結局のところ2人が行かなかったのはなぜなのか はわかりません。この部分も映画では想像の話として描かれていますが、ここでは明かさないでおきます。



THE BEATLES / Two Of Us (1970)
ドラマのタイトルともなった曲ですが、予算上の問題なのか実際にはビートルズ、ポール、ジョン の曲は使用されていません。


。。君と僕には思い出がある
。。僕たちの前に続く
。。はるかな道のりよりも長い思い出


ジョン・レノンは1980年のプレイボーイ誌・インタビューで 「ポールがよくギターを持ってうちにふらっと遊びにくる」 と言っています。ポールがジョンを訪ねたのは一度だけのことではないようです。やはり "ビートルズ再結成の鍵" はジョンだったんだろうなぁ と思います。ジョージ・ハリスンは76年のインタビューで 「他の3人がやろうと言い出せば喜んでOKする。だけど演奏するからには練習しなくちゃ」 とまで言っています。これは私の勝手な想像ですが、何度もジョンを訪ねるポールは、きっとジョンの 「さぁ 活動再開だ!」の言葉を待っていたのではないかと思うのです。その言葉をジョージやリンゴにも伝えるために・・・














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