どうも、すこっちです。(^^)
ジャック・ダニエルといえば、あのチャコール・メローイング製法(原酒を樽詰めする前にサトウカエデの炭でろ過する独自の製法)で有名なテネシー・ウイスキーの代表的な銘柄である。
(スコッチではありませんが、すこっちも大好きです)
銘柄名にもなっているジャック・ダニエルさんが生みの親なわけなんですけど、このダニエルさんが実は凄い人だったりする。
南北戦争で得た金をもとに、ラウスクリークから現在のリンチバーグに蒸留所を移し、ここで本格的なウイスキー造りに着手したのは終戦直後の1866年のことだったそうです。これが政府公認第一号の蒸留所となり、ジャック・ダニエルは爆発的に売れに売れた。
そんなジャックが死んだのは1911 年10 月9日で、享年65 だったのですが、その理由が、ハンパない。ジャックの事務所には頑丈な金庫があり、ジャックはいつも、その金庫の上に腰をかけていたが、ある日扉がうまく開かなくなってしまった。怒ったジャックは、この鉄製の頑丈な金庫を蹴って、足の指を骨折してしまったのだ。その傷がもとで患部が壊死し、その数年後に壊疸により死亡してしまったのだそうだ。
金庫を蹴って、骨折して、それが原因で帰らぬ人、あり得ないよねぇ。
つーか、お金持っているんだから、業者に修理を頼んだらいいじゃん。
ひょっとして業者にも触らせたくなかったのかなぁ。
独立心が旺盛で、人と同じことが大嫌い。金庫も新しいものに買い換えるよう忠告されていたにもかかわらず、頑として言うことを聞かなかった。いかにもジャックらしい最期である。ジャックは生涯独身を通したので、蒸留所と事業は甥のレム・モトローが引き継いだ。ジャックの墓はリンチバーグを見おろす丘の上にあるが、そこにはなぜか今でも白い椅子が2 脚置かれている。
実はジャックは身長155 センチの小男で、いつまでたっても“ おちびさん” であったが、派手好きで、音楽とパーティーを愛したテネシーいちのモテ男でもあった。椅子は生前のジャックを懐かしんで、複数の女友達(愛人)が、持ち寄ったものだという。ジャックといつまでも語り合うためだというが、椅子はそのままジャックの死後110年近くが経った現在も、墓の前に置かれている。もちろん、古くなればその都度、リンチバーグの村人によって新しい物に取り替えられているのだそうです。
我らが伊達政宗様の身長は159.4センチですから、ジャック・ダニエルさんと身長は同じぐらい
ジャック ダニエル ブラック (Old No.7)の7は愛人の数だと語り継がれている
伊達政宗様には正室の愛姫の他に少なくとも7人の側室がいたと伝えられている
なんか似てますねこの二人、まあ政宗様は金庫を蹴ったりはしないでしょうけど、、。(-_-;)
今年の10月9日は、ジャック・ダニエルで乾杯!🥂で決まりですね。