かもめのジョナサン | Get Up And Go !

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より高く! より深く! けれど優雅に・・・ 冗談も好きなんですけどね (*゚.゚)ゞ





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・・・・・われらすべての心に棲む
・・・・・かもめのジョナサンに



今回は1970年にアメリカで出版され、1972年に爆発的にヒットした小説 『かもめのジョナサン (原題:Jonathan Livingston SeagulL) 』 について。作者はプロの飛行家でもあるリチャード・バックという作家です。

日本でも1974年に出版されベストセラーとなりました。僕は発売当初は読んでいませんが、たいへんな "ジョナサン・ブーム" となったことは記憶しています。後に高校生になった頃に読んで、ブームになったのもよくわかる、とても面白い小説であることを理解しました。


かもめのジョナサン
物語は寓話のような形で書かれています。冒頭に記した言葉は、物語の始まりに記されています。

主人公はかもめの "ジョナサン・リヴィングストン"。 群れのかもめたちにとって飛ぶことは、単に生きていくため 食べるためだけの行為であるのに対し、ジョナサンは飛ぶという行為自体に価値を見出します。飛ぶことが大好きなジョナサンは、海面すれすれの超低空飛行をこころみたり、あるいは高度の上空から急降下をするといった危険な練習を繰り返すのです。

両親からも 「なぜ群れのみんなと同じように振る舞えないのか」 「私たちが飛ぶのは食べるためだ」 とたしなめられるのですが、食べるのも忘れて訓練を繰り返すジョナサンは遂にカモメの最高飛行速度を記録します。群れの真ん中を弾丸のようなスピードで突き抜けて、その存在を示すこともありました。

"宙返り" "背面きりもみ" "大車輪" などいくつもの高等飛行技術を身につけたジョナサンは、「ただ争って食べるだけがかもめなのではなく、無知から抜け出し生きる目的を見つけ、自己を向上させることもできる」 ことを見出し、その発見をいつかは仲間も受け入れ喜んでくれるはずだと信じているのですが・・・

かもめの <評議集会> に呼び出された彼は長老から、「かもめの規律を乱すもの」 「異端者」 として断罪され彼らの社会から追放されてしまうのです。流刑され孤独となり、それでも訓練を続けるジョナサンの前に、やがて光り輝く二羽のかもめが現われ、彼をより高次元の世界へと導こうとします・・・


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孤高であるということ と 選民思想
"孤高のギタリスト" "孤高の天才画家" "孤高の天才打者"・・・。様々に前置詞のようにして使われるこの "孤高" という言葉は、ある種の人間にとってはとても魅力的に響きます。より速く、より高く、より深く・・・もしあなたが表現者として何かに取り組んでいる人間であるならば、一度は読んでみることを勧めます。

ただこの物語。危険なものもはらんでいます。物語の後半に二羽のかもめがジョナサンの前に現れるあたりから宗教的な色合いも感じさせるようになっていきます。その二羽は光り輝くかもめであるだけでなく、速く飛ぶという技術がそれを超越した "瞬間移動" という行為に飛躍したりします。


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世間でも忘れられていた 「かもめのジョナサン」 を、1990年代のあの事件が皆に思い出させました。例のオウム真理教の信者が刺殺された事件です。その信者が口にしていた 「かもめのジョナサンの心境になって入信した」 という言葉からです。「日本では 企業は研究分野にお金をかけない」 と嘆いていたノーベル賞受賞者がいましたが、オウム真理教には殺されたこの幹部信者をはじめ理系出身のエリートも多く入信していました。「研究が自由に出来る」という誘いもあったのでしょう。

あの事件の時、かつて 「かもめのジョナサン」 を愛読した多くのひとが、物語の訳者でもある五木寛之氏のあとがきを思い出しました。世俗を蔑視しているような、いわゆる選民思想のような匂いを五木氏は感じ、それを物語のあとがきに "違和感" として記していたのです。

選民思想。「自分は神から選ばれし者である」 という思想は、ナチスの例を持ち出すまでもなく危険をはらんでいることは、よく考えてみればわかっていただけると思います。








"Be" / NEIL DIAMOND (1973)
監督・脚本;ホール・バートレット。1973年に映画化もされています。人間はひとりも登場せず、求道するジョナサンを詩的に美しく描いています。音楽はシンガー・ソングライターのニール・ダイアモンドが担当。