1943.1フランス.パリの兵器局外局アルフレード.ベッカー生産本部にて、フランス製捕獲車両再生計画ベッカープログラムが遂に本格始動します。
責任者の予備役砲兵少佐に昇進(いつ昇進したかは不明ですが遅くとも1943年度中と思われます。)したアルフレードベッカーは、東部戦線北方軍集団より引き抜いた元の部下達とフランス製捕獲車両のドイツ国防軍に適用出来る為の改装とフランス中から使える車両をかき集めてきます。
ベッカーは個人的人脈で下請け企業を故郷、クレフェルトにて組織化し技術支援をベルリンのアルケット社から得られる事に成功しますが、流石に装甲板の割り当ては優先順位が低い為か手に入りずらいですが…
そこはベッカーですから何処からか調達しちゃうんだろうと思われます。
当然、正規非正規合法非合法関係無く…。
それと、関係無いんですが、新たな資料で第227歩兵師団が東部戦線に出陣したのが1941年10月と分かりました。
後はベッカー自身は東部戦線従軍してないんぢゃ無い疑惑もありましたが車両を鉄道に積み込んで記念撮影してるところに本人が写ってましたんで短期間従軍したかも知れませんね?。
時系列的にはルノーR35改装作業が10月には終わってますから、そこから1942年2月位の4ヵ月位でしょうか?。
その後ロレールシュレッパーの改装計画の為にベルリンの兵器局に召喚されてアルケット社と4月にコンサルタント契約調印って感じですかね??。
戻りまして1943.初頭からベッカーは在庫のロレールシュレッパーを砲兵戦車に改造するのにドイツ中から16式105mm軽榴弾砲に13式155mm重榴弾砲の調達に奔走します。
なんで?わざわざ旧式砲を探してるのかは良く分かりませんが、軽量なのと旧式だから需要が低いのが理由と思われます。
それと、18式シリーズは基本的に重量があるしフランスより東部戦線に優先的に配備されてるのが理由の1つだと思います。
後はベッカーは流石に砲の調達には苦労したみたいで、捕獲したソ連製122mm砲を載せたロレールシュレッパーも試しに1台作ったみたいですが…
ベッカーは元々は砲兵将校ですから(予備役ですが…)砲に対する拘りがあったみたいで一貫してドイツ製の大砲を自身製作した自歩砲に搭載してます。
当方的にはフランスなんだからフランス製の大砲でも載せればいいのにと思いますが、それは駄目みたいです。
フランス製のM1897野砲なら砲も弾も幾らでも在庫有るのに全く採用してないです。
ドイツ人は螺式閉鎖器の大砲が好きぢゃなく鎖詮式の薬莢が大好きな民族なんでその悪い伝統を引きずっているのかも知れませんね。
でも追撃砲はフランス製でも問題ないみたいですよ?。
ベッカーは前々からフランス企業にパーツや車両の再生産も依頼してて乗用車やトラックは生産再開を1941年度中からしてたみたいですが、ロレールシュレッパーは再生産出来なかったそうです。
でもロレール社は極秘に来るべき日の為に準備はしてたみたいです。
ベッカーは新たな砲兵戦車のベースに比較的数多くあるホチキスH39と少数生産のマニアック戦車のFCMの2種に絞って開発します。
その他、フランス製ハーフトラック改装のSPWや対戦車自走砲なんかも作ります。
それらの機材で再編成中の第21装甲師団に配備しますが、第21装甲師団自体寄せ集めの機材で編成してますがフランス在住なので特に問題無かったと思われます。
ロレールシュレッパーが東部戦線で余り使われなかった理由は積んでる砲が射程が短いのとシャシーが貧弱と成ってますがフランスでの行動では全く問題ないみたいで60台で600km移動しながら射撃訓練した時は脱落した車両は一台も無く機械的信頼性もあると評価されてます。
ベッカーはフランス在住の師団に車両供給するだけでなく来るべきノルマンディ上陸作戦に備えて自身の指揮する部隊の創設にも関わります。
続く。