「崩」
よく言われることだし、コレは事実そうだと確信しておりますが…
作り上げていくことは時間がかかるものの、崩れるのは一瞬のこと。
いま一度、考察してみると…
崩れるということは、ソレが整っている状態…
あるいは、少なくともソレを保てている状態というのが前提としてあること。
そうでなければ、ソレを崩れるとは表現しないはず。
森羅万象
何かは単一のもので成り立つわけではなく、限りなく複数の要素が合わさりソレが成り立つ。
コレは、極私的解釈ではありますが…
たとえば、Aであるという状態は少なくともA以外の状態である。
このような言いかえが成り立つという考え方に立脚してます。
絞りに絞ってようやく関係あるかな?ってぐらいの事象も…
厳密にいうと、そう認識した時点で関係してきます。
それぐらいに無数の事象が関連して、ソレ(その状態)が在るということ。
つまり…
あらためて意識しなければ、今ココにある状態というのも…
「あってあたりまえ」という強烈なエゴにより、無いものになってしまうわけですね。
冒頭の崩れるの話でいうと…
何かしらの感じるべき変化(変調)を感じ取らないまま今をあたりまえにしてしまうことで
結果的に当事者は、いきなり崩れたと認識するのであろう。
それらの構成要素にしてみれば…
『いやいや、もぅだから限界ですやん…。』みたいな声をあげていたのかもしれません。
ソレを”あたりまえ”にしてしまうことで、結果「崩れる」わけですね。
おそらく、おそらくですが…
「感謝」という心持ちは、「あたりまえではない」という精神姿勢が具現化したものだし…
コレは、気づくことだけでなくソレをケアすることをも含めた精神姿勢。
だから貴いのでしょう。
どうか、みなさまもたいせつなものが崩れる前に目を耳を手を…etc
追記:いつもながら何か大そうに言ってますが…
大事な年末の休日を全て無にしてしまうほどに体調を崩したので書いてみた次第です…@汗笑
ま、ソレでもいつもながら普遍的な「理」としては書いてますが。
TAKA-BΣ