あなたは知っていましたか?「政宗公前立ての秘密」 | 「ガイドが教える 仙台城を10倍楽しむ方法!」

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戦国時代の武将たちにとって最も重要な頭部を守る甲冑が「兜」です。なかでも歴史に名を連ねる名将たちは、頭部を守るという防具の意味以上に、戦場で目立ち、威厳や地位を誇示するため自らの兜に個性的な立物を取り付けました。歴史上の名将たちが自らの矜持や信念を表す兜のデザインは、今なお人々の心を動かします。

兜には、各部位ごとに「前立て」「兜鉢」「吹返」「錣」「目庇」「面頬」といったように細かく名称が分けられ、多くの部品から成り立っています。

 

 

その中でも兜の正面にある「立物」(たてもの)は一番目立つ部分なのですが、デビューは平安時代以降。初期には兜と「一体型」の前立が一般的でしたが、衝撃を受けた際に外れやすくすることによって、頭へのダメージを和らげる効果があることから「楔形」(くさびがた)の前立が広く使われるようになりました。

 

歴史上有名な兜には様々なものがありますが、独眼竜の異名で名を馳せた伊達政宗様の兜の前立は🌙。ひじょうにシンプルではありますが、一度見たら忘れられない左右非対称の大きな三日月のデザインが印象的です。

 

このかっこいい個性的な前立が鎧の”黒漆五枚胴具足”のよう代々受け継がれていったのであろうと思われがちですが、実はこの三日月の前立を使っていたのは、初代仙台藩主の政宗様だけで、2代藩主の忠宗公以降は三日月ではなく半月でした。(偉大な政宗様に敬意を払っていたんですかね)

 

この三日月の前立てを定めたのは、父である伊達輝宗公のようです。
政宗様がご誕生の際、輝宗公は政宗様の旗印を白地に赤い丸の「白地赤日の丸旗」、兜の前立ては「月」としました。旗は「太陽」、前立は「月」ということになります。

 

北極星または北斗七星を神格化した妙見菩薩に対する妙見信仰では、太陽は仏教における金剛界(こんごうかい)で大日如来の知恵を表し、月は胎蔵界(たいぞうかい)で仏の慈悲を表すと言われています。つまり、輝宗公は政宗様に最大限の神仏のご加護をと、旗印と前立てを決めたのでしょう。


いにしえより、太陽と月はどちらも形は◯ですが、それだと太陽と月の区別がつかなくなるので、「月」を表すには三日月が用いられていました。新月から三日月になり、徐々に満ちていく月の姿が、天下を狙う政宗の志とシンクロしていくことを願ったという見方も出来ます。
 

そうそう、前述した仙台2代藩主以降の前立てが半月だという話。きっとそこには政宗様への敬意もあったのでしょうが、戦のない平和な時代になったとしても、「いざ出陣!」の心構えを忘れないようにという戒めも含まれていたのかもしれませんね。
 

ちなみに、政宗様の辞世の句は

 

「曇りなき心の月を先立てて浮世の闇を照らしてぞ行く」

 

兜の月は人生の道を照らし続けた政宗様の心だとすれば、ロマンがありますよね。

 

※昨今の歴史研究の進展は目覚ましいものがあり、過去の書物に記された史実や出来事などとは別の説が発表されたり、歴史認識が改められたりしている事も多く見受けられます。このブログで書かれたことは、諸説ある中でも多く語られることの多い部分を抽出して書かれたものであり、歴史認識や見解の確からしさを断定するものではありませんことをご理解頂きますようお願い申し上げます。