「ガイドが教える 仙台城を10倍楽しむ方法!」

「ガイドが教える 仙台城を10倍楽しむ方法!」

仙台城のボランティアガイドが、仙台城の魅力や伊達政宗のトリビアな話を出し惜しみせず、ボリューム満載で語り尽くしまーす。(^_^)

仙台観光をお考えの方は、旅支度の前に予習としてご一読を頂ければ、仙台城が10倍楽しめるかも。

この度は多くのブログの中から、このブログをご覧頂きましてありがとうございます。

さて、突然ですが、ここでみなさんに質問です。

あなたは旅行に行ったとき、どんな感じで旅気分を満喫していますか?

事前にガイドブックやネットで調べた観光地をなんとなく巡り、なんとなくご当地グルメを堪能し、お土産を見つくろって、帰路に着く。気が付けば、気だるい疲労感だけが残った、なぁんてことはありませんか?

そんな予定調和の楽しみ方で、本当にあなたの旅気分は満足出来ましたか?

実はとっておきの楽しみ方があるんです、それをみなさんだけにお教えしましょう!

それは、観光地の名所・旧跡の魅力をしっかりと伝えてくれるガイドの方に案内をしてもらって、その話に耳を傾けてみることです。

にわか仕込みのウィキペディアで調べた知識より、ガイドさんから生で聞く熱のこもった語りの方が、不思議とあとでしっかりと耳学問として記憶に刻まれているものなのです。

仙台城では、そんな伊達政宗愛に溢れたボランティアガイドがみなさんのお越しを心よりお待ちしております。ぜひ、気軽に声をお掛けくださいね。

伊達政宗のあんなこと、こんなこと。いっぱい土産話として持ち帰って、それをご家族やお知り合いの方に語って頂けたら、ガイドとしてこれ以上の報酬はありません。

このブログとガイドのコラボで、伊達な仙台旅を満喫しちゃいましょう!(^o^)

仙台城ガイドボランティア会のブログをご覧頂きまして、ありがとうございます。m(_ _)m

 

私たちは学生時代、日本史の教科書でこのように教えられてきましたね。

 

源頼朝が開いた初の武家政権の鎌倉幕府。成立した1192年を「いい国作ろう鎌倉幕府」なんて、語呂合わせで覚えさせられましたが、昨今では、頼朝が全国に守護と地頭を設置した1185年=「いい箱作ろう」説が有力なんだとか。

 

そして、建武の申請を経て誕生したのが足利尊氏の室町幕府。これは、三代将軍の足利義満が京都の室町の花の御所で政務を行ったことから名づけられ、呼び名は後付けです。

 

その後、織田信長、豊臣秀吉の安土桃山時代を経て、徳川家康の江戸幕府へとバトンが渡されました。

 

でも、みなさんは不思議に思ったことはありませんか?

 

学校では習ったけど、そもそも当時の人たちも政(まつりごと)をする政府のことを「鎌倉幕府」とか「江戸幕府」と呼んでいたのでしょうか?

 

例えば、「最近の幕府のやることは、じぇんじぇん庶民に寄り添ってねぇよなぁ」

 

なんてぼやいた会話が庶民の間でなされていたのか?

 

結論から言うと、答えはNO!なのです。

 

もともと「幕府」という言葉は、古代中国で「将軍の出陣中の本陣(陣幕を張った場所)」を指す言葉でした。  日本にこの言葉が入ってきた際、最初は「近衛大将(天皇を警護する長官)」の唐名(中国風の別名)や、その「居館(住まい・役所)」を指す言葉として使われ始めました。

 

ただ、一般に広まって使われていたわけではなく、「将軍のお屋敷」や漢文的な表現として一部のインテリ層が知っている程度だったようです。当時の知識人や武士たちは、ストレートに「江戸城」や「将軍様」と言う代わりに、中国の故事に倣って「幕府」または「柳営」(りゅうえい)といった漢語を使って、風流に表現していました。

 

現代人は「内閣」や「政府」のように、人ではなく**「システムや組織」**の名前で国を認識しています。しかし当時は、政治の権力はあくまで人に帰属していたため、「誰が(どこが)治めているか」=「〇〇殿」「〇〇家」「公方様」と呼ぶのが自然な感覚でした。

 

じゃあ、鎌倉、室町、江戸それぞれの政府は一般的には何と呼ばれていたのか?

 

まずは、鎌倉幕府ですが、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のタイトルにもなった①「鎌倉殿(かまくらどの)」。もともとは源頼朝個人を指す敬称ですが、それがそのまま「鎌倉の政権」を指す言葉として定着しました。

 

②関東(かんとう)京都(朝廷)から見て東にある政権、という意味です。幕府が東国の土地を支配することを「関東御領」、幕府からの使者を「関東御使」と呼ぶなど、単なる地名ではなく「鎌倉政権」と同義で使われました。

 

③武家(ぶけ)
京都の「公家(くげ)」に対する言葉として使われました。「武家政権」というニュアンスに一番近い当時の表現です。

 

続いて、室町幕府は①室町殿(むろまちどの)第3代将軍・足利義満が、京都の「室町」という通りに面した場所に豪華な邸宅(花の御所)を構えたため、将軍や政権のことをこう呼ぶようになりました。

 

②公方(くぼう)もともとは「天皇」や「朝廷(公の権力)」を指す言葉でしたが、足利将軍家が実質的な国のトップになったことで、将軍やその政権そのものを「公方様」「公方」と呼ぶようになりました。(大河ドラマ豊臣兄弟でも、足利義昭のことを公方様と呼んでいましたね)

 

最後に、江戸時代の人々は、自分たちの政府(中央政権)のことを「幕府」とは呼ばず、主に「公儀(こうぎ)」や「大権現様(家康)のお上」などと呼んでいました。  また、現代でいう「〇〇藩」も当時は使われず、「〇〇家」や「〇〇領」「家中」と呼ぶのが普通でした。

 

では、どうして「幕府」という概念が固められたのか?

 

「徳川の政権体制」そのものを「幕府」と呼ぶようになったのは、江戸時代後期(幕末近く)に尊王論(朝廷を敬う学問)を唱えた水戸学の学者たち(藤田幽谷など)が、「天子(天皇)から政務を委任された将軍の政府」というニュアンスを込めて「幕府」という言葉を文章で頻繁に使い始めました。  倒幕運動と明治政府により定着。幕末になると、「朝廷」対「幕府」という対立構造を明確にするため、志士や政局の中で「討幕」「幕府」という言葉が広まりました。さらに明治時代に入ると、新政府が過去の武家政権を歴史的に整理・分析する概念として「鎌倉幕府」「室町幕府」「江戸幕府」という区分を定義し、教科書などを通じて一般に定着したということのようです。

 

歴史の新常識、覚えておきましょう! !(^^)!

 

昨今の歴史研究の進展は目覚ましいものがあり、過去の書物に記された史実や出来事などとは別の説が発表されたり、歴史認識が改められたりしている事も多く見受けられます。このブログで書かれたことは、諸説ある中でも多く語られることの多い部分を抽出して書かれたものであり、歴史認識や見解の確からしさを断定するものではありませんことをご理解頂きますようお願い申し上げます。