前回の続きになります。

今日はみんな大好き、日月神示編!

私も2009年に日月神示を知り、本格的に精神世界の探求を開始しました。

 

宮崎貞行著。

 

 

 

 

 

日月神示に入る前に気になる箇所があったのでメモ。

戦中、中将クラスの軍人から作戦に関して相談を受けていた太志命は、責任を取って割腹するか悩んでいたが踏みとどまりました。

自分の任務は天皇を邪気・邪霊からお守りすること。

戦後GHQの指導のもと、思想戦(個人主義、拝金主義、抽象思考の重用等)を仕掛けられた日本人は日に日に堕落して邪気にまみれてゆく。

(抽象思考が得意になると振動数・周波数を体感する感性が衰えて、万物とつながる能力が低下するようです(大汗))

 

いやそれだけではない。天津霊嗣の天皇は、地球と世界の最高の霊性を太古から受け継いでこられている存在だから。天皇とその道統をお護りすることは世界を霊的崩壊から救うことにもなるのだ。ケルトやマヤ、インカの道統が途絶えてしまった今、太古の霊性を受け継いでいるのは、天津霊嗣のスメラミコトしかおられない。

 

縄文時代、環太平洋を船で行き来していた古モンゴロイド(あえてこの古い用語を使います)は、南北アメリカ大陸や環太平洋、ヨーロッパまで、地球中を縦横無尽に行き来していました。

この辺の概念は近年竹内一忠さんの「ラピュタ人」という単語で定着しつつありますね。

 

 

 

TOLAND VLOGさんから。

 

 

 

 

 

 

「インカの皇帝は日本語を話した日本人だった」という説もあります。

環太平洋や南北アメリカのネイティブ系、ケルト人、縄文人、古代イスラエルの黒いユダヤ・セファラディも同じ系統であろうと。

 

セファラディに関する文献は少ないのですが、Stephen Birminghamが何冊か書いてます。

買ったけど開いてもいないwww

ネイティブ系の匂いがしないので、アメリカにいるセファラディック・エリートが本当に同じ系統なのかは、かなりの疑問です。

 

 

 

このへんはまだハプログループを調べきれていないので、保留中です。

 

 

南北アメリカのネィテイブ系の巨石や文化はもともと好きだったのですが、先日アメリカ大陸に初上陸して、何かスイッチが入った感じです。

縄文の復活が語られる今日ですが、縄文が復活するということは、これら葬り去られたネイティブ系も同時に復活することを意味していると思います。

日本だけで縄文を考えてもイマイチ全貌が見えないのは、当時はグローバル文化だったから。

縄文といえば「黒曜石=オブシディアン」ですが、メキシコもまた良質な黒曜石の産地なのです。

また、メキシコでネイティブの血が濃そうなUFOコンタクティーの方等にお会いして、彼らの純粋なスピリチャリティに触れて、日本の商業スピリチャルに違和感を感じた次第。

「やっぱり日本のメインストリームのスピリチャルは我欲にまみれているな」と(笑)。

この辺はまたおいおい。

 

 

前置きで半分くらい書いてしまいましたが(笑)、本題に。

 

大東亜戦争末期の昭和19年から昭和30年まで、千葉県成田の麻賀多神社で、大本教信者であった岡本天明によって降ろされた日月神示。

他の本は訳者の解釈が入ってしまってますが、こちらは原文をそのまま載せているだけの本です。

1000ページ近くありますので、購入の際は驚かないでくださいw

 

 

 

日月神示は、明治維新以降の西洋思考をやめて、日本の伝統である「神々にまつろう」伝統と生活に戻ることを強く主張しています。

「神々にまつろう」在り方は、世界のネイティブ系の在り方そのものであり、これこそが真のスピリチャルです。

西洋のスピリチャルが日本に輸入されてそちらがメインになっていますが、日本の伝統に回帰すれば、西洋のスピリチャリズムを求めずとも、日本にも本物のスピリチャルがあるのです。

 

日月神示といえば「ひふみ祝詞」。

この祝詞は造化三神を言祝(ことほ)ぐ祝詞。

「ヒ」は宇宙の中心の働きである天之御中主神。

「フ」は裏から表に、下から上に、遠心、で高御産巣日神。

「ミ」は表から裏に、上から下に、求心、で神産巣日神。

(小笠原孝次先生の「言霊百神」では「ヒフミ」ではなく「ウアワ」が造化三神に相当)

 

日月神示でも語られる「八八九九十十」ですが、岡本天明よりも早く太志命にもこの言葉が降りてきていた。

太志命によれば「八八九九十十」は人生の極意だそうで。

「八八(やや)を開きて九九十十(こことと)のふ」と。

 

「八八九九十十」は太志命の故郷である青森県の八戸にある「八戸いはれ」という巻物にも出てくる。

「八の戸開く 御代の春九十ほぐ・・・・・吹上の 神の鎮めの 元つ宮 八柱神の八の戸開く」

太志命のために道場を建てた山路によれば、宮中にある八神殿の八の戸を開くと宮中が整い御代の春が到来すると解釈できるそうです。

 

八神殿、一応今でも宮中(皇居???)にあるようですが。。。

 

 

 

またまた聞き捨てならない文が出てきたので引用(笑)

 

ここ(八神殿のこと)で唱えられるコトタマは「ひと、ふた、みい、よう、いつ、むゆ、なな、やあ、ここの、たり」である。天照大神がニギハヤヒに与えたあの十種の神宝に他ならない。

 

なんですと!!!

十種神宝はコトタマ、すなわち言霊(げんれい)だったと。

そういえば、データムグループのエンペラーコードでそんなことを言っていたような記憶がおぼろに蘇る。。。

 

 

 

 

 

ここでもやっぱり「天照=ニギハヤヒ」ではなく、二人は別人なのですよね

 

 

 

話を戻して(笑)、山路の解釈ですと、あくまでも宮中の話であり、庶民には関係なくなってしまいます。

山路と議論していた森岡は、カタカムナを引き合いに出し、別の解釈を。

 

この現象界(この世)は、一から八までの数字で表現することができ、九は霊界、十は神界をあらわす数字であるという。そして、現象界と潜象界(霊界、神界)はお互いに響きあい、写しあい、影響を及ぼしあっている。

(中略)

霊界、神界の写し鏡であるこの世のあらゆる出来事を、災難も含めて神々の伝言としてありがたく受け止め、真摯に受け入れて対処していくと、祖霊の住む霊界や高貴な神々の住む神界も調っていくという意味になる。

(中略)

八八は掛け算で六十四、つまり易の卦と同じ数字だから、この世の現象界の変化を示している。九九は八十一で、霊界の法則を示す三六九の魔法陣と同じ数字ですね。

 

カタカムナの文字の形には意味はなく、音義説が重要で、カタカムナは音義説+潜象物理学として解釈すると良いと原田代表(原田武夫国際戦略情報研究所)が以前おっしゃってました。

三六九の法則についてはこちら。

Naokiman Showから。

6年前の動画で、Naokimanが若いwww

 

 

 

今回は以上です。

うまく言語化できないというか、ストーリーにまとめられず、情報の羅列となってしまいましたが、皆さんの思考の一助となれば幸いです。