
面倒なのと著作権もあると思いますので、画像などは一切ありませんが、こんなレアフォークマニアックなネタを見ている方は多分、当方と同じかそれ以上資料を持っていると思いますんで全く支障無いと思います(笑)。
それとベッカープログラムは、時系列的に分析すると総統指令40号の大西洋防壁に付随したもんではないかと思います?。
指令は1942年3月に発布されロレールシュレッパー改装のマーダー1の軍需省とアルケット社のコンサルタント契約が4月ですから、ベッカーがレニングラードで頑張ってる頃に捕獲兵器の改装によるドイツ国防軍適合させる報告書と雛型のイギリス製軽戦闘車両改装の砲兵戦闘車両が兵器局の中で注目され更に上のOKHに、こんな事出来ますってプランを上げたら採用されちゃったんではないかと思います?。
悪い事にヒトラー総統は兵器開発が趣味なんで、報告書を読んでベッカーに会いたい

その前にフランスにロレールシュレッパーって、自走砲向きだと最初に目をつけた人は誰か気になります。
それまでドイツの自走砲の試作車両は基本的にリヤエンジンのフロントドライブの普通の戦車レイアウトでしたが…
ロレールシュレッパーの改装以後はミッドシップエンジンのフロントドライブの車両が自走砲のメインレイアウトになり、ベスペにフンメルに38tの自走砲群が新規生産自走砲の決定版になります。
従来の戦車レイアウトの自走砲は旧式戦車の再生自走砲として技術力に確立してましたので、
その経験はアルケット社が一番持っていたと思いますので前線から引き揚げた旧式戦車を自走砲に改装して納入ってのはマーダー2やマーダー3では1944年位までやってた見たいです。
後はドイツは捕獲兵器は地産地消するってのが1943年には確立してましたので、もしかしたらイタリアにも第二のベッカーみたいのが居たかも知れませんね?。
それと捕獲砲を一貫して採用しなかった理由は装甲師団での使用と砲弾の補給の問題だと思います。
多分捕獲砲はM1897野砲以外は調達は困難だと思います。
調べる程にわからない事だらけで、大西洋防壁は死ぬほど資材や労働力を投入されてるのに、ベッカーは本当に何処から資材と労働力を調達したのか気になります。
それとベッカー生産本部の工場がパリのどこにあったかも知りたいですね??。
後はベッカーの故郷のクレフェルトはフランスの国境に近いので装甲版の納入はトラックで運んだんぢゃないかと妄想。
クレフェルトの著名人にイナバウアーって荒川静香で有名な方がいらっしゃいますが、砲兵予備役少佐アルフレードベッカーの名前が無かったのが残念です(笑)。