蓮は早速キョーコを魔女のもとへ連れて行こうとしました。急いで行けば朝日が昇るまでに戻ってこられるからです。本当はこのまま海中の蓮の家へ連れて行きたいのですが、キョーコは養い親を置いていくなら行かないと泣くのです。


けれど、キョーコを連れて行こうにもできませんでした。長く陸で暮らしていたからでしょうか、普通の人間よりは息が続くのですが人魚のようにはいかないのです。えらだとわかった痣も思うようには動きません。何度か蓮が息を分け与えましたが、魔女のもとへは到底行けそうにもありません。


朝日が顔を出しそうな気配に仕方なくキョーコを屋敷へ戻すことにしました。蓮はキョーコの代わりにキョーコの穿いていた尾ひれを持って魔女のもとへ行くことにしました。何度か人魚の真似事をしていた人間は見たことがありましたが、ここまで精巧な尾ひれは見たことがありませんでした。人魚の世界で暮らしていた蓮でさえキョーコが人魚であることを疑わなかったくらいの代物です。


「魔女さまに相談したらすぐに戻ってくるから。それまでどうにかがんばって。」

「えぇ、私は大丈夫です。どうかお気をつけてください。」


後ろ髪引かれる思いでしたが、太陽は無情にも昇りはじめました。キョーコは何度も振り返りながら屋敷に戻っていきました。


蓮が急いで魔女のもとへ行き、尾ひれを見せながらキョーコのことを伝えました。魔女は静かに蓮の話を聞いていました。


「それで?」

「キョーコは人魚です。一緒に暮らしたいんです。」

「人間のようにかい?人魚は雌雄一緒には暮らさないよ。」

「人間でも人魚でもどっちだっていいんです、俺にだって足があるんですから。」

魔女はため息をつきました。生まれた時から蓮のことは知っていますが、こんな風に誰かに執着するのを初めてみました。


「お前の話ではその娘は海に潜れないようだけど?」

「だから、相談に来たのです。キョーコは人魚ですよね?」

魔女は蓮の持ってきた尾ひれを撫でながら言いました。

「おそらく、お前と同じような人魚なんだろうよ。この鱗はその娘が捨てられていた浜にあったのだろう?きっとその娘を産んだ母親のものだろう。本物の人魚の鱗だからお前もわからなかったのだろうよ。」

「俺と同じならどうして海に潜れないのでしょう?」

「それは私にもわからないよ。ずっと陸にいたからか、お前よりも人間に近いからなのか...。いずれにしてもお前とその娘のような足のある人魚が本当はもっといるのかもしれないね。私らが知らなかっただけで...。」


魔女はその先を続けることはありませんでした。なぜならば、彼らは足があるために自らの生い立ちも知らず陸で暮らしているのでしょう。ところが急速に成長しいつまでも若い、それは人間ならばありえないことです。キョーコのように化け物として扱われて迫害されている可能性が高く魔女は彼らが不憫でなりませんでした。キョーコの扱いはひょっとするとまだいい方なのかも知れません。


黙り込む魔女に蓮はしびれを切らしました。

「どうにか海中で暮らせる方法はないのですか?」

「...思い浮かばないねぇ。泡になるという方法なら知っているけどね。」

「!?ならば、俺が陸にあがります。」

「お前が、陸に?」

「それならキョーコは泡になりませんし、養い親も一緒に暮らせるはずです。」

「人間として生きていくと言うのかい?」

「はい。それでキョーコと暮らせるのなら!」

「そうかい...。」


蓮がキョーコのもとに戻ったのはそれから5日後でした。魔女と相談してキョーコを迎え入れる準備に思いのほか時間がかかったのです。蓮が屋敷に着いたのは夕方でした。夜中ならば、あの小屋でキョーコが待っていてくれるでしょうがこの時間では会うに会えません。それでも何かの偶然でも会えないかと通用口の周囲をウロウロしていると人の気配がしました。キョーコの気配ではないと蓮は木の影に隠れます。中から下働きらしい男が二人出てきました。


「おい、あの人魚の正体がまさか使用人のキョーコだったとはなぁ。」

「あぁ、いまだに信じらんねぇや。いつもチョコマカ働いている地味なイメージしかなかったけどよ。まさかなぁ。」

「あぁ、本当に驚きだ。あの晩見た人魚はとんでもなく色っぽかったもんなぁ。女は化けるってのは本当だな。」

「まさか、本当に人魚じゃあるまいな?」

「そりゃ、足があるんだから人魚のフリをしてたってことだろう?」

「そりゃそうか。でも、伯爵様はキョーコを余所にやっちまう気らしいぞ。」

「なんでまた?人間だってわかってても面白い余興だろうに。」

男は誰もいないのを確かめるようにあたりを伺いました。

「ここだけの話、売っちまったんだと。」

「はぁ?!」

「どこかの金持ちがえらく気に入ったてことらしいんだ。それで、売っちまったらしい。」

「なんでまた...。本物の人魚なら飼うのも喰うのもいいかもしれないが、人間だぜ?!」

「馬鹿だなぁ、だからこそだよ。綺麗な若い娘なんだ。当然だろう?」

「ははーん、そういう意味か。これだから金持ちってやつはいただけねぇなぁ。」


蓮は男たちの話に震えがとまりません。まさかそんなことになっているとは知らずにキョーコと養い親のための家を用意していたのです。蓮は男たちより先回りして町に向かいました。屋敷に潜り込むことも考えましたが、キョーコがどこにいるのかわかりません。それよりも何か情報を掴んでおいた方が得策だと思ったのです。すでに売られてしまっていたにしても売られた先がわからなくては助けにもいけません。蓮は運よく酒場で先ほどの男たちを見つけました。上機嫌を装って酒をおごります。


「なにか面白い話はないかい?異国の話は女たちが喜ぶんでね?」

どこかの国の金持ちを装います。蓮の衣服からそれを見て取った男たちは酒を振る舞われてほろ酔い気分です。

「面白い話ったってねぇ?」

「このあたりには人魚がいるんだって?」

蓮は話題を人魚にさしむけます。最初は警戒して口を割りませんでしたが、酒が進むうちに饒舌になっていきました。男たちの話によるとまだキョーコは屋敷にいるようです。心のうちで安堵してさらに話を聞き出します。


「へぇ。買えるものなら私も買いたいねぇ。いくらなんだい、その人魚とやらは?」


男は蓮を一瞥します。


「ははは、兄さんも金持ちそうだが、いくらなんでも無理だろう。」

「そうかねぇ。現金は今は持っていないがこれならどうだろう?」


蓮はポケットから巾着を出して少し口を緩めました。中には見事なエメラルドとルビーが見えます。男たちの手が伸びてきたので、蓮はすぐにポケットに戻しました。


「私は自国でさる高貴なお方におつかえしている。珍しいものを見つけたら持って帰ってくるように言われている。もし、お前たちが伯爵様に口をきいてくれるなら、金貨を2枚やろう。もし、伯爵が私に人魚を売ってくれたならさらに3枚だ。ん?」


男たちは息を呑みました。金貨が1枚あれば3年は暮らしていけます。それが5枚となれば、船を買うことも土地を買うこともできます。今よりも格段に暮らしは楽になります。一気に酔いが冷めた男たちは明日の午後また会う約束をして店を出て行きました。


゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

あれ?終わらない...。

次で終わるはずです (゚_゚i)









社は居間に戻ると手袋をはめながらチラリと小夜子を見る。


「あがったら?この時間じゃ暫くはタクシーこないから。」


不満顔で社を見返すと小夜子は渋々といった様子で靴を脱いだ。

社が電話に向って小さく舌打ちをする。どうやらタクシーは電話さえでないらしい。諦めて上着をとりにいく。小夜子は社の行動の意味がわからず首を傾げた。

「少し歩けば流しのタクシーが拾える場所があるから。なかなかつかまらないとは思うけど。」


相変わらず社は不機嫌で取りつく島がない。今回の件は全て自分が悪いのだから、こんなところで拗ねている場合ではないと思い直した。

「あの、すみませんでした。」

頭が床につくのではないかと思うほど思いきりよく腰を折る。

「本当だよ、こんな時間に一人でくるなんて。」

どうやら社は今、小夜子が一人で来たことを怒っているらしい。

「いえ、その、それだけではなくて、私の脇が甘かったせいでご迷惑とご心配をおかけしてしまってすみませんでした。なかなかお会いできなかったので。どうしても直接会ってお詫びしたかったんです。」

「あぁ、そのこと…。」

一気に社の歯切れが悪くなる。

「チーフ?」

「いや、あれは俺も悪かったんだ。警備を増やしたからもう大丈夫だと思ってたんだ。まさか、あそこまでするとは思ってなかったから…。」

最後のほうはつぶやきに近かったが、2人しかいない静かな部屋だ、小夜子にも聞こえた。


「私を刺した人、知り合いなんですか?」

小夜子の言葉に社は驚きの表情を浮かべた。

「誰かから聞いたかと思ってた、麻依は別れた妻。だから、脇が甘かったのは宮津さんだけじゃなくて俺も。いや、俺のほうがもっと気をつけなきゃいけなかったんだ…。」

社は小夜子の腰のあたりを一瞥した。

「傷、残るって聞いた。本当にすまない…。」

不機嫌な態度がいきなりシュンと小さくなった。こんな時なのになんだかカワイイ。

「大丈夫です。別に見える場所じゃないですし、もう痛みもありませんし。本当に私がきちんと対策を取ればよかったんですから。それに、あんな風にイッチャッテル人が何をしでかすかなんて予測不能ですもん。あっ、ごめんなさい奥様でしたね…。」


社はフッと困った笑いを漏らすとソファをすすめた。

「どうせ、タクシーは捕まらない。何か飲む?」

「あっ、はい。すみません。」

社はコーヒーを淹れるときちんと距離を空けて横に座った。


「イッチャッテルってのは、その通りだよ。」

「ごめんなさい。よく知りもせずに失礼なこと言いました。」

「いいんだ。それに宮津さんは被害者だし知る権利はあると思うよ。あんまり楽しい話しじゃないけど。」

辛そうに笑って見せる社に小夜子の胸も痛む。離婚したのだから円満というわけではないのだろう。社の表情からすれば、修羅場があったらしいことは容易に想像がつく。

「チーフ、無理に話さなくていいんですよ。」

「何年かすれば自由の身だ。また、現れないとも限らない。知っておいたほうがいい。だから聞いて?」


「あっ、はい。」

小夜子は姿勢を正した。べらぼうな美人なのに、仕事のできる女なのに、こんなところは年相応で可愛らしい。

今度は本当の笑みを見せた社に小夜子は不思議そうな顔をみせた。楽しい話しではないと言っていたのに?まさか、自分の態度でそんな笑みを見せるなんて思わない。小夜子の態度に気づきはしたがそれには説明せず社は話し始めた。また、もとの辛そうな顔で…。

「麻依はね…」


社と麻依はLMEのカフェで出会った。社がアメリカから帰ってきてすぐだった。久遠とキョーコが結婚した後も社はキョーコのマネージャーをしていた。キョーコの願いでもあったが、これは久遠のたっての希望で最も信頼のおける社なら安心してキョーコを任せておけるからという理由だった。社もキョーコのマネージャーは面白かった。LMEでも割と自由に仕事をさせてもらっていたが、それ以上にアメリカは自由だった。社の裁量で仕事を選び役者のイメージを作る。営業やギャラの交渉も思うまま。さすがに契約書の類いは専門家にチェックしてもらっていたがまるで個人事業主のようだった。もちろんキョーコが実力のある女優だからできたことだが、日本とアメリカの両方で仕事ができたことは勉強になった。あのままアメリカで仕事をしていても構わなかったのだが、キョーコが妊娠したことで仕事をセーブするのと社の父が病気になったのを機に帰国したのだ。


そんな時に麻依とは出会った。特に目をひく美人ではない。まめまめしく働く人だなというのが第一印象で、その次に思ったのはよく笑うということだった。時々話すようになり、いつしか事務所の外で会うようになり、付き合いが始まり結婚した。あの時までは極普通の結婚だと社は思っていた。


思い返してみると最初の違和感は結婚式だった。お互いに派手なことはしたくなかったので、身内のみの式にした。久遠も出席したがっていたがキョーコが出産したばかりということで、大事をとって訪日はやめたのだ。代わりに山ほどのお祝いが贈られた。この時、麻依が酷く残念がっていたので問いただすと蓮のファンで会えるのを楽しみにしていたという。『久遠』は来られないというと『出席するとしたら久遠なのよね…』と返事をされたのだ。


社は仕事上、家をあけることが多かったが麻依は特に何も不満は言わなかった。最初から分かって付き合っていたから夫の仕事をよく理解してくれているのだと思っていた。


蓮のファンだったというだけあって関連グッズはそれなりに持っているようだったが、社に根掘り葉掘り聞くようなこともないから過去にファンだったのだと思うようになった。時折、帰ると蓮のDVDを見ていることがあったが純粋にドラマや映画が面白いのだと思っていた。実際にお話しとしてなかなか面白い物に出演していたから気にも留めていなかった。今考えてみると『蓮』のものだけで『久遠』のものは全くなかった。


そして事件は起こった。







「ばけもの?」


蓮は伸ばしかけた手をそのまま空でとめました。その様子にキョーコはいたたまれずに目を固くつむります。意を決して目を開けると蓮をヒタと見つめて話し始めました。


「蓮様は私の王子様...。だから知られたくなかった。綺麗な人魚のままでいたかった。」

辛そうに話し始めたキョーコに蓮は言い募ります。

「人魚でも人間でも、どっちでも構わない!」


「私はどちらでもないの。覚えていますか?1年前に浜辺で会ったオレンジの髪の少女を、蓮様を王子様と呼んだ少女のことを?」


蓮は思い出しました。『迎えに来てくれたの?』と聞かれ、違うと答えたら寂しそうに笑った少女のことを。その少女を探してキョーコと出会ったのです。キョーコに出会ってからはあの少女のことを思い出すことはありませんでした。オレンジの髪はキョーコと同じです。大きなはしばみ色の瞳も同じです。見れば見るほど、あの少女とキョーコが同じに見えてきました。蓮の驚いた表情を見てキョーコは蓮が悟ったことを理解しました。あの少女と同じ寂しそうな笑みを浮かべます。


「ね、気持ち悪いでしょう?私は人でも人魚でもない者...。ですから、私のことは忘れてください。」


蓮はたった2歩でキョーコのことを捕まえました。有無を言わさず抱きしめます。キョーコはまさかそんなことをされるとは思わずに呆然とします。


「そんなことない。気持ち悪くなんかない。忘れるなんてそんなことするもんか。」

「離して、お願いだから離してください。」

「いやだ、離すもんか。」

キョーコが身を離そうともがけばもがくほど蓮は腕の力を強めます。いつもならきちんとすべてのボタンをとめるキョーコですが、この時は慌てて服を着たためもがいた拍子に首元が露わになりました。


「これ...は?」


蓮はキョーコの首筋に手を当てます。キョーコは解放された側の手を首にあてました。


「見ないでください!生まれた時からある痣です。見ないで!」


蓮はキョーコの手を無理やりどけさせました。暗い小屋の中でしたが蓮は隙間から月明かりがもれる場所へキョーコを押します。キョーコの首筋を確認すると蓮はこの世のものとは思えない極上の笑みを見せました。キョーコが痣と呼ぶ場所にそっとキスをします。キョーコは何がなにやらわかりません。人魚でも人でもない者だと知られ、抱きしめられ、今はキスまでされています。


「あぁ、俺が王子様ならキョーコは俺のお姫様だ。」

「???」


訳が分からないキョーコに蓮は説明しました。


「本当に俺はキョーコが人魚でも人間でもどっちでもいいんだ。でも、キョーコが気になるなら教えてあげる。俺もキョーコと同じ、人魚でも人間でもない者だ。」


蓮は屈んでキョーコに自分の首筋を見せました。目の前に出された蓮の首筋にも同じような痣がありました。ただ、キョーコの痣よりも少し大きく真ん中が窪んでいます。キョーコが見つめているとその窪みがパックリと開きました。すぐに閉じられましたが、何度かパクパクと開いたり閉じたりします。


「陸だと動かすのはちょっと難しいね。気持ち悪い?」


キョーコは驚いて声も出ません。蓮はイタズラっぽく笑うとキョーコの痣をなでました。


「俺も同じ。俺は海で生活してる。キョーコは陸で生活していたんだね。動かせる?」


動かすことなんてできません。どうすればそんなことができるのかキョーコにはさっぱりわかりません。


「陸での生活が長いから難しいのかな。ここに集中して、水中で息がしたいって思ってごらん。」


キョーコは蓮の言うとおりに動かそうとしましたができませんでした。それでも痣のあたりがピクピクとはしたのです。


「う~ん、魔女様に聞いてみるか...。」


「魔女様?蓮様と私は同じなの?」


「俺の母は人魚なんだ。父は人間。普通、人魚と人間が愛し合ってできた子はどちらかで生まれるのだけれど、俺は尾ひれのない足のある人魚だったんだ。きっと、キョーコもそうなんだよ。」


蓮はすぐにでも魔女のもとにキョーコを連れて行こうとしましたが、キョーコは渋ります。キョーコだけならこのまま姿を消しても構いません。けれど、養い親が病気で臥せっているのです。キョーコがいなくなれば伯爵はおそらく養い親を放り出すでしょう。キョーコをかばったがために苦労を背負いこみ病気になったのです。優しい養い親を見捨てることはできませんでした。



゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚


次で最後です。

大した落ちはありません。

お約束のハッピーエンドです (-^□^-)