信長の気まぐれで元号までも変えちゃった元亀から天正への改元 | 「ガイドが教える 仙台城を10倍楽しむ方法!」

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現在放送中のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。

 

久々の戦国時代ものとあって、飢えていた歴史フリークには待望のどストライク作品。

 

視聴率も最近の作品にしては好調のようで、初回の13.5%を皮切りに10~13%台をキープしているようです。

 

その「豊臣兄弟!」では小栗旬さんが演じている織田信長。相変わらず豪胆でお館様ぶりを発揮している感がありますが、織田信長が本来朝廷(天皇)の専権事項であった元号を決める権限(改元権)に圧力を掛けて、当時の元号を無理やり変えてしまったという史実があります。

 

それが、「元亀」から「天正」への改元です。

 

なぜ?信長はそこまでして「元亀」という元号を変えたかったのか?

 

それには、当時信長を取り巻く3つの複雑な事情がありました。

 

まず1つ目が「元亀」という不吉な時期を断ち切るためです。


当時の日本には、戦乱や天変地異が続くと、その悪い流れを断ち切るために元号を変える「災異改元(さいいかいげん)」という習慣がありました。元亀年間は、信長にとって非常に苦しい時期でした。

 

・ 浅井・朝倉連合軍との戦い

・比叡山延暦寺の焼き討ち

・武田信玄の西上作戦

 

などなどなど、「信長包囲網」によって四面楚歌の状態にありました。さらに、飢饉や疫病も発生しており、世間では「元亀」という元号自体が不吉なものと捉えられていました。

2つ目が. 足利義昭との決別と「新時代」の宣言です。

 

最大の政治的理由は、室町幕府15代将軍・足利義昭との対立です。「元亀」は義昭が主導して定めた元号でしたが、信長は1573年に義昭を京都から追放し、室町幕府を事実上滅亡させました。
幕府を打倒した信長は、旧体制(義昭の時代)を象徴する「元亀」を廃止し、自らが主導する新しい秩序の始まりを世に知らしめる必要がありました。

3つ目が 天下人としての権威付けです。


元号を決める権限(改元権)は本来、朝廷(天皇)にあります。しかし、信長は朝廷に対して強力に働きかけ、自らが選定に関与した「天正」を採用させました。

「天正」の由来はというと、 中国の古典『老子』にある「天下を正す」という意味の言葉(清静者為天下正)などから引用されたと言われています。

つまり、 自分の意向で元号を変えさせることで、「今の日本を支配しているのは天皇の権威を背景に持つ自分(信長)である」ということを全国の戦国大名に知らしめる大デモンストレーションという重要ミッションでもあったのです。

 

改元の流れとしては(1573年)の7月に 足利義昭を追放し、室町幕府が滅亡したのですが、なんと早々と7月28日には元号を「元亀」から「天正」に改元してしまいます。

 

元亀の期間: 1570年4月23日(元亀元年)~1573年8月25日(元亀4年7月28日)わずか3年4ヶ月

「天に正道が行われる」という願いを込めたこの改元を経て、信長は安土城の築城や楽市楽座の推進など、本格的な天下布武への道を突き進むことになるのですが、皮肉にも改元して10年目の

天正10年6月2日(1582年6月21日)の早朝に「本能寺の変」が起きてしまうのです。

 

これって深読み解釈をすると、天に正道が行われたということになるのでしょうか?

 

天正の期間: 元亀4年7月28日(1573年8月25日)~ 天正20年12月8日(1593年1月10日)約20年

 

※昨今の歴史研究の進展は目覚ましいものがあり、過去の書物に記された史実や出来事などとは別の説が発表されたり、歴史認識が改められたりしている事も多く見受けられます。このブログで書かれたことは、諸説ある中でも多く語られることの多い部分を抽出して書かれたものであり、歴史認識や見解の確からしさを断定するものではありませんことをご理解頂きますようお願い申し上げます。