今年はご縁のある菅原道真公ゆかりのお寺もいくつか廻ってきました。
旅の時はいつもどこかに行けば必ず祀られている(笑)道真公に感謝を捧げてきました。
今までで道真公に遭遇した旅。
天満宮は道真公がメインですが、藤原氏に政敵として処分されてしまった多数の方々を祀っていました。
京都亀岡の生身天満宮は、道真公を生前から神として祀っていた珍しい神社。
生駒の聖天さまの神社にも道真公がいた。
そういえば、来年の大河ドラマは紫式部と藤原道真を書く『光る君へ』。
脚本が大石静なので、面白くなると思います。
平安時代は藤原氏とその取り巻きだけが楽しかった時代なので、あまり好きではないのですが、中臣のおっさんに令和の紫式部に任命されているので(笑)、年始から見る予定です。
任命エピソード。
紫式部ゆかりの石山寺は真言宗のお寺です。
今まで行ったお寺で一番好きかも。
買った御朱印帳は既に満席。。。
新しいものを買い足しました。
では本題に。
まずは菅生寺。
真言宗のお寺です。
9月にあった友人に、10月は西日本巡りをする旨を伝えたら、道真公とのご縁を話したことはなかったのに、「菅生寺に行ってくれば?」と勧められて行くことになりました。
交通公共機関で行くには厳しい、奈良の吉野のはずれにありました。
運転が上手い友人が運転してくれたので、行くことができましたが。
ここは菅原道真公の生誕の地と言われているところです。
道真公は出雲族の末裔なので、奈良の出身なのは頷けます。
ちょっと寂れた感じが。。。
運がいいと本堂に歴代天皇の肖像画があって、見せてもらえるそうです。
あいにくこの日は住職はお出かけ中でした。
「この辺でお生まれになられたのだなぁ」と感慨深かったです。
道真公とは関係ないのですが、翌日は高野山で結縁灌頂を受けてきました。
秋なので金剛界の結縁灌頂でした。
結縁灌頂は完全にイベント化しており、縁を結べる仏は大日如来のみとなっております。。。
お堂に入ると人工の明かりはなくロウソクの炎のみで、お経が絶え間無く流れています。
結縁する場所に入る前に目隠しをされて、結縁となります。
大日如来のところに印が落ちるように誘導されます。
「一般人が結縁してもなぁ」ということなのでしょうが、ちょっと残念でした。
仏画が印刷されている紙で目隠しされました。
結縁灌頂の様子はこちらの漫画に詳しく。
何度か紹介したことがある『阿・吽』。
いつも高野山に行くと立ち寄る、ホットサンドが美味しいお店でお昼をいただく。
高野山の開山に一番尽力したのが、空海の一番弟子の智泉。
彼は自らを酷使しすぎたのか、37歳の若さで逝去。
智泉の父方は菅原氏なので、道真公の親戚といえば親戚なのです。
智泉の霊廟は根本伽藍の近くにあります。
霊廟に参拝するには、一旦境内を出て道路からアクセスする必要があります。
智泉霊廟。
智泉について触れた回。
そして道真公といえば、京都の北野天満宮。
今回もじっくりと参拝させていただきました。
道真公の祖父は、空海、最澄、橘逸勢らと共に遣唐使として唐に渡っていた。
新しい発見でした。
今回は神棚に祀るお札と御朱印をいただいてきました。
何種類かある御朱印の説明をしてくれた方が、とても優しそうな方だったのが印象に残ってます。
道真公の生き方を文字で現すと「至誠」と聞き、こちらの御朱印をいただきました。
また、ご寄付をさせていただいたので、来年の夏祭りの時に私の名前の提灯が飾られます。
京都へ行く楽しみが増えました。
以前に紹介した尾道。
こちらにも道真公由来の神社がありました。
尾道に関しては、「東京物語」以外、予備知識ゼロで行ったので、ここで道真公に遭遇してビックリ。
「尾道でなぜ道真公?」と思ったのですが、太宰府に流される途中で立ち寄ったのが尾道だったということです。
千光寺のある山は、当時はずっとピラミッドらしく見えていたはずで、思わず立ち寄りたくなるのも分かります。
Wikiから引用。
生前の祭神が藤原時平の讒言によって左遷され大宰府へ船で向かう際、尾道に上陸すると土地の人々から麦飯と醴酒を馳走されたので、これに感謝して自らの着物の片袖を破り自身の姿を描いて与えた
生き神さまでしたからね。
雰囲気も常人とは違っていたはずです。
境内は清々しかったです。
楠の立派な御神木が。
神社の由来。
ここで新しい発見が。
明治に入って、道真公に由来の深い神社をまとめた人物がいました。
道真公を崇敬していた松浦武四郎。
かなり面白い人物だったようです。
武四郎は天神(菅原道真)を篤く信仰し(天神信仰)、全国25の天満宮を巡り、鏡を神社に奉納した[8]。好古家としても知られ、縄文時代から近代までの国内外の古物を蒐集し、64歳のときには、自分を釈迦に見立て古物コレクションに囲まれた「武四郎涅槃図」を河鍋暁斎に描かせている[17][18]。また、明治3年(1870年)には北海道人と号して「千島一覧」[19] という錦絵を描き、晩年の68歳より富岡鉄斎からの影響で奈良県大台ケ原に登り始め[20][21][22]、自費で登山道の整備、小屋の建設などを行った[23]。
こちらがその神社のリスト。
もちろん御袖天満宮も25社のうちの一つです。
境内に聖蹟の紹介がなされていました。
松浦氏は絵心があった人物だったようで。
風情があって素敵。
御袖天満宮の御朱印と、結縁灌頂の御朱印。
レムリアの巨石を追いかけた秋旅行ですが、意識せずとも道真公に関する新しい発見があった旅。
やっぱり道真公とは何らかの深いご縁があるのだなぁ。
ありがたし。
金曜日は道真公と関東の守り神、平将門についてです。