戯曲の話「アガメムノーン」アイスキュロス・作

 

■はじめに

古典戯曲を読み返して、そのドラマ作品に潜む人間の「情念」を探ってみようというこの企画。

まずは西洋のギリシャ悲劇から始めて、近代劇、現代劇。そして日本の劇についても触れていけたらな……と思っています。(*゚ー゚)ゞ

 

■今回の作品は?

2回目の今回は引き続きギリシャ悲劇より

「アガメムノーン」アイスキュロス・作です。

(ギリシア悲劇全集Ⅰ巻より)

 

■簡単な概要

本作は3部作の1本目です。(ギリシャ悲劇は3部作上演が基本だったと言います。この「アガメムノーン」を含め、「供養する女たち」「慈しむ女たち」の3作品をまとめて「オレステイア」と呼ぶそうです。そしてなによりこの「オレステイア」が現存する唯一の3部作形式を伝えるギリシャ悲劇ということだそうです。)

 

この「オレステイア」の主題は解説によれば、神々の呪いと血族間の殺し合い、または「運命劇」の中に、深い人性への洞察と力強いデモーニッシュな人物の動きをその詩人の力をもって描き切った作品とのことです。。

 

さて「アガメムノーン」についてですが、この話は、トロイア遠征軍の総帥たるアガメムノーンの凱旋から始まり、王妃の深い企み、やがて凶行の成就を経て、陰謀の片割れで王妃の情夫でもあるアイギストスの登場と語りで幕切れとなります。

全体的には不穏な空気に包まれている、そんなお芝居です。

なにより圧巻なのは、王妃クリュタイムネストラとカサンドラという二人の女性の狂気と恨み、憎しみのセリフの数々でしょう。

それがこの劇にうねりを与えていると言えそうです。

タイトルになっているアガメムノーンを含め、思いのほか男たちは個人的にはあまり印象に残りませんでした。(笑)

 

 

とにかくこの話は3部作の序曲として、クリュタイムネストラのアガメムノーン抹殺という、外面的には策謀と不正の勝利に終わります。(そしてまだ息子のオレステスは登場しません)

この続き(2部、3部)で、復讐と正義(罰もしくは償い、あるいは勝利)が展開されるようです。

 

それは続く「供養する女たち」「慈しむ女たち」を読んでみてのお楽しみというわけですが。

 

■どのような情念が感じられるか?

この「アガメムノーン」はなんといっても、

王妃クリュタイムネストラと奴隷となった巫女カサンドラの二人の女性が印象に残るお芝居です。

この二人の「狂気」と「憎悪」そして「呪い」が本作全体を貫いているように思われます。

 

とにかく二人の対比が見事に効いていて、ドキドキします。

 

また、補足ですが、「行いには必ず報いがあること」もこのお芝居を通したメッセージの一つなのかもしれません。

 

■今回の戯曲から探る作劇の法則を考えてみる。

・主要な登場人物に見せ場を与えること。

・登場人物をうまく対比的に描くことで、それぞれの人物像を際立させることができる。

 

今月も発売になりました。月刊ドラマ。

2017年4月号。

今月の掲載シナリオは
○円谷クリエイティブアワード受賞作
○MBSラジオドラマコンクール受賞作
○模倣犯 後篇 (森下直・作)

です。

巻頭の特集は
「テレビ・映画脚本家デビューの方法」

その他連載など、

とにかく盛りだくさんの内容でした。



今月号を読んでみて……

私的には、

企画書を書くことが思いの外、脚本を書くうえで重要だ!という印象を持ちました。

賞を受賞した作品は、技術的に優れている、というのは言うまでもないことですが

それ以上に

アイデアや強い物語性、切り口の斬新さなどは、脚本の技術うんぬんというよりも、作家としての「企画力」にポイントがあるのではないか。と思ったわけです。

そう。企画力です……。

脚本を書く前の、この企画の段階で、選考を通過する人としない人の差は実は決まってしまうのではないか。

それくらい、企画を考え抜くことが重要だと感じました。


「読んでみたい!」と言われる脚本を作るために企画力を磨いていくこと。


作品が伸び悩んでいる私としては、
まずはここから頑張りたい。と思いを新たにした所存です。

古典戯曲を読み返して、ドラマ作品に潜む人間の「情念」を探ろう。

そんな企画を始めてみたいと思います。

 

まずは西洋のギリシャ悲劇から始めて、近代劇、現代劇。

そして日本の劇についても触れていけたらな……と思っています。

 

初回の今日取り上げるのは、ギリシャ悲劇。アイスキュロスの作品から。

 

「縛られたプロメーテウス」です。  (ギリシャ悲劇全集・Ⅰ巻より)

 

 

 

■おおまかなあらすじ……

プロメーテウスが人間に火を与えたことによって、ゼウスから罰を受けて、引っ立てられるところから始まります。

そこで様々な神々が現れ、悔い改めるようにプロメーテウスを説得しようとしますが、プロメーテウスには罪の意識よりは皆目なく、耳を貸そうとはしません。

むしろ開き直って罰を甘んじて受けていると言ってもいいでしょう。

その結果、プロメーテウスは奈落の底に落とされるのでした……。

 

という感じでしょうか。

 

 

■本来は三部作の一部というこの作品。

 

本作を含め、

「解放されるプロメーテウス」

「火を運ぶプロメーテウス」

 

があったのではないかと言われています。

 

 

■さて、本作の特徴を振り返ってみますと、

 

台詞はとても仰々しく。

対話しているようなシーンでも独白に近いものを感じます。

 

舞台で人物がぶつかり合う問いよりも、

見ている人(観客)に語りかけるような言葉の数々という印象です。

 

かなり説明的なセリフもある中で、やや状況が理解できなかったところもありしました。

(私の読解力不足もありますが……)

 

決してわかりやすいお芝居ではない。というのが率直な感想です。

 

 

■さて、どのような「情念」が感じられるか、考えてみると……?

 

罰を受けながらも自分の行いの正当性を信じて疑わない、というプロメーテウスのキャラクターに本作の情念はあるのではないでしょうか。

 

他の神々からの様々な角度からの言葉に対しても、

 

迷わずに己を貫く。

 

この点が本作の中心にあるように私には思えました。

 

「自分の信念を貫く主人公の一貫した行動」という意味では、「オイディプス王」(ソフォクレス・作)のオイディプスとの類似性も考えられるかもしれません。

 

(ただし、オイディプス王の場合は、自分の行い(真実)を知って、絶望の淵に立たされるわけですが……)

 

 

とにかく、物語を引っ張る、強力な貫通行動(決してぶれない行動)を持った主人公像というのは昔々の戯曲からあったパターンなのだと再認識した次第です。

 

 

また、この「ぶれない自己を持った主人公」に観客が「共感」できるかどうかも重要なポイントです。

 

本作の場合、プロメーテウスはゼウス(神の世界)にとっては罪人ですが、人間にとっては火を与えてくれた恩人であることからわかるように、

観客(人間)はプロメーテウスの行動に同情し、感情移入することができるのではないかと推察されます。

 

 

■今日の戯曲からの作劇法則。

・強力な意思を持ったぶれない主人公は非常に魅力的である。

・また主人公に共感できるポイントは主人公の主体的な行動に絡めて持たせるとよい。