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1人の女性が生涯に産む子どもの数のことを合計特殊出生率と言いますが、2021年は1.30だったと厚生労働省が発表しました。実に、6年連続の減少で、出生数も過去最少。
新型コロナウイルス禍後に出生数を回復させた欧米とは反対に、コロナの影響でますます人口減少の加速に歯止めがかからない、我が国ニッポン。
なんとか、日本という国が存続するために良い方向に向かって欲しいものです。
さて、日本の歴史において教科書や一般的な史実に名前を残している人物の中で一番の子だくさんだった人はいったい誰なんでしょう?まあ、我らが伊達政宗様に至っても確認されているだけで16人の子供がいた分けなんですから、そりゃあトップと言ったら当然抜きん出ているんでしょうね。
会話の中でこうしたネタフリをされた時のために、この二人の名前を覚えておきましょう!
まず一人目が第52代天皇である嵯峨天皇(786~842)。
彼は56年の生涯に皇子・皇女を50人ほど儲けております。(もちろん、一人の奥さんからではありません)
二人目が徳川幕府の11代将軍である徳川家斉(1773~1841)。
彼は、55人から57人の子供を儲けたという記録があります。(こちらも、一人の奥さんからではありません)
それにしても、これだけ子供がたくさんいたのでは、子供全員の名前を、たぶん覚えられなかったんじゃないかと、、、。(-_-;)
でも、全員が一堂に顔を合わせるなんてこともなかったんでしょうけどね。
嵯峨天皇の子供達にはこんなエピソードがあります。
幼少時の死亡率が極めて高かった中世において、彼の子供達は無事に育った子供の方が多かった。多くの子供が成人するのは良いことなのですが、実際に皇位継承できる皇子はごく少数に限られており、平安前期から中期にかけて、皇位継承の道を閉ざされた皇族が多数発生することになった。
そうした皇子の中には国家の厚遇にかこつけて問題を起こす者もいた。まあ、「どうせ、俺は皇位継承権が無いんだからさ」と、やさぐれた人が多かったんでしょうかね。
こうした皇親に対しても律令の定めにより一定の所得が与えられることで徐々に財政を圧迫する要因となっていきます。そこで、皇位継承の可能性がなくなった皇親たちに姓を与えて臣籍降下させる皇親賜姓(こうしんしせい)が行われるようになりました。分かりやすく言うと「天皇と同等の新しい姓を与えてやるから皇籍から抜けてちょうだい。」と懇願したのです。
そうして、嵯峨天皇の親王・内親王のうちの32人が「源氏」の姓を与えられて臣籍降下することとなった。ちなみに、「源氏」というのは「源(みなもと)を天皇と同じくするという意味。
この嵯峨天皇以外にも歴代天皇の多くが親王や内親王を「源氏」に臣籍降下させていきました。清和源氏、宇多源氏、村上源氏などなど。なので、源氏は一大勢力となるのです。
それに比べて、桓武天皇の臣籍降下による「平氏」は桓武天皇一代のみによるもので、それほどの数では無かったんだとか。
つまり、嵯峨天皇を始めとする天皇が子供を多く産ませ過ぎたことによって歴史の流れはこうなったと見ることが出来ます。
皇族過多→源氏や平氏に臣籍降下→豪族・武士の台頭→源平合戦→武家政権(鎌倉幕府)樹立
歴史に「たら・れば」はありませんが、子供が無事に成長することが難しかった時代ですから、
一概には言えませんが、もし、子供の数がほどほどだったら、臣籍降下の乱発をしなくてもよかったわけで、結果武士の世に取って変わられることも無かったのでは?という仮説も立てられます。
子だくさんのエピソードは二人目の徳川家斉にもありました。
家斉は40人の側室を持ち、その中の16人に男子28人、女子27人を産ませているのですが、その半数以上が早世(早くに亡くなっている)しました。とはいえ、残りの半分は立派に成人しました。そうなると、成人した将軍の息子や娘ということは、出来はともかく折り紙つきのサラブレッド!この人たちの対処に幕府も頭を悩ませることになるのです。
将軍の子ですから「臣籍降下」みたいな中途半端な見切処分なんて出来ません。なので、それ相応のところに、養子に出したり、嫁がせたりしました。これにより、結納金やらお供の人を付けたりと、これまた幕府の出費が増大。受け入れる側の諸藩も、それ相応の屋敷をあてがったり、厚遇をしなければならない分けですから、これまた莫大な出費を余儀なくされ、財政が圧迫されていきました。
つまり、家斉の子だくさんの場合だとこういう仮説が成り立ちます。
家斉ジュニアーズ成人→養子・婚礼作戦→幕府財政困窮・諸藩も困窮→幕府弱体化→討幕
嵯峨天皇、徳川家斉いずれにしても「お家」のためと励んだことが、結果的に自分が巻いた種が原因で「お家」の首を絞めることになった、という見方が出来るのかもしれません。
なにごとも「腹八分目」に勝る格言は無いのかな?
※昨今の歴史研究の進展は目覚ましいものがあり、過去の書物に記された史実や出来事などとは別の説が発表されたり、歴史認識が改められたりしている事も多く見受けられます。このブログで書かれたことは、諸説ある中でも多く語られることの多い部分を抽出して書かれたものであり、歴史認識や見解の確からしさを断定するものではありませんことをご理解頂きますようお願い申し上げます。