音楽の市場について調べてみていて。
 日本は世界で2番目にCDが売れる国、なんだそうです。
 日本人アーチストは、日本人向けに作る音楽だけでヒットを飛ばす事ができます。

 ……裏を返せば、日本語の曲が海外でヒットする事はほとんどない、という事です。

 海外でヒットした日本語の曲というと「SUKIYAKI」が挙げられます。逆に言うと、長い音楽の歴史の中で、1963年に一回あったきり、という事です。
 
 細かく見ていけば、ブラジルでのBOOMの「島唄」、インドネシアに行くと流れている五輪真弓の「心の友」、フィリピンの国民的な歌「ボルテスV」など、例外もないではないのですが、革命や災害など、特定の状況が元になっているので、曲が良いだけでヒットしたと単純には言えない所があります。
 海賊版で良ければ、アジアの観光地で日本語曲のテープが大量に売られているのを見ますが、これは実体がよくわからない上、アーチストの収入にはまったくなりません。
 収入と言えば、海外からの収入が最も多い、アニメの音楽は?
 歌に関して言うと、アニメは「子供向け」扱いなので、歌は現地の言葉に吹き替えられてしまいます。特にアメリカでは「別の曲になってる」事もよくあります。日本語曲を「原典」として愛好するのは、一部のコアなマニアだけのようですね。

 アートやアーチストという「外来語」で表す事に疑問を感じるくらい、日本語の歌は他の国に受け入れられる事は難しく、なかなか国境を越えていかないようです。
 歌なのに「歌えない」と、歌ではなくなってしまいます。
 抽象性が高い芸術であるはずの音楽が、レアな言語である日本語という壁によって遮られている、という感じでしょうか。

 日本語の歌は日本で鑑賞すればそれでいい、と言うなら、そうなのかもしれませんが……

 やっぱり言葉のギャップってなかなか埋まらず、独自の言葉は独自の文化なんだよな、と、言葉を使う芸能をやる身としては、ちょっと考えてしまうのです。
 私的には「おお?そ、そうか!」という感じなんですが、たぶん文章にすると、なんだろうな?という感じの話です。

 出現と増加の違い、というのを、この一ヶ月にわたっていろいろ考えてたのですが。
 タイミングの問題、要するに「早すぎた」のだ、という事に気づきました。

 普通のロールダウンなら、コインでもカードでも、はたまた四つ玉の増加でも、出現速度が早すぎる、という事は起きません。一瞬で出現、と言われるものでも、0.5~1秒程度の現象が起きる時間があるので、増えながら出て来る感じに見えます。
 できるだけ早く、出現過程を見せないように、という練習をした結果、「増えている感じがぜんぜんないと、現象はわかりにくくなる」という事が起きていたようです。いい例えが思い付かないので、うまく説明ができないのですが・・・

 早いものを遅くする事はできます。
 いろいろ試していましたが、今日はその「適度」なタイミングが掴めた気がします。

 そんな事があるものなのか、という感じです。
 悟ったと言うには小さめな事なので、「小悟いたしました」という感じでしょうか。

 ともあれ、これで少し前に進めそうです。
 昨日から今日にかけて外出してましたため、昨日分のブログを今アップしてます。

 日曜日、ホントは仕事のはずだったんですが、キャンセルになりまして。
 友人から「チケットあるから行かない?」というお誘いをいただきまして、コンサートに行ってきました。

「田中公平作家生活30周年記念コンサート」。
 私、大好きなんですよ、この方の作品。

 アニメ、ゲームという分野の音楽の巨匠です。管弦楽やビッグバンドジャズのオーケストレーションにも定評がありますが、なんといっても聞いて心に残るメロディが魅力的です。
 JASRACによると、海外からの音楽権利料収入が最も多いのはアニメのBGMなんだそうですから、現代日本の輸出産業を支えてる作家の一人、とも言えるんじゃないでしょうか。

 ゲームの曲というと、最初は出せる音が3つしかない中でやりくりして作る「スーパーマリオブラザーズ」のようなものでした。
 それが今では、大作ゲームなら映画音楽以上の予算をかける分野です。
 有名スタジオミュージシャンや様々な音楽分野の専門家を、まるで交響楽団みたいに自在に編成して、今までなかったような音楽を作り出すオリジナリティの高い分野になっています。


 その日本トップクラスのスタジオミュージシャンたちが、大ホールでライブ演奏する、という訳で、期待して行ってみた所……

 期待をはるかに上回る凄さに、圧倒されて帰ってきました。
 CDで聞く時には見えない「音を生み出す姿」に、激しい説得力があるのです。

 たとえば10数種類の打楽器を一人で操るパーカッショニストは、マラカスひとつでも相当な訓練と天性がなければああは振れないだろう、と思わせる動きをします。
 コンサートマスタークラスの人ばかりというバイオリンパートが3人、ある時は一人のように、ある時は10人以上居るかのように音色が自在に変化します。
 エレキギターの人は体幹が全くぶれず、わずかに指先が動くだけで激しく感情を揺さぶる音を生み出します。
 キャラクター性のあるバンドとはちょっと違い、なんていうかそこには、音だけで人を納得させる職人の静けさのようなものがあるのです。

 正確さなのかキレなのか無駄のなさなのか・・・言葉にはしづらいのですが、リズムやメロディが、楽器を手にした人の形をしている、という感じでしょうか。

 そしてそこに、天からの声のようなコーラス、美しき歌姫の歌、大迫力の男性ボーカルが合わさって、30人以上が紡ぐ音が作曲家の意図の通りに一つの作品としてぴたりとまとまります。



 分野は違いますが、一流のプロの仕事を見るのは本当に勉強になります。音楽は裾野が広く、その分、頂きも高い分野です。
 作る人、奏でる人が、存在がその芸能そのものになるまでやると、こうなるんだろうな、と思いながら帰途につきました。
 レインボーブリッジ越しに、ライトアップされた東京タワー。
 リバーフロントのビルの灯りが、満天の星のように輝きます。

 そんな、視界180度がキラキラした、お台場の風景。
 あちこちにデート中のカップルだらけです。みんな写真とってます。でも夜景は撮るのが難しいのです。
HIROSHIのブログ-きら☆

 ケータイでは、露出補正してもこんなものでした。あのキラキラ度合いが伝わらないのは残念ですが、まあ、この手の風景は生で見るのが一番でしょう。
 機会があったら見に行ってみて下さい。東京でもベスト3に入る夜景だと思います。


 写真についてあえて言うなら、映画のタイトルにもなった「マジックアワー」に撮るといいですね。
 日没後のわずかな時間。空と照明のバランスが素敵な時。

 そう言えば、あの映画はぺるちゃんが宣伝に出てたせいもあって、てっきりマジック関連かと思って見に行ってしまいました。映画の話だったんですね。
 写真を学んでたワタクシ的には「おお、映画界ではそう言うのか」という感じでした。

 写真の業界では「4の4タイム」って言ってましたね。ASA100のフィルムで、絞りF4,シャッタースピード1/4秒。
 いい写真とりたいなら最初にレンズ、その次は三脚にお金かけないと。そんな感じのスローなシャッターの世界。


 夜景って、文明のきらめき、みたいなものだと思うのです。風景というよりは、光景という言葉がよく似合います。
 そういう意味では、お台場は「ああ、文明社会に生きてるんだねぇ」としみじみ思う、そんな光景が広がる場所なんじゃないでしょうか。
 ロマンチストもペシミストも、オプチミストもシニカルな人も、それなりに何か句想をヒネれる、そんな場所な気がします。

 ちなみに私的東京夜景ベスト3のあと二つは、「東京タワーから見る東京の夜」と「日没の頃に乗った飛行機から見る関東平野」です。

「人の営みは~ずっと続いているんだねぇ~」と、思わず心の中で立松和平さんのモノマネをしつつ。
「賢者の贈り物」で知られる短編の名手、O・ヘンリー。
 100年前のニューヨークと、100年前でも変わらない人の営みがあやなす物語。
 偶然と好意が、意外なドラマを引き起こします。

 印象的なストーリーは、マジックの構成にも非常に参考になります。

 私が好きな一編があります。
「黄金の神と恋の射手」というものです。

 金権の信奉者の老人が、その老人の息子(歳をとってから出来た息子なので若い)と「時間は金で買えるのか」という議論をする。
 その息子は、ものすごい偶然で、彼女との時間を得てプロポーズに成功する。

 他の短編と同じく、偶然と愛の勝利か、と思ったら。
 その偶然は偶然ではなく、老人が密かに方々に手を回して作り出したものだった、というもの。

 金権主義ながら、息子への愛がある老人の行動に、妙な爽快感があります。
 最後に「矢を持った子供(キューピッド)を見たか?」と聞き、そんなものは居なかったという答えに、くすりと笑う老人が印象的です。

 他の作品が偶然の物語だから余計目立つ、というのもありますが・・・
 マジックには仕掛けがある方が心地好い、というのが私の趣味です。

 ただ、それはタネばらしなので、マジック作品そのものの筋立てには使えないんですけどね(笑)。