どうも、すこっちです。(^^)
異次元の少子高齢化が爆進中の我が日本国。
もはや古事記において、黄泉の国に旅立った伊邪那美に会いに行った伊邪那岐が、変わり果てた伊邪那美の姿にビビって逃げ出し、結界を張った石扉の向こうで伊邪那美が「私は1日に千人の人を殺すからね」と挑発されたのに対して伊邪那岐が「じゃあ俺は1日に千五百人子供を作るから」と返した、歌詠みのようなやりとりの人数も今や逆転してしまっているような有り様だったりする。(分からない人ごめんなさい、古事記でググると出てくるよこの話)
でね、以前、「日本史においての子だくさんってだあれ?」っていうのを書きましたが↓
その名を大垂日子淤斯呂和気(おおたらしひこおしろわけ)代12代天皇の「景行天皇」です。
まあ天皇といいますと、昔は大和王権の勢力を拡大するという大義名分を掲げて、田舎で平和に暮らしていた熊曾だったり、出雲だったりを自分の支配下に置くために戦を仕掛けて、降参した首長の娘なんかをどんどん自分の愛人コレクションにしていったので、そりゃあ子供の数も無限増殖しますわなぁ。
なんと、驚いてください。
景行天皇には、妻は70人、子供は80人いたと古事記には記されているそうです。
ホントに?っていうか、数えて覚えていた人本当にいたの?数え忘れられてた妻も子供もいたんじゃないの?暗記の達人だとされている稗田阿礼(ひえたのあれい)の記憶を信じていいんかい?(分からない人はググってみてね)
ちなみに、この景行天皇の80人の子供のうちの1人が古代史における悲劇の英雄と伝えられる日本武尊(ヤマトタケル)なのです。
もちろん現代において、タブー中のタブーですが、もしも本気で究極の少子化対策の切り札をひねり出すとしたら、景行天皇や嵯峨天皇、徳川家斉のときのように、「一夫多妻制」を導入して、生まれた子供の養育費は国が肩代わりするぐらいのことをしないと、伊邪那美の千人斬りを上回るのは難しいんじゃないかとアタシは思いますけどね。
だって、「子どもは国の宝」なんでしょ。