妻は修羅場で愛する夫の生命を守れるか? | 「ガイドが教える 仙台城を10倍楽しむ方法!」

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仙台観光をお考えの方は、旅支度の前に予習としてご一読を頂ければ、仙台城が10倍楽しめるかも。

仙台城ガイドボランティア会のブログをご覧頂き、ありがとうございます。m(_ _)m

 

以前、仙台城のあんなとこ・こんなとこというテーマで、「仙台城の伊達政宗の騎馬像の台座の「伊達政宗卿」のあの文字を書いたのは誰?」というブログを書きました。

 

 

その方は、第30代内閣総理大臣を務められた斎藤實(さいとうまこと)さんでして、詳しくはそのときのブログを読んで頂きたいのですけど、↓

 

このときのブログにも書いたように、斎藤實さんはあの昭和11年の二・二六事件で無念にも銃弾に倒れてお亡くなりになっている。

 

大変悼ましい出来事であり、軍の一部の人間達が武力でもって政府の要人を襲撃するなどということは、あってはならないこと。

 

この事件で凶弾に倒れたのは、斎藤實(内大臣)、高橋是清(大蔵大臣)、渡辺錠太郎(教育総監)、松尾伝蔵(内閣嘱託、陸軍歩兵大佐)、この他に事件に巻き込まれた警察官5名も命を落としている。

 

実はこの 二・二六事件で意外と知られていない、隠れたエピソードが2つある。

 

その1「妻が身を挺して夫の生命を守れた人、守れなかった人」である。

 

まずは、「命を守れなかったケース」から紹介しましょう。

 

前述した斎藤實さんの場合、自宅を襲撃した将校は80名ほど。今だったら不法家宅侵入と殺人の罪で刑務所行きなのでしょうが、彼らはあろうことか内大臣に対して47発の銃弾と数十か所の刀傷を追わせて命を奪っている。

 

この銃撃されたとき、奥さんの春子夫人は「私も撃ちなさい!」と叫び、夫の体に覆いかぶさり庇(かば)おうとしましたが、将校に引き離され、将校は躊躇することなく斎藤さんにとどめを刺したということです。

 

自分の身を呈して、夫の命を守ろうとした春子夫人。その時は一緒に天国へ旅立つことも覚悟したんでしょう。そんな修羅場を目の当たりにした春子夫人はその後、98歳まで長寿を全うし、1971年にこの世を去っている。

 

一方で、「命を守れた人」のケース。

 

海軍出身の侍従長だった鈴木貫太郎さんも襲われ、銃撃を受けました。

このときの奥さんのとっさの行動がこれまた凄いのです。銃弾を受けた鈴木さんに将校がとどめを刺そうとしたとき、奥さんは「この状態ならどうせ助からない。どうしても必要なら私がとどめを刺すから容赦してくれ!」という発言が受け入れられ、将校たちはその場を立ち去った。

 

その後、鈴木貫太郎さんは一命をとりとめ9年後、連合国との戦争終結交渉という大仕事をすることになる第42代内閣総理大臣を務めることになる。

 

いやぁ、聞くも美談、語るも美談。あなたのパートナーは果たして修羅場で愛する人の命を身を挺して、機転を効かせて、守ってくれるでしょうか?いや、たぶん守ってくれるはずです、きっと。

 

その2「人違いで命を落とした人、命拾いをした人」

 

なんとも解せない殺戮の嵐の二・二六事件。そこには、アンビリーバボーな偶然もありました。

 

襲撃犯たちのメインターゲットだったのが、第31代内閣総理大臣だった岡田啓介(お笑いタレントの方ではありません)

 

真っ先に襲われるはずだったのだが、首相官邸を襲った部隊は岡田ではなく、秘書官を務めていた松尾伝蔵を射殺!えっなんで?と思うでしょう。実は松尾は顔つきも体型も岡田によく似ていて、な、なんと襲撃犯は岡田首相と松尾を勘違いして射殺してしまったのです。

 

逆に岡田は難を逃れ、官邸からの脱出に成功している。(この人は84歳まで長寿を全う)

 

世の中というのは、何が幸いして何が災いするか分からないものです。

 

翌27日未明に帝都東京には厳令が敷かれる。戒厳令とは、非常時に一時的にその地域の公に属する権利を軍に所属させるもの。具体的には立入禁止区域の設定、移動の制限、夜間外出の禁止が実施されたのですが、これが解除されたのは半年後の7月16日だったそうです。

 

つくづく平和な世の中の尊さ、ありがたさを噛み締めたいものです。

 

あの「伊達政宗卿」の文字を見たら、このエピソードを思い出してくださいね。

 

昨今の歴史研究の進展は目覚ましいものがあり、過去の書物に記された史実や出来事などとは別の説が発表されたり、歴史認識が改められたりしている事も多く見受けられます。このブログで書かれたことは、諸説ある中でも多く語られることの多い部分を抽出して書かれたものであり、歴史認識や見解の確からしさを断定するものではありませんことをご理解頂きますようお願い申し上げます。