みなさんのよく知る伊達政宗って生まれてなかったかも!? | 「ガイドが教える 仙台城を10倍楽しむ方法!」

「ガイドが教える 仙台城を10倍楽しむ方法!」

仙台城のボランティアガイドが、仙台城の魅力や伊達政宗のトリビアな話を出し惜しみせず、ボリューム満載で語り尽くしまーす。(^_^)

仙台観光をお考えの方は、旅支度の前に予習としてご一読を頂ければ、仙台城が10倍楽しめるかも。

仙台城ガイドボランティア会のブログをご覧頂きまして、ありがとうございます。m(_ _)m

 

テレビや雑誌で戦国武将の人気ランキングを実施するとほぼ間違いなくBEST5には入る、我らが伊達政宗様。この不動の人気の秘密はなんなのか?

 

兜や甲冑の格好良さ?派手なエピソード?やっぱり伊達な男っぷり?

 

そんな、みなさんのよく知る伊達政宗様が生まれなかったかもしれないとは、これいかに?

 

時代は政宗様のお爺ちゃん、伊達晴宗の若き頃にさかのぼります。

 

政宗様のお爺ちゃんは名前を晴宗って言います。「晴」って漢字が使われているということは、勘の良い方ならお気づきかもしれませんが、室町幕府の12代将軍足利義晴様から一文字拝領したということなります。これを偏諱(へんき)と呼びます。

この晴宗おじいちゃん。若い頃はけっこうなやんちゃ者だった。(これって、伊達家の血筋なのかな)彼が24歳の時、政宗様から見て曾お爺ちゃんの稙宗と実に6年にも及ぶ奥州を巻き込んだ親子げんか(天文の乱)を始める。最後には将軍足利義晴の仲裁で和睦するんですが、結果的には晴宗方が勝利し、父である稙宗を丸森に隠居(幽閉)させることになりました。

これだけでも、十分バイタリティに溢れた晴宗お爺ちゃんなのですが、彼のエピソードとして語らずにはいられないのが、彼の「ラブストーリーは突然に」物語についてである。

彼は鷹狩りの時に、奥州一の美女と呼ばれた岩城重隆の娘、久保姫に一目ぼれをしてしまう。

ところが、彼女にはすでに婚約者がいた。(白川城主 結城清綱)

しかし、そんなことで諦めると思います?この人。

かくして彼の「ミッション・インポッシブル」がスタートした。

なんと、婚礼の日取りを内偵し、精兵300余騎、軍兵2,000を率いて待ち伏せし
婚礼の行列を急襲し、久保姫を略奪してしまう。

まさに、映画「卒業」のクライマックスの1シーン? 

これには新婦の父岩城重隆も激怒!しかし、拉致された久保姫は晴宗の強引なアタックにまんざらでも無い様子(イケメンだったのかな?)ついには、父の重隆に「頼むから彼を許して!と懇願する。」

愛する娘に泣きつかれてしまったら、重隆も弱い。よくよく考えてみれば、伊達家も有力者な分けだし、
お家の栄達を考えれば、悪い話ではない。と、すんなり二人の結婚を承諾。
 

 ただし、交換条件として晴宗と姫の間に生まれた男子の第一子を岩城家の養子にするということで決着。(重隆には跡継ぎがいなかったので)

こうして、リアル略奪婚が見事に成立。二人は晴れて夫婦となり、久保姫は晴宗の正室となったのでありました。

そして、約束通り男子の第一子は岩城家へ、そしで第二子が伊達家の跡取りの輝宗様(政宗のパパ)になったという分けなのです。

 あれ?ということはですよ、こんな仮説が成り立ちますよね。

もし、晴宗お爺ちゃんが「花嫁強奪作戦」を敢行しなかったら、政宗の父親は輝宗様ではなかったかもしれない。だって第一子は岩城家の後継ぎとして差し出したんだものね。まあ、誰かは伊達家を継いだんだろうけど、果たしてみんながよく知る日本一の伊達男の伊達政宗がイコールの人物だったのかどうか?

そう考えると、晴宗様の「ラブストーリーは突然に」作戦があって、伊達家十七代当主であり初代仙台藩祖の伊達政宗様に辿り着いたという見方も出来るのであります。

「♪あの日 あの時 あの場所で 君に会えなかったら 僕らは いつまでも 見知らぬふたりの まま♪」BY 小田和正

考えてみると、武士の世は結婚を敵との交渉材料にした政略結婚がほとんど。なのに、そんな常識を度返しして「奥州の中心で愛を叫んだ」晴宗お爺ちゃんって、実はステキな伊達男だったのかな。(^o^)

 ※昨今の歴史研究の進展は目覚ましいものがあり、過去の書物に記された史実や出来事などとは別の説が発表されたり、歴史認識が改められたりしている事も多く見受けられます。このブログで書かれたことは、諸説ある中でも多く語られることの多い部分を抽出して書かれたものであり、歴史認識や見解の確からしさを断定するものではありませんことをご理解頂きますようお願い申し上げます。