ベッカーズ.リポートその5 | スダコフツ167のブログ

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FC3Sとの日常と、戦車模型の考察が、中心です。

スダコフツ167の意味はドイツの4号突撃砲です。

いやいや参りました。
更に良く資料を読みあさって見たら…
予備役砲兵少佐アルフレードベッカーは、レニングラードに出征してたみたいで、自ら製作したイギリス軽戦闘車両改装の砲兵戦車にて、対戦車戦闘したって記録があるそうです?。
詳しい日付が無いのが残念です。

それと、ベッカーがロレールシュレッパーの次に目を付けたホッチキスH38軽戦車なんですが、1943.5現在で35Hも合わせて350台以上が公式に在籍が確認できますので、ベッカーの改装した対戦車自走砲+砲兵戦車+装甲観測車合わせて130両ですので、それと操縦訓練車に砲牽引車両を合わせてみたら、ホッチキスは随分と大量にドイツで運用してたみたいです?。
フランス以外だと運用は大変だと思いますが主に後方の警戒などパトロールに使ったみたいです?。
ベッカーはH38がお気に入りだったみたいでH35は手を出してません。
機械的信頼性の問題だと思います。

それにしてもベッカーはお気に入りのホッチキスが在庫が底を尽きた為かFCM軽戦車ってフランス人も難色したマニアック戦車も改装したんだと思います。

更にルノーの工場がパリにあったんでシャールB1のO/Hなんかもやってたんで、ベッカー生産本部の下請けもやってたみたいです。
そおいえば…戦後ルノーの社長はナチス協力した罪で投獄されちゃうんですよね。

ソミュアS35は3号戦車より優秀作と前評判良かったのに、構造的に残念だったので最低限の改造で運用してました。

そんな感じでフランスで編成された増強快速旅団の編成表見てたら、これが捕獲兵器だけで殆ど編成されてたってびっくりします。

後はベッカー自ら指揮する第200突撃砲大隊って捕獲兵器で編成された自走砲大隊にも関わります。
1944年になるとウクライナでは連敗しフランスでも不穏な動きがあり、遂にはバクラチオン作戦が発動し6/6にノルマンディ上陸作戦も始まり、遂にはベッカーも第200突撃砲大隊長に7/2に移動し出陣します。

その後イギリスのカーン突破作戦のグッドウッド作戦にベッカーは第21装甲師団指揮下に参加し活躍したそうです?。
実際はイギリスは又してもロンメンの罠に嵌まって88mm高射砲にフルボッコされ更に隣りのSS装甲師団に殺られたのが本当のとこぢゃないかと思います。
まぁベッカーの持ち場のお隣さんが空軍野戦師団だったみたいで、一回は撃退したけど次はやられちゃった可能性も高いです。
それにオープントップの自走砲ぢゃヤーボや砲撃にゃ弱いのでベッカーの突撃砲大隊も8月前にはほぼ壊滅し後退したか負傷したんぢゃないかと思います。

その後のベッカー?。
フランスで成果を上げたベッカーですが…
その後の記録は1945年4月20日付で全軍91番目の剣付き戦功十字章授与って記録が最後にその後は不明です。
しかも授与された翌日はヒトラー誕生日記念でソ連軍のベルリン攻略戦発動日ですんでベルリン戦に参加したのかも知れませんね?。

最後に1945年初頭にオストバウ社で4号対空戦車製造の為に派遣された国家製造監督官が自分の提案した改装方法が優れてるとオストバウ社で、一悶着起こしてるベッカー監督官って人の記録があるんだけど…
過去の経緯からやっぱり…アルフレードベッカー予備役砲兵少佐ですよね…(笑)。