「則本問題」から私たちが学ぶこと | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

どうも、すこっちです。(^^ゞ

 

則本投手、見事にやりましたね~。今季初登板で初勝利!おめでとうございます。m(_ _)m

 

もうね、そうなるんだろうなあとは思ってたけど、やっぱりそうなった。

 

んでね、この間ネットと一部の週刊誌で取り上げられた以外はテレビもラジオも新聞もそのことには全く触れようとはしない。

 

アタシも3/27と30日のブログでさんざん言いたいことは書いたけど、今回のことでよーく分かったことがありました。今日は、みなさんと一緒に今回の「則本問題」について、分かったことを読み解いていきましょう。

 

その1「力のあるプロダクションに守られていると我が身は安泰である」

 

芸能界だとジャニーズ事務所ですかね、政界も現首相の息子に、前首相の夫人、経済界でも一流企業のトップだと影響力があるわな、野球界も巨人や阪神のような老舗球団は力わざで押さえ込み1本が得意だとは思っていたけど、まさか楽天もとは。

 

野球界だと恐らく、「この件について、報道したら今後は取材拒否ね」みたいな忖度を迫るパワハラが突き付けられているんでしょう。だから、メディアは手が出せない。政界にしても財界にしても同じようなパワハラがまかり通っているんでしょうからね、きっと。

 

結局のところ、力のあるバックが付いていれば、ちょっとした不祥事やもめ事はもみ消してもらえる、うやむやに出来るって事なんですわな。それで、はらわたが煮えくり返るような思いをする人は確かにいるんだけど、そんな存在なんてパワハラを仕掛ける側からしてみれば、ただうっとうしいだけの蚊やハエのような存在、ということになるんだろうね。

 

逆に自分の所属するプロダクションに力が無いと、守ってもらえない。まあ、やらかしたことの程度にもよるんだろうけど、アンジャッシュの渡部や水泳の瀬戸大也やハンドボールの宮崎なんかは果たしてかばいきれなかったと見るべきなのか?社会的責任を重視したと見るべきなのか?ホントのところは分かりません。

 

でも、これだけは言っとく!

 

天網恢々(てんもうかいかい)疎にして漏らさずってね。

 

一時的に世間はやり過ごせたと思っても、踏みにじられたファンの心はそう簡単には戻ってきませんから。足を踏んだヤツは忘れても、踏まれたヤツは絶対にその痛みは忘れないもんです。

まあ、あなたが行くところ、行くところ、常に周りからそういう人なんだねって見られ方をして、今後の人生を生きていく。重い十字架を背負って、修羅の道を歩くと決めたんだから、まあ頑張ってくださいな。

 

その2「成績が良ければ、他のことはでたらめでも許される超合理主義社会」

 

いつの頃からか、もてはやされ、私たちが当たり前に持ち合わせていた「昭和の正義感」をいつの間にか玉座から引きずり下ろし、取って代わったのが「経済至上主義」、「合理史上主義」という新しい平成の時代の正義感。

 

「平成の正義感」はとにかく、結果が全て。結果が良ければ厚遇される。結果を出し続けてさえいれば、どんな素行不良もダーティーな一面も一気の寄りで、土俵下に突き落としてしまえる。アラフィフ世代以上が持ち合わせていた「勧善懲悪」という正義感はもはや、役に立たない「ものさし」になってしまったということのようである。

 

こと野球界においても、3/30のブログに書いたとおり、そうそうたるメンバーなんだよ、そういうことした人たちは。でも、成績も輝かしいのもまた事実。だから、それ=「平成の正義感」で帳消しにされてしまうって分けなのです。

 

確かに大したことじゃあ、ないんでしょう、本人たちからしてみれば。他人にとやかく言われる筋合いはないと思っているんでしょう。百歩譲って、あなたたちが一般ピープルだったらそれも許されるかもしれない。でも、そうじゃないよね、あなたたちの立場って。

 

「いいんだろう、15勝すれば」、「打点王を獲れば、ホームラン王を獲れば文句はないだろう」

 

そういう人が、選手生命を絶たれた後も幸せに心豊かに暮らせると思うなよって。

 

お天道様のもとを、大手を振って歩くなんて事は、もう出来ないと思ってもらいたい。

そうなってくれないと、世の中そのものがおかしいとアタシは思い続けたいんです。

 

もうこのことに関して書くのは終わりにします。

 

キリが無いし、馬の耳に念仏だし、読んで頂いている読者も決していい心持ちにはならない。

 

見方を変えてしまえば、これはあくまで則本家の問題。

 

でも、そんな簡単に割り切れないと思ったから、ここまで書いてきた分けなんですけどね、、、。

 

アタシが最後に言いたいことそれは、「昭和の正義感」は大事にして欲しいということ。

良いことはいい、悪いことは悪いという当たり前が当たり前で無くなってしまったら、

 

世の中は闇でしかない。

 

瞳と心が濁ったら、もうそれは、人間ではなくて、ただのつまらない「人」ですから。