すこっち探検隊が行くin「仙台市街から仙台城までの街歩きツアー」 | 仙台城 謎の覆面ガイド「すこっち」のブログ

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平日はフツーの会社員、しかし週末は伊達政宗の居城「仙台城」にてボランティアガイドを務める謎の男、「すこっち」。
ウィスキー好きで名付けたハンドルネームで、ジャンルを問わず、縦横無尽にブログで語り尽くします。

あなたも「すこっち」に酔いしれてみませんか?

どうも、すこっちです。!(^^)!

 

今日は寒かった~。(>_<)なのに、街歩きだし、歩くし、暑くなるだろうな~という明らかな判断ミス。

今日の仙台市の最高気温をチェックしたら11℃!?ってかなり寒いんだろうが!!

 

TシャツにGジャン、上着なしで向かった私っていったい、、、。(-_-;)

あわててコンビニに駆け込んで、張るカイロ3枚買って、集合場所に向かいました。

 

と、いうわけで「仙台ふららん」さん主催の仙台初心者必見!【仙台の歴史を作った高低差の秘密とは?そして、ガッカリさせない仙台城の楽しみ方をガッツリ伝授!歩くよ、春トレ、褒美は殿の見た仙台平野とずんだ餅】というネーミング何とかならないのかい?と思わず突っ込みたくなる街歩き企画に参加して参りました。(^o^)

 

まあ、仙台城ガイドの私が何をいまさらと思う方もいるかもしれないですけど、いえいえ私もまだまだ修行の身でありますから、こうした街歩きに参加すると必ずあらたな発見やトリビアなネタが聞けるんです。

そういう意味では、ガイドとしてのクオリティを高めるためには「精神と時の部屋」なんですよ。

 

集合場所はなぜか勾当台公園。ここに出発の10時前にちゃあんと12人の精鋭が勢ぞろいしました。

さすが、日本人!以前私のブログに書いたイタリア人イズムとは明らかに違うわね。

 

この勾当台公園で注目すべきは、そもそも仙台の街と言うのは広瀬川が造り出した「河岸段丘」の上に存在している街だということ。(これって、ブラタモリでも紹介されましたね)そんでもって、この勾当台公園が上町段丘と中町段丘のちょうど境目だってことを実感できる場所なのです。

 

勾当台公園行くと、妙な階段があるでしょう!あれって実は地形が造り出した段差、つまり崖だったの。

その崖を土盛りなどをせずにそのまま利用して階段を造ったという分け。

 

だから、階段を昇りきったところが上町段丘で階段を下りきったところが中町段丘。

上町段丘の一番高い地点は、宮城県庁のある所。実は、一番地盤が安定しているところに県庁は建っているのです。街中にこれほどの段差が存在している街って、ホントに珍しい。

 

さっそく一同で階段を昇って、降りて実感!「へえ~。」、「ほぉ~。」関心する一同。こりゃあ、のっけからなかなか楽しませてくれるじゃあ、あーりませんか!こういうオープニングって大事よね。

 

そうして、一行は街中を進んで仙台城を目指すのでありました。

 

途中、一番町は昔は普通に車が走っていて、その名残で両端にしかアーケードが無いという話や、芭蕉の辻の近くに仙台市電の終点があった名残の説明や、青葉通りと広瀬通りは戦後に出来た通りで、藤崎の青葉通り入口の15段の階段は河岸段丘の崖の名残だったりといった思わず「へえ」ボタンを押したくなるレアな話の連続なのでした。(これは、今日来なけりゃ聞けなかったわな~)

 

 

なぜか、一番町はアニメ「ハイキュー」モード一色?

 

あちらこちらで、「羽生クンTシャツの争奪戦」が、、、。

 

これが、藤崎青葉通り入口の15段の段差調整階段ね

 

仙台城を進む道中では、私がインプットしている説明とはまた違った仙台城に関する話がけっこう聞けちゃいました。!(^^)!例えば、あの仙台城北面石垣の石一個の重さって分かります?私はあんまし気にしたことが無かったんだけど、500KGから1トンなんだとさ。そんでもって、平成10年から16年に掛けての石垣修復工事の際、元に戻しても使えない石が出て来ちゃってどうしたか?代替の石で穴埋めをしたんです。と、そこまでは私も知っていたんだけど、なんとこの石、中国からの輸入品なんだと。

 

もーなんでもかんでも中国に依存してるんだね~この国は。(-_-;)

(緑ががかった石がそれなんだって、今度じっくり探してみてね)

 

さらに仙台城って実は「動く城」なんだそうですよ。

 

「はっ、それってハウルじゃねえの?」

私もそう、ツッコみたくなりましたが、説明している方自身が自分で突っ込んでましたね。!(^^)!

 

なぜ、動く城なのかというと簡単に言いうとこういうことです。

 

仙台城本丸→戦時には有効→平時になると通勤には不向→城下町拡張政策→政宗が隠居城名目で若林城を造営→政宗転居→若林城の城下町が出来る→政宗死去→若林城破却→二の丸造営

 

ってな具合にその時代のニーズによって、城を移動させて来たってことを「動く城」と呼んでいる。

ちなみに、そんな感じでお城の「お引越し~♪」を続けた先輩と言えば、そう、あの織田信長だよね。

あーそうか、これって「信長イズム」だったんだね。

 

かくして一行は仙台城の本丸に到着したのですが、道中の説明にあまりにも熱が入ってしまい、本丸での説明はほどほどとなってしまいました。

 

でも、最後の説明がなかなかイイ感じでした。

 

この方、2002年に日本でワールドカップが開催された時に、イタリア代表チーム(アズーリだね)が仙台に宿泊していたんですが、お休みの日にいろんな観光地やなんかに案内をした方なんだそうです。

 

その際、イタリア代表チームの方々に言われたそうです。

 

「仙台という街は、城があって、サッカーチームがあって、オーケストラがある。これは、素晴らしいことじゃあないか。住んでいる人はこのことをもっと誇りにするべきだし、他の国や地方に行ったら自分の街のことをもっと自信を持ってアピールするべきだ。」

 

みたいなメッセージを受け取ったんだそうです。

 

その時は、この方あんましピンと来なかったそうですが、後年街歩きのガイドをするようになったきっかけはこの、アズーリのメッセージだったんだとか。

 

そうなんです。天主閣が無くったって、立派な城があったんですよ、仙台には。

仙台フィルだって、立派な楽団ですよね。

べガルダ仙台だって、今年は今のところ2位だし。

 

まあ、イタリア人と日本人ではオーケストラのありがたみには温度差があると言わざるを得ませんが

他にも、楽天イーグルスも87ers(バスケ)もセンダイガールズ(女子プロレス)もあるしね。

 

仙台パルコにエスパル東館、牛タンにずんだ餅、うみの杜水族館に三井アウトレット。

流行ものと言うか、目に見える有機物にどうしても目が行きがちな昨今。

それが、観光客だけじゃなく、ジモティさえもそんな価値観の人は増えている。

 

歴史的建造物うんぬんじゃあなくて、そこにどんな意味があったのか?そうなんです、歴史でも地理でもなんでも、物事は掘り下げてみないと、本当の面白味ってわからないものなのです。

 

そういう意味では、以前イタリア人の本の感想で「どうなのよ、イタリア人」みたいなことを書いたけど、こういうイタリア人の心の根底にある「古き良き者に対するこだわりは捨てない」ってところは私たち日本人は見習わなければ、いけないですね~。」(-_-;)

 

最後に、その方はこんな言葉で締めくくってくれました。

 

サン・テグジュ・ペリの作品「星の王子様」にこんな一節があります。

 

大人になると、数とかそういう目に見えるものを大事にしがち。
確かにそっちの方が合理的でもあるから。
でも、本当に大事なものは数じゃ簡単にその価値を計れないかもしれません。

 

それはね、ものごとはハートで見なくちゃいけない、っていうことなんだ。
大切なことは、目に見えないからね

 

「そうなんです、大事なことは目には見えない」んです。

 

「地元の神社や地名にもちゃあんと意味があるんです。それを掘り下げるだけでも、新たな発見があるんです。みなさんもこれをきっかけに「心の目が使える人」になってください。

そうすると、もっと人生の愉しみ方が増えます。」

 

もう、おっしゃる通りです。m(__)mっていうか、私が普段思っていることと波長が合いまくりだね~。

 

街歩きにしては、歩行距離がハンパない一日でありましたが、大変収穫の多い「仙台の歴史~」でした。