訓示は言葉に意味を込めようとしないと意味がない | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

どうも、すこっちです。(^_^)

 

訓示という言葉の意味を調べてみると、「上位の者が下位の者に業務上の注意等を教え、示すこと」とあります。

 

会社勤めをするようになりますと、だいたい自分よりも年齢が20~30歳ぐらい上の上司と呼ばれる方が新年や年末の挨拶、夏冬のボーナス支給時、大事な会議の冒頭などでこうした訓示を目の当たりにする機会が多いんじゃ無いでしょうか?多少下って、新入社員や移動の方の歓送迎会や忘年会なんかでも、お偉いさんの挨拶というのはついて回るものです。

 

でも、みなさん感じません?

 

こうした訓示や挨拶。まあ、お手本のようなひな形があるのか、それともどなたかの作文を丸暗記して喋るのかは分かりませんが、なんか心に響いて来ないって思いませんか?

 

少なくともアタシはかれこれ30年ほど社会に出て、お偉いさんの挨拶をさんざん聞かされてきたけど、「あ~いいこと言うなあ~」とか、「なるほど、もっともです」とか、「確かに、確かに」という腑に落ちるような、自分が心の底から諭されるようなスピーチにお目に掛かったことが無い。(>_<)

 

これは、なぜなんだろう?

 

いろいろと考えてみたところ、アタシの結論は次の5つでは無いかと。

 

1.自分がこういうことを伝えたいんだ、こういうところを分かって欲しいんだという信念がない

 

2.自分の発する言葉に意味を込めようとしていない

 

3.自分の発する言葉に責任を持っていない

 

4.言葉というものは、時には武器にもなり、時には傷薬にもなる。それだけ、言葉は重要なものだという認識が無い。

 

5.伝え方を習ったことがない、習おうとしない

 

そりゃね、いきなり突拍子もない話をして滑るよりは、その時々のシチュエーションに応じたセーフティーな挨拶の方が安全パイだわね。だって、不思議なもんでさ、話す方は「どうせ、ろくに聞いてねえんだし」って思いながら話しているし、聞く方は聞く方で「どうせ、大した話なんてしねえんだろう」って思いながら聞いている。お互いが予定調和で終わりゃあシャン、シャンだと思っていたりする。

 

なんとなく聞いている方も聞いた気になるし、話した方も話した気になって終わる。だけど、こんなんで本当にいいのだろうか?そもそも、そんな訓示って意味あるのかなあ?

 

例えば、タイムリーなネタとして「冬のボーナス」。

 

コロナ禍でね、支給ゼロって会社も多い。会社も社員を雇用していく上で、さすがに0回答って分けにもいかないだろう。今後のやる気をアップさせるためにも金額はともかく、支給に踏み切るという会社は多いことでしょう。

 

さて、そこで「言葉の力」、「訓示」の出番である。

 

相変わらずどこかで何回も聞いたことのあるようなフレーズ。やれコロナ禍で業績不振なんだぞとか、それでもウチの会社はボーナスを支給してあげているんだぞとか、恩着せがましい無味乾燥な話のオンパレード。(出たか!)そんな話、誰しも右の耳から聞いて、左の耳から出て行くである。

 

違うんだなあ~。

 

ここでね、トップが冬のボーナスを支給するに当たり、社員のハートをわしづかみにするような訓示をしてくれたら、間違いなくボーナスの価値は高まり、社員はきっと何倍返しにもなる成果を発揮してくれるに違いない。

 

会社の苦しい懐事情から捻出したせっかくの虎の子の「冬のボーナス」を生かすも殺すも、それはトップの「訓示」ひとつに大きくのしかかっている。なのに、人に伝える、言葉の力というものに誰も見向きもしようとしない。だから、今日もどこかで壊れたテープレコーダーのような同じメッセージが繰り返され続ける。

 

一番大事なことは、自分の発する言葉に意味を込めるということ。魂を込めるということ。命を込めるということ。魂を込めた命がけのスピーチに心を揺り動かされない人なんて、そうそういないはず。

 

あなたの発言を火縄銃で終わらせるのか?それとも、ライフルで聴衆のハートを撃ち抜くのか?

 

そんな名スピーチがこの冬(12月)、日本国中の会社で鳴り響くことを期待したいものですね。(^o^)