ベッカーズ.リポート その3 | スダコフツ167のブログ

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FC3Sとの日常と、戦車模型の考察が、中心です。

スダコフツ167の意味はドイツの4号突撃砲です。

前回1942.9.2にヒトラー総統との会談の結果、大規模フランス製捕獲車両再生計画のベッカープログラムがヒトラー総統直々に承認し責任者に任務された陸軍砲兵予備役大尉アルフレードベッカーは、任地のフランスのパリの兵器局外局のベッカー生産本部に戻ると、前々より元隊の第227歩兵師団の師団長と、交渉中だった元の自分の中隊員達をフランスに呼び寄せる為の計画を実行します。
なんで?んなことするかとゆうと、ベッカーとイギリス製捕獲軽戦闘車改装の砲兵戦車を改造した時の技術と経験が必用だったんですが、同時は戦闘可能な兵士をフランスへの移動は禁止されていた為に、あれこれ知恵を絞って中隊員達を移動させようとしましたが、軍規違反となる為に実行されませんでしたが。
総統直轄計画遂行の為と第227砲兵師団長を説得し更に所属の軍にも根回しを依頼。
師団長は元ベッカーの中隊員達を毎週10名、ドイツに休暇を発令しました。
隊員はドイツ本国で、休暇の後フランスのベッカー生産本部に異動。
1942年のクリスマスまでにほとんどの中隊兵士がベッカーの下に集合しました。
第227歩兵師団は見返りに装甲車両20両を受け取りました。

いやはや、参りました。
一介の予備役大尉が、なんで?こんな事出来たんだろう??。
これって中隊員が途中で、野戦憲兵に発覚されたり第227師団長以上の赤ベタさん達に知られたら大変ですよね??。
下手すりゃみんなで軍法会議にかけられますね。
多分、総統直接の計画って事で回りを納得させたと思います。
それと見返りの装甲車両なんですが、当方的にはレニングラードは1943年度中までは籠城戦の塹壕戦だった訳ですから、装甲車両送ってもあんまり意味無いと思います。
多分、ベッカーはフランス製のハードトップのスタッフカーみたいなのを送ったんだと思います。
当然、賄賂みたいなもんで最大20人分が必用だったんだと妄想します。

それと、図面を見ると分かるんですが、ベッカーの仕事のロレールシュレッパー改装の砲兵戦闘車なんですが、マーダーⅠ105mm 155mm
の3種類で合計5タイプの装甲ハウジングのバリエーションがあります。
その内パリ支局使用と書かれているものがベッカー生産本部にて、改装されたものです。
調べてみるとベッカーの故郷のクレフェルトから装甲ハウジングの納入がされてますので、アルケット社の下請けでベッカーの息のかかった企業がベッカープログラムに参加しているのが分かります。
まぁアルケット社自体、沢山の戦闘車両を発注を受けてますので、少数生産のベッカープログラムは1943年以降は技術支援と専門家の派遣で済ましたと思います。
後はベッカー生産本部は詳しい事は不明ですが、多分フランス軍の戦車工厰を接収したか、元自動車生産工場だと思います。
でないと1800両の車両の改装は不可能ですし、修理に各種部品のストックとサービス体制が充実しているのがベッカー生産本部の製品の特徴です。
更にノルマンディ敗退後に良く聞くアメリカ軍のパリ戦車工厰ってのは多分ベッカー生産本部を接収した再利用したんだと思います。
てことは、ものすごい充実した設備を持っていたと想像出来ます。
ベッカー生産本部は間違いなく同時の日本のどの陸軍工厰よりも戦車製造に関わった企業よりも技術力も生産力も高いと思います。

とゆう訳でベッカーと中隊員の兵士達は1943年度中は爆撃を抜かせば比較的平和なパリにて、ひたすらフランス製車両の改装作業に掛かりきりだったと思います。
ベッカー生産本部にはフランス人の工員も多数いましたが、監督能力も高いベッカーのお蔭か待遇が良かったか、サポタージュや妨害工作は特に無かったそうです。
凄いぞベッカー…。

続く。