仙台から電車で30分の塩竈に意外なトリビアを発見! | 「ガイドが教える 仙台城を10倍楽しむ方法!」

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仙台城のボランティアガイドが、仙台城の魅力や伊達政宗のトリビアな話を出し惜しみせず、ボリューム満載で語り尽くしまーす。(^_^)

仙台観光をお考えの方は、旅支度の前に予習としてご一読を頂ければ、仙台城が10倍楽しめるかも。

仙台城ガイドボランティア会のブログをご覧頂き、ありがとうございます。m(_ _)m

 

仙台駅から電車で約30分行ったところにある港町、塩竈市。(仙石線と東北本線があります)

 

 

奥州一宮として多くの参拝客が訪れる鹽竈神社が鎮座し、生マグロの水揚げランキングでは常にベスト5入りし、塩釜仲卸市場は「マイ海鮮丼」を楽しむ観光客で賑わう。

 

そんな塩竈のちょっと得した気分になるトリビアを紹介しましょう。

 

その1「佐浦酒造の始まり」

 

塩釜に降り立ったら、日本酒好きの方は、素通りできないのが「佐浦酒造」。

1724年創業の日本酒の蔵元です。代表銘柄は「浦霞(うらかすみ)」で、特に純米吟醸「浦霞禅」は吟醸酒をいち早く市販した草分け的存在です。

 

その佐浦酒造さんの近くには、佐浦さんの歴史を事細かに説明する看板があります。

 

ここで、最初のトリビア!

 

なんと、佐浦酒造さんの「佐浦」という名前は、江戸時代の初め頃に京都から仙台藩の塩釜に移り住んだ佐藤七左衛門さんという人がおりまして、その方の次男の富右衛門さんが三浦さんのところに婿養子に入ったそうなんです。その後、独立をした際に「佐藤」の「佐」と「三浦」の「浦」の字を一文字ずつもらって、合わせ技で出来たのが「佐浦」姓のおこりなのだそうです。

 

なるほど、「佐浦」ってなかなか聞かない苗字だと思ったら、そういう理由だったんですね。

 

ちなみに、佐浦さんの代表銘柄である「浦霞」は鎌倉幕府の三代将軍源実朝が詠んだ「塩竈の浦の松風霞むなり 八十島掛けて 春やたつらむ」という和歌の「浦」と「霞」にちなんで名付けられたそうなんですが、こちらも「浦」と「霞」の合わせ技という不思議なめぐり合わせ。

 

その2「おさんこ茶屋の始まり」

 

塩竈でも老舗の甘味処として、名前が知れ渡っている「おさんこ茶屋」。

 

実はこちらにも、おさんこ茶屋の歴史を説明する看板があります。

 

ここで、2つ目のトリビア!!

 

「おさんこ茶屋」というお店の由来はというと、これも江戸時代に鈴木喜惣右衛門さんという寺社建築の宮大工の棟梁がおりまして、喜惣右衛門さんは仙台藩から苗字帯刀を許されていたというのですから、当時としてはけっこうな身分の方だったようです。

 

仙台藩ではあの”寛文事件”(俗に言う伊達騒動)以来、仙台城下では遊郭や芸能興業を禁止され、その代わりに少し離れた塩竈では公認しておりました。鈴木さんのお屋敷は広かったので、芸能興業会場として使われ、芝居、寄席、浪曲、義太夫なんかが演じられていました。

 

そうして、二代目鈴木惣右衛門さん(昔は跡継ぎが先代の名前を襲名)の時代に、奥さんが自宅の軒先で甘味やお茶を提供する茶屋を始めました。(のちに鹽竈神社の境内にも出店)

この茶屋を継いだ「さん」という名の娘さんが器量良し(べっぴん)で看板娘となり、お店は一層繁盛しました。その名を取って、「おさん」の「茶屋」で「おさんこ茶屋」となった。

 

ちなみに、こちらがおさんこ茶屋を代表するお団子(左から、みたらし、ごま、くるみ、あんこ、ずんだ)

 

その3「古事記の世界の意外な人物が登場」

 

こちら、塩釜の西町にある四方跡公園に掲げられた紹介看板なのですが、ここの「おこしかけ石」の二行目の「存続した所とされています」のあと、「またここには~」の部分に注目です。

 

なんと、塩土老翁神(しおつちおじのかみ)が休まれたとされる「おこしかけ石」があると言い伝えられていて、猿田彦の石碑の前にある六角形の石がそれであるとも言われ~と書かれてある。

 

ここで、塩土老翁神をご存じない方のために説明をしますと、塩土老翁神(しおつちおじのかみ)は、人々に塩作りを教えた神様なのですが、最も有名なのは、天孫降臨で高天原から地上界に降り立った天津彦彦火瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)と木花開耶姫(コノハナサクヤビメ)の息子である山幸彦(山で暮らす神)が兄の海幸彦から借りた釣り針をなくして困っていた時、海の神様であるワタツミの宮殿へ行く道を教えたのが、塩土老翁なのです。

 

さらに、初代天皇(神武天皇)になる神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)が東征する際、東に良い土地があることを伝え、その旅を導いたのも塩土老翁なのであります。

(進むべき道を示す導きの神とも言われている)

 

その偉大な神様であらせられる「塩土老翁」が休まれたとされる猿田彦の石碑の前のおこしかけ石(!?)なのかもしれない六角形の石がこちら↓

う~ん、そういえば塩作りの神様だけに、座りになったところに塩っぽい痕跡が残っているけど、それってひょっとして、、、。

 

もし、本当に塩土老翁がお座りになったんだとしたら、「紀元節」を辿ったとして、この石は少なくとも、紀元前660年よりも前からここにあった、ということになりますけど。

もし、それが本当だとしたら、660+2025=2685年前ってどえらいことですよ!


信じる、信じないはあなた次第です。

 

気になった方は、ぜひとも現地を訪れてみてください。ひょっとして、この石に宿った紀元前からのミステリーパワーにプラス、塩土老翁神のご利益が半端ないパワースポットだったりして?

 

※昨今の歴史研究の進展は目覚ましいものがあり、過去の書物に記された史実や出来事などとは別の説が発表されたり、歴史認識が改められたりしている事も多く見受けられます。このブログで書かれたことは、諸説ある中でも多く語られることの多い部分を抽出して書かれたものであり、歴史認識や見解の確からしさを断定するものではありませんことをご理解頂きますようお願い申し上げます。