政宗様が死装束(白装束)で秀吉に謁見した話はウソ?ホント? | 「ガイドが教える 仙台城を10倍楽しむ方法!」

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仙台城のボランティアガイドが、仙台城の魅力や伊達政宗のトリビアな話を出し惜しみせず、ボリューム満載で語り尽くしまーす。(^_^)

仙台観光をお考えの方は、旅支度の前に予習としてご一読を頂ければ、仙台城が10倍楽しめるかも。

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伊達政宗様の有名なエピソードとして、昔から語り継がれている話としまして、政宗様が小田原に参陣し太閤秀吉と謁見する際、死装束(白装束)で謁見したという話があります。

 

大河ドラマ「独眼竜政宗」では、勝新太郎が演じる豊臣秀吉と渡辺謙が演じる伊達政宗が初対面するシーン。なんでも勝新太郎はこの場面のリアルさを追求するため、渡辺謙とは事前に面会をしなかったんだとか。

 

私たちボランティアガイドも当たり前のように刷り込まれ、語り継いできたこの名シーン。

実は昨今の歴史研究により、この史実が不確かであることが紐解かれつつあります。

 

すでに故人となられていますが、伊達氏の研究では第一人者とされている小林清治氏という歴史学者がおられました。

この小林氏が、昭和34年に吉川弘文館から刊行した著書『伊達政宗』の中で「加賀藩の兵学者だった関屋政春がまとめた『乙夜之書物』(いつやのかきもの)という見聞録に、政宗様が死装束で秀吉の前に出た…との記述を見つけた」と発表をしているのです。

 

「伊達氏研究の第一人者が発表したのだから、間違いはないのだろう。」と、誰もがこの政宗様の死装束のエピソードが実話だとして世間に広まり、次第に通説へと定着していきました。

 

しかし、近年の研究で『乙夜之書物』には、小林氏が紹介したような政宗の着衣に関する記述はどこにも存在しないということが判明したのです。つまり、信憑性が疑わしい、、、。


もしかすると小林氏は、別の史料から発見した政宗様の死装束の話を、誤って『乙夜之書物』に書いてあるとしたのかも知れないのですが、その別の史料がなんなのか現時点では確かめようがない。定かでない以上は、根拠や裏付け資料がはっきりしないものは昨今では単なる俗説であるという解釈になります。

なので、現時点では政宗様の「死装束(白装束)話」の白黒は分からないということになりますが、限りなく造られたエピソードの可能性が高いグレーということのようです。

 

逸話の多い政宗様ですから、叩けば多少のホコリも出てくるでしょう。

でも、なんとなく政宗様だからあの光景が様になっているように思えるのは、私だけでは無いはずです。日本一の伊達男が天下人との初対面で、アカデミー賞で言うところの監督賞と作品賞と主演男優賞と脚本賞と脚色賞と衣装デザイン賞の6部門をかっさらう。

 

これ、痛快だとは思いませんか?

 

※昨今の歴史研究の進展は目覚ましいものがあり、過去の書物に記された史実や出来事などとは別の説が発表されたり、歴史認識が改められたりしている事も多く見受けられます。このブログで書かれたことは、諸説ある中でも多く語られることの多い部分を抽出して書かれたものであり、歴史認識や見解の確からしさを断定するものではありませんことをご理解頂きますようお願い申し上げます。