ここ数日、小規模な地震が頻発していて、日本列島が振動してますね。

GWも地震に遭う想定で準備して移動すると、何かと安心。

 

 

小泉太志命シリーズも佳境に。

やっとここにたどり着きましたw

内容深過ぎですwww

 

 

宮崎貞行さんが著者なのですが、いろいろな本をお書きになられてます。

 

 

 

 

今までのシリーズ。

 

 

 

 

 

 

「そういえば、太志命の行なっていた剣祓いについて書いたなかったわ」ということで、まずは剣祓いについて。

 

太志命は毎日3万3千回の剣祓いを行なってました。

太志命の剣祓いの「参剣(みつるぎ)」は、「祓いの剣」「結び固めの剣」「芽出しの剣」からなっていた。

祓い・結び・創造で構成されていて、神道の論理にのっとった剣祓いですね。

「祓いの剣」は文字通り祓い清めの剣。

「結び固めの剣」は対立するものが一つに和合するように結び固める剣。

「芽出しの剣」は特殊で、太志命ならではなのですが、新しい時代を切り開く異能の子供達をこの世に生まれさせるための剣です。

彼が芽出しの剣を振るたびに、3万3千人の地球と宇宙の調和を図る使命を持った子が世に生まれる。

戦前は国家存亡のための「祓いの剣」「結び固めの剣」に重きが置かれていたが、晩年は「芽出しの剣」を振ることが彼の使命だったようです。

その剣祓いを毎日彼に振らせていたのは、人類全体を良くしたいという大きな意味での親心だったのでしょう。

太志命は「昭和61年、2年(1986, 1987年。現在38−37歳で、初代ゆとり世代でしょうか?)に生を受けた御霊が、21世紀の指導者になる」と予言しています。

 

 

親心を大事にしていた太志命ですが、人は「生き通し」であるということにも、重きを置いていた。

「生き通し」とは幕末の神道家の黒住宗忠(黒住教の開祖)が提唱した概念です。

 

 

その「生き通し」状態を、太志命は以下のように解釈しています。

 

その生き通しの世界は、じっと静止しているものではなく、たえず愛相合の三つの過程を繰り返していると説いたのである。生き通しの大宇宙は、愛の中心より生まれ、それが二つの相対に分かれ、最後に再び結合するという過程を、毎瞬、毎瞬繰り返している。

それを「宇宙は、愛心より発して、相心と分かれ結びて、やがて合心となりたるものなり」と表現した。

 

神道が説く宇宙の毎瞬の創造と消滅を見事に説明してます。

宇宙は10億分の1秒ごとにブラックホールの点滅により、創造と消滅を繰り返している。

目に見えている全ての情報を脳で処理しようとすると、脳の電力消費量が大変なことになるので、私たちは脳細胞のニューロンを全て同時に使うことはできない。

無意識で情報を選択取捨して、外の世界を認識している私たちの脳と意識の感覚では、その創造の瞬間瞬間を捉えることは残念ながらできません。

 

情報を落として脳が処理していることをうまく説明する苫米地博士。

情報の落とし方は人それぞれです。

 

 

 

愛相合は、造化三神の働きを上手く説明しています。

愛の中心で生まれるのが天御中主神で、二つに相対したのは、左回転で上昇し拡散するである高御産巣日神と右回転で下降・収縮する神産霊神の働きに置き換えることができる。

物理学者の南部陽一博士が、その原理を「自発的対称性の破れ」として発見しています。

 

 

 

ここからは私の解釈なのですが、「二つに相対した」お働きは、まだ物理次元の陰陽は表していないと思うのです。

物質次元の陰陽、量子の最小単位の陰陽が、イザナギ・イザナミなのだと思います。

造化三神からイザナギ・イザナミまで到達するのに、間に天之常立・国之常立神などの12神がいるのですが、この間のお働きが原宇宙から物質宇宙を生み出す働きがあるようです。

 

 

2020年に初めて読んだときは「???、?」だったのですが、今読めば少しは読み解けそうな。。。

 

 

太志命は「私は」という言葉を使わない人でありました。

「私」を使うと「君・あなた」という存在を発生させ、分離・対立を生む元になるからです。

言語の「私」「君・あなた」が、対立を生み、争いと戦争を発生させる大元だと考えた。

 

加えて語呂合わせを多用した説法だったようです。

かけ言葉、ダジャレ、語呂合わせで、意味を多重化し、意味を包み込み、畳み込み、重ね合わせて話していた。

量子的ビット的思考の持ち主、つまり人間量子コンピュータだったようです。

つまり太志命は二元論の外側にいる人だった。

 

 

 

シリーズの初回で書いた「八八(やや)を開きて九九十十(こことと)のふ」ですが、本書の終盤でその極意が語られます。

「ととのう」の「と」の音霊ですが、最後を〆る重要な音霊。

 

ホツマツタエ によると、天照大神は、「トの教え」を祖父のトヨケ(豊受)大神より習い、これを政事の要諦として臣下に教えたという。トの教えというのは、心身霊や物事があるべき位置にととのうこと、対立するものが調和しととのっていくことを意味している。

(中略)

ここで注意しておきたいのは、単純に「ととのう、ととのう」とコトタマを発し断言するのがよいということである。「ととのえる」でもなく「ととのえたい」でもない。

それは、祓いの祝詞で「祓いたまえ、浄めたまえ」と言わず、「祓いたまう、浄めたまう」とのりあげるのと同様である。浄化された姿を思い描いてそう唱えると、浄化が先取りされるのである。未来が引き寄せられそのまま直ちに現実となるのである。

(中略)

「ととのう」という強い思念が、心身霊と多重の場のととのった未来を今ここにひきよせるのだ。

それが、まさに「未然を生(き)る、未来を着る」ということなのであろう。

 

「未来を着る」とは、コトタマの発し方だったのですね。

やっぱり最後は言霊(げんれい)の発し方になるのですねぇ。

 

 

主語がなくても会話が通じる日本語ですが、語呂合わせによる重ね合わせもでき、実は量子ビット的思考ができる言語です。

「これからは日本」と言われているようですが、勉強もしなくなった、今のぼーっとした日本人に正直あまり可能性は感じませんが、唯一可能性があるとすれば、日本語から生まれる量子ビット認識・思考法ではないかと思うのです。

主語を使わないので、対立という概念もなく、全ての概念を包み込み、畳み込み、重ね合わせて判断することができるのではないか。

量子ビット的認識・思考法は、左脳の言語野、右脳のイメージ・直感の分野を重ね合わせて、畳み込んでするものだと思うのです。

論理思考だけはだめで、かといって直感的判断だけでは、それは主観であり人の共感と理解は得られない。

やはり左脳的思考・右脳的直感、どちらも陰陽であり、宇宙生成のためには必要であるということです。

 

 

日本語と日本人の果たす役割が、おぼろげながら見えたところでおひらきとさせていただきます。

この部分が、セファラディが日本人に期待している部分でもあると思います。

次回は最終回、昭和天皇と太志命について。

これは終戦記念日に書きたいと思います(ずいぶん先だw)。

本日もお付き合いくださり、ありがとうございました。

良いGWを!