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1589年(天正17年)の摺上原の戦いで会津の蘆名氏に勝利し、南奥州の覇者となった政宗様。
まさに翔ぶ鳥を落とす勢いでしたが、このときすでに天下の趨勢(すうせい)は豊臣秀吉の世へと移り変わっておりました。
政宗様が天下獲りの野望をどこまで抱いていたのかは定かではありませんが、少なくとも南奥州の半分を得て戦国の世の国盗り合戦を終戦させようとは思っていなかったはず。
されど、多勢に無勢。そこは情勢を見極めつつ、無念ながら秀吉に臣下の礼を表明します。
世に語られる死に装束での秀吉謁見(諸説あり)、その他一揆扇動疑惑の弁明に伴う死に装束&黄金の磔柱(諸説あり)など、派手なパフォーマンスと卓越したアイデアと肝っ玉で虎口を脱してきた政宗様。
そんな政宗様と太閤秀吉様との間でこんな出来事がありました。
ある宴の席で、秀吉様が政宗様に茶を勧めましたが、その際、秀吉様が「毒が入っているかもしれない」と冗談を言いました。そんなことは気にせずに茶を飲み干した政宗様が一言、「秀吉様がこの政宗に毒を盛るようなお人なら、この天下は安泰ではありませんな」と返しました。
みなさんはこのエピソード、どう感じましたか?
つまり、どう考えても力関係、上下関係から言ったら明らかに政宗様の方が下手に出てYESマンとして話を合わせてご機嫌を取るしかない立場。
会社勤めをしている方でしたら分かるでしょうけど、宴席で社長に対して気の利いた切り返し発言をしたとして、単なる戯言で済むとは到底思えません。ヘタをしたら、その後の会社員生活に暗雲が立ち込めるかもしれません。
でも、伊達政宗様は天下人に対して卑屈になることなく、なんなら皮肉を込めた切り返し発言で、秀吉を黙らせています。
さすがは我らが政宗様、肝っ玉の太さととっさの機転の凄さを示すナイスなエピソードですね。
ただし、くれぐれもみなさんはまねをなさらないように。m(_ _)m
※昨今の歴史研究の進展は目覚ましいものがあり、過去の書物に記された史実や出来事などとは別の説が発表されたり、歴史認識が改められたりしている事も多く見受けられます。このブログで書かれたことは、諸説ある中でも多く語られることの多い部分を抽出して書かれたものであり、歴史認識や見解の確からしさを断定するものではありませんことをご理解頂きますようお願い申し上げます。