このタイトルが浮かんだ瞬間に、ビシビシビシッと構成が頭に浮かんでですね。

私にしては異例の速さ(笑)で、記事にすることにしました。

しかし書き始めてすぐに後悔。

1日2日で、しかも仕事の片手間でまとめられる内容ではないなぁと。

乱文、とりとめのなさをご容赦ください。

 

 

神社チャンネルのゆにわ塾主催の、昨年の「最澄と空海」半年間講座の最終回は実はこちらの話題でした。

晩年の空海の最愛の人と言われる真名井御前。

年の差30歳以上。

空海が入定した同じ年、同じ月の前日に33歳で逝去。

二人は1日違いで昇天している。

 

 

真名井という名は、京都の天橋立の近くにある真名井神社由来。

海人族出身です。

天皇家よりも古いとも言われる海部家の直系です。

真名井御前は天皇の妃になったが、出家し、如意輪観音の宗法を兵庫県の甲山(かぶとやま)神呪寺で行なっていた。
神呪寺の秘仏は、空海が真名井御前に贈った如意輪観音。
空海自身が彫ったとも言われています。
真名井御前に似せて彫られたとも言われております。
真名井御前は、空海にお願いして出家し、如意という尼僧名を与えられる。
真摯に修行した結果、尼僧では初めて伝法灌頂を授かっている。
ちなみにわたくし、仏像好きで、自分で彫っていた時期がありました。
今は諸々忙しく、中断してますが。。。
 
 

中学の時、歴史の資料集で如意輪観音を見て一目惚れ。

一番好きな仏像です。

特に、鎌倉の来迎寺のセクシー如意輪が一番好きです。
 
晩年の空海が高野山から、真名井御前に逢いに通ったと言われる神呪寺。
車で行きましたが、結構な山道でした。
まして高野山からの距離となると。。。
この頃既に空海は、水銀による業病に苦しんでいたようですし。
愛がないと、還暦目前のおっさん空海には、通えなかったと思うぞ。。。
山道を運転しながら、空海の彼女への想いの強さを感じましたよ。
 
甲山を背にして建つ神呪寺。
修行の山寺といった風情です。
甲山はハイキングコースが整備されており、地元の方々が運動に勤しんでおりました。
 
 
如意輪観音の本堂。
 
 
真名井御前の僧名、如意尼と書いてありますね。
 
 
 
 
霊的に空海とコンタクトしたこちらの本。
空海の歴史を史実とともに振り返る書です。
2017年の書。
 
既に他界されてしまいましたが川田薫博士、きれい・ねっと代表でもあり、「ホ・ポノポノ」関連の書籍の著者でもある山内尚子さんの対談形式となっております。
ポノポノ、私もやっていた時期があります。。。

 

 

冒頭は空海の出自と僧を目指したきっかけについて。

 

以下は、あくまでも真偽の裏はとれないチャネリング内容ということで。

 

空海は実は桓武天皇の実子で、奈良で生まれて奈良で育った。

四国で生まれ育った割には大学に通ったり、遣唐使のメンバーに選出されたりと、身分に合わない待遇だったのは、これで説明がつくようです。
「三教指帰」に書いてある、大学の学生だった空海(真魚)に「求聞持法」と「大日経」を渡した一沙門とは、坂上田村麻呂のことだった。

 

まぁ、ありえなくはないかなぁと思いました。

桓武天皇の落とし子だったのには、深くうなづける。

 

遣唐使に選ばれた時は、空海は仏教を学ぶのではなく、薬生、薬を学ぶために選ばれている。

名目上そうなった、といわれています。

 

 

この年の遣唐使は暴風雨で船が瀬戸内海でバラバラになって、翌年仕切り直しで出発。

空海は、その間に東大寺で僧籍を取得して正式に僧侶として派遣されてます。

体力も、文章力も、書の美しさも、語学力も、あらゆる知識も、人格も、運も、いろいろ持っている空海なのであります。

 

 

真言に関しての川田さんの見解。

 

さらに真言を通じて自分と自然が一体化するという体験をします。

真言を声に出しているとその音が響いて自然と一体化し、やがて木なのか岩なのか自分なのか分からなくなる。

自然そのものと自分が完全に一体化するという、真言というのはそういうものなんだということを体感していくんです。

自我を滅し、自然(宇宙、神)と一体化するのが、マントラ(真言)を繰り返し唱える本当の目的なんですねぇ。

これを読んで思い出したのは、感覚瞑想。

ネイティブアメリカンの教えには、感覚瞑想というものがあり、自然の中で瞑想するのですが、五感を使って自然と一体化します。

そうするとその人が発する気が自然と一体化するので、動物にすら気づかれない、ということが起こります。

実際、高野山の弁財岳で感覚瞑想をやっていたら、アナグマが私に気づかず、近寄ってきたことがありました。

 

求聞持法を行じ続けて、真魚(空海)は光明体験をしますが、その瞬間は「時空間と自分が一体化」していたようです。

真言・マントラを唱え自然と一体化した先には、時空間との一体化が起こる。

時空間との一体化とは、つまり生きながら進化の階段の宇宙体験をコンプリートして隠身(かくりみ)になった、ということだと思います。

 

 

「我々の宇宙」と表現した理由は、我々が属する宇宙の他にも、沢山の別宇宙が外宇宙内には存在しているらしいからなのです。

 
次に、川田さんの大日如来の見解。
 
密教というのは、宇宙の要になるもの、その真理を人格化して、これを大日如来と名付けます。
そして、その大日如来に全てを語らせるのです。
大日如来は宇宙そのものであり、完成形ですから、否定するものなどありません。
それが密教の大元なんですね。
そこで否定仏教(当時の日本の仏教)がいよいよ肯定仏教に変わるのです。
 
「宇宙の要の真理を人格化」
ものすごくしっくりきました。
 
 
次に、今回の核心部分、真名井御前との関係について。
如意尼こと真名井御前の伝法灌頂の時に、空海との間に走った二人の想いについて、川田さんの見解。
 

この時に、髪をおろして尼の姿になった真名井御前の美しさに本物の仏を見るんですね。

そうすると真名井御前のほうも空海を見て、ああ、仏というのはこういう方のことをいうんだと思う。

二人が同時におなじことを思うのです。

 

さらに、

境界がなくなって、熱く早くなった鼓動が同期するんです。

言葉はありません。

すべて分かってしまう。

伝法灌頂というのはそういうものなんですね。

差し上げるときに魂と魂がつながって、相手がどんな心境なのかも、自分がどういう状況なのかもお互いに全部わかってしまいます。

そこで二人はその思いを一つの形に表現し直したんです。

完全にひとつに溶け合ってしまった。

「人間に生まれてきてよかった」と魂の底から思える、もの凄い至福感です。

(中略)

自然に、しかも物理的に境界がなくなるんですね。これを大欲といいます。

(中略)

空海も大欲は大切だと理趣経に書いています。

きちんと具体的な描写もして、男女の愛や性を清浄なる菩薩の境地であると肯定しています。

(中略)

空海と真名井御前はお互いがお互いに仏を見て、大欲によって肉体的にも一体となることでお互いに本質的な幸せというものを体感するわけです。

(中略)

そして、別れたその夜から(最期の逢瀬)真名井御前はすっかり変わってしまうのです。

空海がいま何をしているのか手に取るように分かるようになる。

仏と仏が結び合うというのは、新しい世界を二人で創る、新しい宇宙を創るということです。

 
空海レベルでも、この体験は人生の最後の最後だったようです。
同じレベルの相手が現れて、やっと成就するものですから。
川田さんによると、これは空海が入定する前の年の11月の出来事だったそうです。
その後、意識レベルで彼女と一体となった空海は、残り3ヶ月で数々の偉業を成し遂げる。
 
仏の境地で愛し合った空海と真名井御前ですが、先にも書いた通り、二人は1日違いでこの世を去っています。
空海は自分で日取りを決めて、真名井御前の1日後に入定してます。
この辺を、昨年のゆにわ塾主催の半年間講座の「最澄と空海」の最終回で、その動機と理由も含めて解説してました。
その真偽は自分の中では保留中なのですが、1日違いなので、ありえなくはないかなと思います。
いつか書きたいと思った時に、その内容も書いてみます。
 
川田さんは、二人の死について、このように説明されてます。
 
1月に空海が水断ちを始めると、真名井御前も私もご一緒しますと水断ちをします。
実は新しい命を授かっているのですが、その子と一緒に「あなたの一日先に行ってお待ちします」と言って、3月20日に亡くなります。
次の日、空海はそれを知った上で「ご苦労様、私もすぐ行きます」といって向こうで会うのです。
 
とてもロマンチックなのですが、その後、あの世で会うには会えたのですが、魂の還る次元が違っていたため、すぐに会えなくなってしまったようです。
あの世では魂のレベル、次元が違うと一緒にはいられない。それは空海も知らなかった。
あらゆるレベルの人たちが、渾然一体となって生活できるこの地球次元は、本当に貴重で素晴らしいということなのです。
 
1200年の期間別々だった二人は、今は、はせくらみゆきさんの祝詞エネルギーにより、次元の壁を突き抜けて一緒になれたそうです。
あの世での1200年なら、そんなに長い期間ではなかったとは思いますが。
しかし、さすが在日宇宙人。すげーーーーー。
 
最後に自分への戒めに、
ひとつ覚えておくといいのは、どんなに優れた高次元の存在であっても、分かった!とか、できた!と思う瞬間は最もエネルギーが下がる瞬間なんです。
(中略)
そのときにすっと昂ぶっている感情を沈めて、拡大しているエネルギーを収めて、整理して内省してまた次の課題をみつめていくような、そういう姿勢が非常に大切です。
これ、モロに今世の自分の課題なので。。。
 
 
今回紹介したのは、内容のほんの一部で、空海が山林や山岳の修行で得たもの、超人的身体能力をどうやって発揮させるか、鉱物について、水銀がとれた丹生の里について、宇宙の精神形成場、物質形成の場、などなど盛りだくさんでした。
空海好きなら読んで損はないかと思います!
 
 
なお、高野山の開山は、空海が弟子の中で最初に伝法灌頂を授けたと言われる、智泉の存在なくして達成できませんでした。
空海の十大弟子の一人にして、空海の甥っ子。享年37歳。
智泉もまた天才だったのですが、彼らの天才性は血筋ですね。
智泉を祀るお堂が根本伽藍の脇にあるようですので、高野山にお越しの際は是非このお堂も参拝されてみてください。
 
 
この日の旅の終わりは、大阪天満宮(友人に待ち合わせ場所に指定されたのです。ここでも道真公(笑))に移動して七夕祭りに参加しての、なぜか青森料理(笑)。
天満宮はとても賑わってました。
ちなみに真ん中に写っている人は、私とは縁もゆかりもない大阪のおばちゃんですw
 
 
如意輪観音の「如」と空海の「空」の文字を合わせた「如空」の日本酒がありましたので、迷わずオーダー。
 
 
「真名井御前(如意輪観音)と空海が一体となった双身歓喜天を現した日本酒や(なぜか関西弁)」と呟きながらいただきました。
実に美味でした。
 
今日も思ったよりも長い記事になりました(汗)。
酷暑ですので、ご自愛ください。
 
 
以下、自分のためのメモ
コーランを翻訳した井筒俊彦先生の見解。
空海の思想の一番の根っこは「存在はコトバ」である、と。
名付けにより、存在として現れるということか。
コトバの音、周波数によって、宇宙中に遍満している素粒子が中間子(霊)を起点に固まって物質化する?