ナマ伊達泰宗さんの話を聞いて来たぞぃ! | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
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どうも、すこっちです。!(^^)!

 

今日、10/20(土)アタシは志波彦神社塩竃神社の大講堂で開催された「伝える伊達綱村公の思い」というシンポジウムに行って参りました。

 

えっ、伊達綱村って誰なのかって?そうですよね、知らない方のために簡単に説明をしますと仙台藩の初代藩主は我らが伊達政宗なんですが、2代忠宗、3代綱宗、そんでもって4代が綱村なのです。

(綱が続くのは徳川家の家綱、綱吉から一文字頂いているからなのです。)

 

この人どんな人なのかと言うと、お父さんの綱宗が不行跡(チョイ悪ならぬ超悪)が祟って、わずか20歳で隠居生活(ま~羨ましいこと)なんと、2歳で仙台藩主になってしまう。当然2歳の幼君に政(まつりごと)は出来ないので、伊達兵部宗勝っていう後見人が付くんですが幼君なのをいいことに専横政治の限りを尽くす。これに反旗を翻してクーデターを起こして刃傷沙汰になったのがあの有名な「伊達騒動」。

 

その後、彼は「もう、こんな奴らにだけ任せておけぬ、私が自ら采配を振るうよ!」ってな感じで13歳の頃から専制政治(君主が自ら政治をする事ね)を始める。実直な綱村だったが、寺社の造営にハマり過ぎて藩の財政を圧迫しまくり、立場はどんどん悪くなっていく。そして、「歴史は繰り返す」なのだろうか?最終的には、家臣たちから疎まれ、44歳の時に父と同じくして強制隠居させられてしまう。

 

こんな波乱万丈の人生を送った綱村公なのですが、結構いいこともやっている。伊達家の歴史書である「伊達治家記録」を編纂させたのも彼だし、御舟入掘も、亀岡八幡宮も塩竈神社の社殿もみんな彼の時に建てたものだ。「もう、リッチじゃないし墓なんて石建ててりゃあ十分じゃね?」と言って、瑞鳳殿のような御霊屋を廃止して、大念寺にお墓を統一したのも彼だった。

 

当時、御舟入堀が出来たために、今まで必ず塩竈の港に寄港していた船が塩竈を素通りして、蒲生に行くようになってしまった。その影響もあって、塩釜という町は衰退しまくる。奥州一宮の塩竈神社を敬っていた綱村公は何とかしてあげたいと、ある秘策を実行に移す。それが、「貞享特令」だ。

 

詳しいことはググってみて欲しいのだが、ようは塩竈という町を「特区」として特別扱いしてあげなさい。という他の町が聞いたら、大ブーイングが起きそうな、なんとも羨ましい限りのVIP待遇の法律だ!

 

この政策のおかげで塩竈は、立派にV字回復を遂げる。まさに「貞享特令」さまさまだ。塩竈の人たちは仙台城に足を向けて寝れないよね、的な話である。(なので、今日のシンポジウムに結び付くわけね、ごめんね、ここまで長かったね)(>_<)

 

このシンポジウムの基調講演の講師は、な、なあんとあの伊達家三十四世であり、仙台伊達家十八代当主「伊達泰宗」さんだったのでーす。!(^^)!

 

いやあーナマ伊達泰宗さんは、やっぱりオーラあるよね~。雰囲気が違うわ。それに、話し方にも品格がおありで、さすがは現役伊達家当主だけのことはありますわ。

 

彼が経験してきたいろんな話を聞くことが出来て、大変ためになったわけなんですが、一番面白かったのが伊達政宗が浅野長政に宛てた「絶交状」の話。「もう、お前なんか大嫌い!話もしないし、顔も見たくないわー。」ってな感じで遥か昔に偉大な先祖が起こした困ったチャンな出来事に対して、浅野長政の子孫の方と1994年に398年ぶりに和解(なのかな?)をして解決したんだとか。

 

東京生まれの東京育ちだったが、父の死をきっかけに現在は仙台在住の泰宗さん。精力的に活動をされているようで、今度どこかでお会い出来たらぜひともセキレイの花押(書けるのかな?)をサイン色紙に書いて欲しいー、と思ったすこっちさんでありました。(^o^)

 

ぜひ、興味のある方は調べてみてね「貞享特令」。