どうも、すこっちです。(^o^)
先日、カミさんが図書館から借りて来ていた内館牧子先生の「老害の人」という本を本人は読み終わったというので、急いで借りて読み終えた。
感想としてはですねぇ、アラフィフ世代より上の人たちは絶対に読んでおくべき作品だとアタシが太鼓判を押す秀逸な作品でした。
世の中には「老害」の定義なんてないんですけど、この本を読んでいくとなるほど!こういうのが老害とカウントされるのかと納得せざるを得ない細かな描写が盛り沢山にでて来る。
居場所の無くなった「老害」の主人公が最後には自分の居場所を見つけるっていう話なんですけど、内館牧子先生の特徴でもあるキラリと輝くいいフレーズが随所に見られるのです。
でね、主人公の「老害」の元社長が娘婿を社長にして老後をエンジョイしているんですけど、作品の中でこの後継者の娘婿のことを「毒にも薬にもならない人」といった表現で、時にディスられ、時に持ち上げられたりするんですが、アタシ的にはこの表現が結構耳に残っていたのです。
そういえばみなさんも周りにいませんか?「毒にも薬にもならない人」。
仕事は当たり障りなくこなすし、挨拶も接する態度も至って普通。かと言って、これといった特徴も無いし、お互いプライベートを深堀りするようなコミュニケーションを取る間柄にもなかなかならない。
つーことは裏を返すと、この人と飲みに行ってもたぶん、面白くはないだろうなぁと想像してしまう。だから、自分から飲みに誘うということはないでしょう。でもね、こういう「毒にも薬にもならない人」の方が上には良いように扱われて出世をするなんてこともある。もっぱら中間管理職止まりではあるでしょうけど。でも、そういう人っていざという時に無理を聞いてくれるネットワークを持ち合わせていない。どこか他人行儀で杓子定規な立ち居振る舞いしか出来ないので、仕事のピンチを救ってもらう、救ってあげるという面白さみたいなものは一生味わわないまま会社人生を終えるんだろうなぁとアタシは思ってしまう。
一方、世の中には言葉は似てるんだけど、「毒にも薬にもなる人」というのもいる。
これね、自分と調子良く付き合ってくれていて、期限が良いときは良いわけよ。百万力みたいな味方を得たようで、信頼が厚い頼もしい存在。なのだが、一旦機嫌が西高東低の冬型の気圧配置に入ってしまうと、これほど厄介なものはない。今までとは手のひら返しのように、接し方が急変してしまう。まさに、「ジキルとハイド」的な存在。扱い方には要注意だ。
最後に「毒にしかならない人」というのも稀に存在する。
こういう存在と仕事上関わることになったら、もう「忍」の1字。ひたすら耐え忍ぶしか無い。
だって、だれがどー見たって「毒にしかならない人」なんだもの。内館さんの「老害の人」の中に、「毒も積もり積もれば薬になるんだよ」なんてセリフが出ては来たけど、アタシはそこまで人間が熟成しておりませんので、あくまで「毒」は「毒」であり、「毒にしかならない人」は距離感を適度に保ち、とことん接触を避け、ポイズンを喰らわないようにするのが一番の得策なのではないかと。なにより毒を喰らって乱れた精神の解毒が大変なのである。(キアリーの呪文を唱えた!)
もし、興味がお有りでしたら「老害の人」読んでみてくださいね。(^^)