このタイトルが浮かんだ瞬間に、ビシビシビシッと構成が頭に浮かんでですね。
私にしては異例の速さ(笑)で、記事にすることにしました。
しかし書き始めてすぐに後悔。
1日2日で、しかも仕事の片手間でまとめられる内容ではないなぁと。
乱文、とりとめのなさをご容赦ください。
神社チャンネルのゆにわ塾主催の、昨年の「最澄と空海」半年間講座の最終回は実はこちらの話題でした。
晩年の空海の最愛の人と言われる真名井御前。
年の差30歳以上。
空海が入定した同じ年、同じ月の前日に33歳で逝去。
二人は1日違いで昇天している。
真名井という名は、京都の天橋立の近くにある真名井神社由来。
海人族出身です。
天皇家よりも古いとも言われる海部家の直系です。
中学の時、歴史の資料集で如意輪観音を見て一目惚れ。
一番好きな仏像です。
冒頭は空海の出自と僧を目指したきっかけについて。
以下は、あくまでも真偽の裏はとれないチャネリング内容ということで。
空海は実は桓武天皇の実子で、奈良で生まれて奈良で育った。
四国で生まれ育った割には大学に通ったり、遣唐使のメンバーに選出されたりと、身分に合わない待遇だったのは、これで説明がつくようです。
「三教指帰」に書いてある、大学の学生だった空海(真魚)に「求聞持法」と「大日経」を渡した一沙門とは、坂上田村麻呂のことだった。
まぁ、ありえなくはないかなぁと思いました。
桓武天皇の落とし子だったのには、深くうなづける。
遣唐使に選ばれた時は、空海は仏教を学ぶのではなく、薬生、薬を学ぶために選ばれている。
名目上そうなった、といわれています。
この年の遣唐使は暴風雨で船が瀬戸内海でバラバラになって、翌年仕切り直しで出発。
空海は、その間に東大寺で僧籍を取得して正式に僧侶として派遣されてます。
体力も、文章力も、書の美しさも、語学力も、あらゆる知識も、人格も、運も、いろいろ持っている空海なのであります。
真言に関しての川田さんの見解。
さらに真言を通じて自分と自然が一体化するという体験をします。
真言を声に出しているとその音が響いて自然と一体化し、やがて木なのか岩なのか自分なのか分からなくなる。
自然そのものと自分が完全に一体化するという、真言というのはそういうものなんだということを体感していくんです。
自我を滅し、自然(宇宙、神)と一体化するのが、マントラ(真言)を繰り返し唱える本当の目的なんですねぇ。
これを読んで思い出したのは、感覚瞑想。
ネイティブアメリカンの教えには、感覚瞑想というものがあり、自然の中で瞑想するのですが、五感を使って自然と一体化します。
そうするとその人が発する気が自然と一体化するので、動物にすら気づかれない、ということが起こります。
実際、高野山の弁財岳で感覚瞑想をやっていたら、アナグマが私に気づかず、近寄ってきたことがありました。
求聞持法を行じ続けて、真魚(空海)は光明体験をしますが、その瞬間は「時空間と自分が一体化」していたようです。
真言・マントラを唱え自然と一体化した先には、時空間との一体化が起こる。
時空間との一体化とは、つまり生きながら進化の階段の宇宙体験をコンプリートして隠身(かくりみ)になった、ということだと思います。
「我々の宇宙」と表現した理由は、我々が属する宇宙の他にも、沢山の別宇宙が外宇宙内には存在しているらしいからなのです。
密教というのは、宇宙の要になるもの、その真理を人格化して、これを大日如来と名付けます。そして、その大日如来に全てを語らせるのです。大日如来は宇宙そのものであり、完成形ですから、否定するものなどありません。それが密教の大元なんですね。そこで否定仏教(当時の日本の仏教)がいよいよ肯定仏教に変わるのです。
この時に、髪をおろして尼の姿になった真名井御前の美しさに本物の仏を見るんですね。
そうすると真名井御前のほうも空海を見て、ああ、仏というのはこういう方のことをいうんだと思う。
二人が同時におなじことを思うのです。
さらに、
境界がなくなって、熱く早くなった鼓動が同期するんです。
言葉はありません。
すべて分かってしまう。
伝法灌頂というのはそういうものなんですね。
差し上げるときに魂と魂がつながって、相手がどんな心境なのかも、自分がどういう状況なのかもお互いに全部わかってしまいます。
そこで二人はその思いを一つの形に表現し直したんです。
完全にひとつに溶け合ってしまった。
「人間に生まれてきてよかった」と魂の底から思える、もの凄い至福感です。
(中略)
自然に、しかも物理的に境界がなくなるんですね。これを大欲といいます。
(中略)
空海も大欲は大切だと理趣経に書いています。
きちんと具体的な描写もして、男女の愛や性を清浄なる菩薩の境地であると肯定しています。
(中略)
空海と真名井御前はお互いがお互いに仏を見て、大欲によって肉体的にも一体となることでお互いに本質的な幸せというものを体感するわけです。
(中略)
そして、別れたその夜から(最期の逢瀬)真名井御前はすっかり変わってしまうのです。
空海がいま何をしているのか手に取るように分かるようになる。
仏と仏が結び合うというのは、新しい世界を二人で創る、新しい宇宙を創るということです。
1月に空海が水断ちを始めると、真名井御前も私もご一緒しますと水断ちをします。実は新しい命を授かっているのですが、その子と一緒に「あなたの一日先に行ってお待ちします」と言って、3月20日に亡くなります。次の日、空海はそれを知った上で「ご苦労様、私もすぐ行きます」といって向こうで会うのです。
ひとつ覚えておくといいのは、どんなに優れた高次元の存在であっても、分かった!とか、できた!と思う瞬間は最もエネルギーが下がる瞬間なんです。(中略)そのときにすっと昂ぶっている感情を沈めて、拡大しているエネルギーを収めて、整理して内省してまた次の課題をみつめていくような、そういう姿勢が非常に大切です。
智泉の父方はなんと菅原氏。。。
コーランを翻訳した井筒俊彦先生の見解。空海の思想の一番の根っこは「存在はコトバ」である、と。