「終」
今まで続いてきた何かを終わらせるということは、同時に何かの始まりでないといけない。
私は、以前からそのように考え申し上げてきましたが…
今もなお、この考え方に準じております。
つまり、コレは内的要因によるものであっても外的要因によっても
当事者がきちんと”終える”必要があるということを意味します。
よく用いられる表現として
「有終の美を飾る」などという言いまわしがあります。
個人的に、この表現を好まないのですがよく耳にします。
諸説あるようではありますが…
元来この表現は、最後までやり遂げるという過程に対して賞賛するものであったが…
最後に良い結果を残したという結果に対して賞賛するという意味合いで現在一般化しています。
「終わりよければ全てよし」的なニュアンスですね。
元々の意味から乖離してどーのこーのみたいな不毛なことを言いたいのではなく
以前から申し上げているように…
私はプロセス論者なので結果論を美徳とされるのが好みではないということです。
だからといって、
自己の内においてのみ終わらせれば良いのかといえばそういうわけでもない。
やや矛盾したような言いまわしに聞こえるかもしれませんが…
きちんと終わらせるということは、以前にも書いた「線をひく」というのと同じようなもので…
自己の内に線を引きますが、ソレは他者から見えるところにも線を引く必要があるということ。
コレにより、同時に何かの始まりを意味するものとなり…
主客のあらゆるカタチを変えて「続く」ことになるもの。
式典などの「通過儀礼」としての非日常が意味するところは
われわれヒトが社会的な生物として存在するうえで必要な過程を都度学ばせるものである。
自己の介在なくして、何も始まらなければ何も終わらない。
TAKA-BΣ