どうも、すこっちです。!(^^)!
アタシぐらいの年齢になると、もはや遊びでもバットを握って野球に興じるということも無くなってしまった。
ましてやバッティングセンターに仮に行ったとしても、たぶん1球もまともに打ち返す事さえ怪しい。(-_-;)
野球はせいぜい観戦するぐらいが関の山である。
そんな野球の中でも、一番の恐怖を感じるのが「デッドボール」。さすがに生きてきてこれまで、デッドボールに遭遇したということは無い私ですが、あれだけの硬いボールをまともに喰らったら、とてもじゃないけど身が持たないわ~。つくづくプロ野球選手って凄いなあ~って思うよ。(>_<)
さて、今日なぜデッドボールの話に触れたのかと言うとですね。
この「デッドボール」なにも野球に興じている時にだけ遭遇すると言う分けでは無い。
私たちの日常には、これでもかというぐらいデッドボールが溢れている、例えばこんな感じ。
「コンビニに車を停めていて、バックで出ようとしたら相手もバックで出ようとして追突された。」
(あったよ、あったアタシも最近)
「自分は悪くないのに、なんでか上司の虫の居所が悪くて、集中砲火を浴びせられた。(これもある)
「ワタシよりも適任がいるじゃんって思うのに、またアタシにお鉢が回ってきたよ。」(これもよくある)
「ルールを無視してるやつが平気な顔をして、そのとばっちりが自分に、、、。」(これもあるわいな~)
まあ、これはほんの一例なんだけど、要は何が言いたいのかっていうと、自分はピッチャーが投じる球を素直に打ち返そうとしているだけなのに、痛ーい!なんで、140キロ近い硬いボールをアタシにぶつけんのよ!っていう風に、自分の言動には何一つ落度というか悪いところは見当たらないのに、不幸な目に合ってしまうってこと=デッドボールってことなんです。
誰もね、自分からデッドボールを狙いに行く奴なんていないんです。みんなね、一生懸命やっているわけなんですから。ピッチャだって、ビーンボールを除けば当てようと思って当てるわけじゃあない。
自分に起こった不運な出来事。これは、確かにその時は「こんちくしょう!」って思うかもしれないけれど、
実はこれ、あなたの堪忍袋が試されていると思ってください。そりゃあね、痛いよ。当たり所が悪ければ、選手生命に関わるかもしれない。でも、あなたがバッターボックスに立つということは、ヒットやホームランをかっ飛ばして、一躍ヒーローになる可能性もあるけれど、一歩間違えば死に至るリスクも抱えているという事なんだよね。
私たちも社会という戦場で仕事をしている以上、常に危険と隣り合わせのバッターボックスに立っているようなものだ。一度立ったバッターボックスから簡単に逃げる事なんて出来ないわけで、内角高めをえぐるような剛速球が来ることもあれば、それが運悪く当たってしまうことだってある。
問題はその時なんです!痛い、痛いって痛がっていれば、みんなが心配してくれるし、大事を取って休養するという選択肢ももちろんある。でもね、そこをグッとこらえて涼しい顔をして、一塁に歩いていくようじゃなきゃ、アタシは一人前のレギュラーとは言えないと思うのです。
以前読んだ落合博満さんの著書「采配」という本の中で、落合さんが中日ドラゴンズの監督をしていた時、レギュラー格の選手がデッドボールを受けた時、「大丈夫か?傷むか?傷むんだったら、そのまま出続けるのか、引っ込むのかは自分で決めろ」って聞くんだそうです。ただし、そのあと彼はその選手の耳元でボソッとこんなことを言うんだそうです。「俺だったら他の奴にチャンスは与えないけどな。」って。
意味分かりますか?
痛むからと大事を取って、自分がベンチに引っ込むということは、裏を返すとほかの選手に出場機会を与えてしまうことになる。そうなると、それをきっかけにひょっとして代わりに出た選手が活躍をしてレギュラー格の選手を脅かし、取って代わられるかもしれないよってことなんです。
いやー、デッドボール一つをそんなにシビアに考えたとことなんてなかったけど、実際の勝負の世界はそれだけ厳しいってことなんだよね。
よく、いますよね、感情が顔や態度に出る人。世の中ね、見ている人はちゃあんと見ているよ~。だから、気を付けないと。もうね、30代ぐらいからそういう事を意識して、表情や態度に出すのをセーブする訓練をしていかないと、いい年になったら、コントロール出来なくなっちゃいますからね。(まあ、還暦を過ぎてんのに、大変感情豊かな人生の大先輩方も結構いたりしますけどね、、、。(-_-;)
「痛くなーい! 痛いの 痛いの 飛んで行け~!」
子供の頃におばあちゃんが唱えてくれたおまじない。
実はこれって、強い人間になるためのおまじないだったのかもしれないですね。!(^^)!