どうも、すこっちです。(^o^)
最近、歴史モノのマンガ本にハマっている。
昨日読み終えたのが、こちら↓
宮城県出身のレジェンド石ノ森章太郎先生が手掛けた「マンガ三国志」
三国志と言いますと、横山光輝先生の全60巻に及ぶ大作マンガが有名ですが、主に諸葛孔明にスポットを当てたこちらの作品はサクッと読むにはちょうどいい仕上がりとなっております。
でね、偉そうな題名にしちゃいましたが、この作品を読んでたら最後の最後に良い教訓染みたお話があったので紹介します。
劉備は蜀漢の初代皇帝なのですが、漢中という領地を奪取したときに「漢中王」を名乗りました。ちなみに劉備には桃園の誓いと言って桃畑で義兄弟の契りを交わした「関羽」と「張飛」という優れた武将がおりました。
漢中王になった劉備は右腕である「関羽」に荊州という地を治めることを任せました。
まあ、一番信頼の置ける人に大事な領地を任せたんですわな。
そこで、関羽に余計な下心が生まれてしまう。「私をそこまで信頼して荊州の統治を任せていただいたのならば、殿のために樊城を手に入れてしんぜよう」(樊城は孫権の領地)
大人しく、軽挙妄動を謹むべきなのに、人はなぜか調子に乗るとやらかしてしまうもの。
案の定、関羽は孫権の反撃にあって、命を落としてしまう。(だから、言ったじゃないの)
ここで義兄弟の一人を失った劉備は復讐の鬼と化し、「敵討ち」を誓う。
諸葛孔明の説得も耳に入らず、趙雲の「国賊を討伐するのは公事、兄弟の仇は私事です。天下のことを重んじてください。」という至極真っ当な諫言も右から左となってしまいます。
でもさすがにトップはトップですから、そう簡単に重臣たちの諫言を無視し、軍を動かすことには躊躇しますよ、さすがに劉備でも。
ところが、そんなトップの凛とした威厳も吹っ飛ぶ追い打ちが来てしまいます。
義兄弟の契りを交わしたもう一人の張飛が劉備にこうアツく語りだします。
張飛「死ぬときは一緒という我ら義兄弟の契りを忘れてしまわれたのですか!」
劉備「忘れてはおらん、皆が止めるので動けぬのだ。(あぁ、この人周りのせいにしだしたよワ)
張飛「我らの固い契りを誰が知りえましょうか 陛下が行かれぬなら私が行きます!敵を討てね
ばあとは死ぬまで!」
劉備「朕もそなたとまいるぞ!ともに、孫権を討ち恨みを晴らそうぞ!」
孔明「だめだ、もうお止めできない」(孔明心の声)
かくして、張飛が3万の大軍を率いて出陣するも、恨みを持った部下に殺されて頓死。
10万の大軍を率いた劉備軍は、最初は「クリリンのことかぁ!」ばりの怒りパワーで快進撃を続けますが、8ヶ月に及ぶ長陣で兵が疲弊したところで孫権軍の総攻撃を受けてしまいます。
(ゲームもそうだけど、無敵の時間は短いのよね)
止むなく撤退する劉備軍。白帝城へ逃げ帰りますが、決定的敗戦に落胆した劉備はまもなく病の床についてしまい、間を置くことなく亡くなってしまうのです。(蜀はしばらくして滅亡)
そういえば、我らが伊達政宗様も畠山義継に父輝宗を拉致された自爆テロ(粟ノ巣の変)の憎悪から二本松城を無茶攻めして、多くの兵を失ったり、人取橋では絶体絶命のピンチに陥ったりしたっけなぁ。
やはり、トップは一時の感情に流されて、軽率な行動をとってはならん!という教訓なんですわな。(趙雲の言葉を胸に刻めってね)
本能寺の変だって、明智光秀は本当に勝算があって信長を討ったのかなぁ?何かしらの積もり積もった怨念が作用したんじゃないのかなぁ。
いやあ、だから歴史ってやっぱり面白いですねぇ。では、さよなら、さよなら、さよなら。