「キョーコ、本当に行っちゃうの?」
久遠は...今は蓮の姿だが、相変わらずの寂しげな子犬顔でキョーコを見た。久し振りに見る蓮の子犬顔はやっぱり効果満点だ。キョーコだって蓮がわざとそんな顔をしているのは百も承知だ。そして蓮だって引き留めることができないのも十分承知してやっている。それでも後ろ髪がひかれてしまう。
「だってお仕事ですもの。仕方ないでしょう?」
「1週間もだよ?俺のロケが終わってやっと帰ってこられたと思ったのに今度はキョーコがでかけるの?」
「だから、1週間分のお食事作ってありますからそれで我慢してください。」
本当は今日も顔を合わせることができないでキョーコはロケにいかなければいけない予定だった。久遠がキョーコの留守中は蓮のマンションに帰り、荷物を整理すると聞いたので社長からカギを借りその間の食事を作り置きしていたのだ。そこへ蓮が早めに帰宅して思いがけず会うことができた。
蓮は思わずキョーコを抱きしめキスをする。ずっと抱きしめていたかったがそこへキョーコの携帯が音をたてた。キョーコがちらりと画面を見ると相手を告げた。
「社さんです。」
キョーコにしてみれば相手が社なので電話にでますねと言う断りのようなつもりで相手が誰かを告げたのだが蓮はキョーコから携帯を奪うとかわりに電話に出る。二言三言話すとキョーコに変わる前に電話を切ってしまった。
「あっ。社さんなんて?」
「なんだか打ち合わせがはいったみたいで、迎えを寄越すって言ってたんだけど俺が送るからって言っておいた。」
「でも、今は『敦賀蓮』なのに...。」
「大丈夫。ちゃんと顔は隠すから。」
「でも...。」
「ほら早くしないと遅刻しちゃうよ。」
キョーコは納得いかなかったが時間が迫っているのも事実で仕方なく蓮に送ってもらうことにした。
ロケの待ち合わせ場所の近くで車を停めると蓮は名残惜しそうにキョーコの腕をとり抱き寄せた。
「!」
キョーコは身をよじって離れようとするがままならない。
「誰かに見られたら...。」
「大丈夫、車の中は見えないよ。しばらく会えないんだからキョーコを補充させて。」
さらにきつく抱きしめられ、それだけでは飽き足らず唇を触れ合わせる。だんだんと深くなっていったところで閃光が放たれた。
突然のことに蓮はキョーコを守るように抱き込んで閃光のしたほうを見ると続けざまに何度も閃光が走る。そこでようやくカメラのフラッシュだと気づいた。蓮は小さくため息をつくとキョーコの耳元で大丈夫だからと囁いて腕を緩めた。運転席のドアをあけカメラマンのすぐ前までいくとわざといつもよりも近い距離で見下ろすようにして声をかけた。
「君は?」
カメラマンは名を名乗りフリーのカメラマンだと言った。
「で?」
彼はまだ車にいるキョーコをチラリとみると蓮に向き直った。
「先日婚約した京子さんですよね?これはどういうことですか?」
「だから?」
蓮が認めたところでチャンスと見て畳み掛けた。
「データを買ってくれませんか?」
「買う?」
カメラマンはカメラを奪われないように注意しながらモニターを蓮に見せた。それは映画のワンシーンを切り取ったような美しいキス写真だった。二人とも演じる側の人間ではあるが今は完全なプライベートでそんなつもりは一切なかった。何とも言えず艶っぽいキョーコの姿に言葉が出ない。そして...そして。そこまで考えて蓮は急に真っ赤になった。
カメラマンは蓮の突然の変化にとまどってもう一度声をかける。
「買ってもらえますか、敦賀さん?」
蓮はゴクリと唾を飲んだ。
欲しい!
その写真からは愛が滲み出ていた。演技ではなく愛し合っている恋人同士。離れがたくて1分でも1秒でも長く一緒にいたいという一瞬がかたちになっていた。蓮はいつでもそう思っている。でもキョーコはあまりそういった感情は見せてくれない。まさかこんな風に形になるなんて思いもしなかった。こんな写真を撮っている割に腕はいいのかもしれない。
「カメラごともらおうかな。」
「カメラも?」
「そう、カメラも。いくら?」
カメラマンがいい値をいうと蓮は首を縦に振った。彼をそのまま待たせると助手席のキョーコに声をかける。
「すぐそこだから大丈夫だよね?この件は心配しなくていいから。あとで連絡するよ。」
「でも...。」
キョーコはちらりとカメラマンを見たが蓮は破顔して再度心配ないと言い含める。仕舞いには「遅刻するよ」の殺し文句までつけた。仕方なくキョーコは現場へと足を向けた。
「さっ、君の口座番号を教えてくれる?」
何度か写真を買ってもらったことはあるが、普通こういう場面では相手はすこぶる機嫌が悪いものだ。ところがこの男は上機嫌だ。気でも違ってしまったのだろか。スマホをいじり入金を済ませると「確認してくれる?」と言って画面を見せた。確かに入金はされている。
「じゃ、カメラくれるよね。」
ニッコリと極上の笑顔で蓮が手を出すとカメラマンは商売道具であるカメラを素直に手渡し、そそくさと消えた。