中国の兵法三十六計「美人計」の見本といえば、中国の故事より、旧約聖書にある「サムソンとデリラ」がよく知られた例だと思います。
 怪力ヒーローのサムソンを、美女スパイ・デリラの策略で捕らえる物語。
 

 負けた方から勝った方に、講和の際の贈り物として美人を贈るのが美人計です。
 この計略の優れた所は、金品や土地を差し出すと敵の力を拡大させてしまうのに対し、美女を贈る事で反対に敵将の時間と体力を削いで、しかも部下に分配がないので反感をもたれて組織が崩壊しやすい、という点にあります。

 傾国の美女を意図的に作り出す訳で、敗勢から逆転を狙う策略なんですね。現代の社会ではモラル的にどうかと思われるような方法ですが、物語としては「一国の命運が一人の女性にかかっている」という危うさと最終手段としての緊張感がある手法です。
 サムソンとデリラの話が、旧約聖書のエピソードの中でも人気があるのは、この一発逆転と崩壊のカタルシスがあるからだと思います。

 デリラは、かつてサムソンに虐殺された民族の出身ですが、具体的になぜサムソン捕獲のために身を投げ出したか、という経緯は語られていません。
 美女は、美女という以外は謎の方がいいんでしょうね。


 マジックの世界にも、謎の美女はよく登場します。
 空中に浮いたり、体を切られたりする女性アシスタントは、「美女」という呼ばれ方をします。
 実は役の名前が「美女」だ、という、そのまんまな設定なのはあまり知られてない事実。(実際、台本にも役名としてそう書かれます)
 非現実的だったり、ロマンチックだったり、退廃的だったり、もちろん美的だったりと、美女の登場は、舞台空間を空想物語の世界に変える力があるんでしょうね。

 テーブルマジックの場合は、美人マジシャンの方々からは「男性より女性の方がやりづらいんじゃないか」というような話は時々聞きますが……
 さて、美女ならざる身としては、なんとも言い難いものがあります。

 テーブルマジックでの、美人計の使い方はまだ確立していないようですね。
 その分野を志すきっかけになった人、というのが、どの分野に進む人にもあると思います。
 私の場合、それはフレッド・カップスです。

 FISMで三度グランプリになったオランダのマジシャン、フレッド・カップス。
 残っている映像は多くはないのですが、クロースアップ、サロン、ステージと、どの演技も名人芸というのが凄いのです。

 演技を集めたDVDも発売されています。
 このDVDに収録されているのは、ステージとTV出演の際の映像です。

 最初にFISMグランプリになった頃の映像は、カードとシガレットとキャンドルの演技。ちょっとカーディニっぽいというか、上手いけどまあよくある演目というか。
 それが後に、オリジナリティの高いものに変わっていきます。


 スモーキング・サム。タバコ本体がなくなって、煙だけで存在感を主張。
 お札。増えてうれしいという、物の意味づけや感情表現が具体的に。
 ジャンボコイン。ステージコインアクトの視覚的な改良。
 塩。魔力の暴走。

 日本のPCAMコンベンション、そしてTV放映の際の映像には、これに加えて「ハンカチに通うコイン」が演じられていました。ジャンボコインの導入のようなイメージで。
 これも、ステージでのコインアクトを視覚的に改良するものでした。

 カップスより前、たとえばカーディニが活躍したアメリカのボードビル時代の演技は、ほとんど映像に残っていません。
 資料としては、わずかにターベルコースなどで、マヌエルやネルソン・ダウンズ、ル・ポールといった名前を見かけるくらいです。

 しかしおそらく、その時代の演技を受け継いで発展させ演じたはず、です。
 それは、過去から未来へと続くマジックの流れの中でも、一つの完成形だったのだと思います。


 寡聞にして、カップスの取り上げたステージ演目をさらに発展させた例は、あまり見た事がありません。スモーキング・スプーンや、ケビン・ジェームスの塩の演技くらいなものでしょうか。
「簡単にできるようにした」というギミックは時々見ますが、不思議さを増しているか、というと、それはまた別の問題です。
 ジャンボコインアクトの後継は、あえて言うならCDプロダクションですが、これは正直、音楽と関係しないと「意味」がない気がしてならないのです。

 1980年に逝去してから30年が過ぎようとしていますが、未だに私にとっては、カップスが大きな目標です。
 ワン&オンリーな名人であるがゆえ、モノマネにならずに追いすがる事ができるのか、という気はしますし、気がつくと別の山に登っているのかもしれません。
 ただ、フレッド・カップスという、見上げた先にある頂きの高さは、現在でも少しも損なわれていない気がします。
 仕事柄、生活が不規則なのですが、忙しい時が重なるとだんだん太ってきます。
 外食だったり打ち上げだったりで、おいしいものを食べてしまうのです。
 肉と麺とビールが主な食事になると、これがもうテキメンにお腹に。

 食事は人生の楽しみとは言え、体型維持は大切なので、早めに手を打っておくに越したことはありません。

 減量にも時間とエネルギーが必要です。今週はヒマができたので、減量の週にする事にしました。
 私の減量アイテムは、こんなのです。

○日記
 やった事を記録します。パソコンのテキストエディタで。
 食事内容、運動、あと大事なのが食事時間。
 食事間隔を開けないように、夜中に食べないように、という基本を守るのに必要です。

○体重計
 これも毎日、朝イチで乗って記録します。
 食後や風呂上がりだと増えるので、目覚めてすぐ、が効果的なようです。

○野菜
 毎日買いに行きます。葉もの野菜を中心に。
 水炊き、豚しゃぶ、おひたしといった、茹で野菜をたっぷり摂るメニュー。

○ウィスキー
 夜、お腹が空いた時は、これを飲んで寝ます。
 飲み過ぎないように「大好き」ではなく「好きでも嫌いでもない」くらいの銘柄で。最近だとコストパフォーマンスもいいバランタインですね。
 ビール・発泡酒は厳禁。

○総合ピタミン剤
 減量すると、どうしてもビタミンやミネラルが不足がちになるので、補助的に使います。


 四日で1kgくらいの、ゆるやかな減量を2週間行います。
 体重はだんだん落ちなくなるので、3kgくらい落ちた所で終了。
 あとはできるだけ、生活習慣を維持できれば、という所です。
 テクニックで奇跡を起こすのがマニピュレーション。
 かつてはヨーロッパの人々がマニピュレーションの分野でのスターでした。
 近年はアジア圏からの進出が目立っています。

 韓国の若者が徴兵の前に世界大会で一旗揚げるのを狙う、とか、日本の大学生が在学中だけステージに立つ、とか、そういう短期集中的な状況で使われて、そこに時折現れる「才能がある者」を見て、「テクニックならかなわない」みたいな話になるのですが・・・

 ちょっと疑問があるのです。

 演技者の「才能」と「練習量」は、正当に評価するべきポイントでしょう。
 しかしそこ「だけ」を語るのは、マジックとしては重要なポイントが欠けています。
 今までに知られているテクニックだから「上手い」と思える訳で、マジックのテクニックが完全に目的を果たしたなら、そもそも「上手い」という評価にはなりません。
「え?どうなってるの?」とか「そんな事ができるのか?」でしょう。
 目を凝らして見ていても、どこまでがテクニックなのかもわからず、適正に評価できるかどうか不安になるのが、理想的な「マジックのマニピュレーション・テクニック」だ、と思うのです。

 極論を言うなら、最も比較しづらい者こそがチャンピオンです。
 優れたマジックであれば、上手いなんて「安心して比較できた」ような評価をされるハズがありません。

 マニピュレーションという分野の面白さは、「人間の技が既存の限界を突破する」という所にあります。
 未知の成果を出すためにどんな事が行われたか。
 そういう視点で見ると、かなり違う見え方をするんじゃないでしょうか。そこに価値があるかぎり、マニピュレーションは永遠に研究しつづけられる分野だと思うのです。
 マジックに関して、解説やアイデアの発表を行う事があります。
 ちょっとした事でも、誰が考えて、誰が発展させて、これから書くものとどう違うのか、を明記する必要があるのですが、これがけっこう大変です。

 マジックのアイデアは、特許のような登録機関がないので、先に発表した者にオリジナリティが認められます。
 少し前なら、本や商品の説明書、今ならDVDが発表メディアとして多く使われます。古くはフランス語、近年では英語の文献が比較的多いのですが、スペイン語やポルトガル語もあり、出典を調べるにも壁がいろいろとあります。

 問題なのがインターネット。
 マジックに関しては、そのタネ部分がインターネットでおおっぴらに語られるような事はあまり起きません。もともと著作物は権利が切れるまで公開できませんし、タネ明かしはアマチュア・プロを問わずタブーです。
 ネット上でもこの禁忌を犯した者への糾弾は、想像以上に激しいものがあります。公的なメディアなら抗議が殺到し、ブログなら炎上間違いなしです。おそらく、読者のモラル意識をかなり刺激するんでしょうね。
 mixiなどのSNSでは、公開範囲を限定できるので、ツッコんだ話は知り合い同士だけで行われるようですし、それ以前にタネの話が文章として書かれる事自体があまりありません。
 匿名掲示板はというと、タネが書かれている事はあるものの、投稿される大量の想像に肝心の情報が埋もれ、ネット上には引用できるニュースソースもないので真偽を判定するのが難しい、という所があります。
 また、ある程度わかるネタが取り上げられ、本当に分からない物は取り上げられない、という傾向もあります。以前いろんな意味で「不可能」な内容のTV番組が放映された直後に、どういう反応が書かれているかを探したのですが、残念ながら大して話題にもなっていませんでした。
 これは、一時期マジック番組が多すぎたのも原因の一つではあるのでしょうけど……

 結局、速報性や口コミといったインターネットの特徴や機能は、マジックの中身の調査にはあまり役に立たないようです。
 ネットに特徴的な「多くの曖昧な情報」ではなく、「正確な情報一つ」が欲しい時は、目的に合わないのかもしれません。


 Youtube以降の、映像投稿サイトが出来てからは、演技だけを映像として公表する、というスタイルが広く行われるようになりました。
 ではそれが、資料として役に立つのか、というと、なんとも言い辛い所があります。参考にはなるのですが・・・

 映像の場合、ちょっとした角度や映像品質によって、本来行われている事が映らない事があります。実際の演技を見ると、映像とまるで違う、というのはよくある事です。
 また、映像そのものに加工が加えられる事もありますし、そうでなくても画面の外で行っている事は映りません。画面の端では「簡単に物が出たり消えたり」します。
 結果的にカメラトリックになっている事があるのです。
 
 テキストの場合は、インターネットアーカイブやグーグルのキャッシュという所に、日々ネット上に生まれる文章が記録されていきます。
 それは確実に残るとは言い難いのですが、ブログに関しては比較的よく残っているようです。

 ただどちらも、オリジナルが発表された証拠、とするにはちょっと弱い気がします。詳細に解説される訳ではないので、概略だけではよくわかりません。
 結局は、正式に本やDVDとして出版されるまで、その中身がわからないのです。

 マジックの出典を探る場合、日頃から資料になりそうなものを買い集め、よく知っている人に聞き、それが架空のものではなく本当に実現できるかどうかを身を持って試して、という昔ながらの地道な活動が、現在でも必要なようです。