どうも、すこっちです。!(^^)!
いやー降りましたねぇ~、もちろん雪がですよ。(ほかに何が降るというのかい?)
私も夫婦そろって雪かきをしておりましたが、周りの家を見渡すと果たしてこの国はこの先、大丈夫なんだろうかという光景をけっこう目の当たりにしてしまう。
うちの息子ども二人は雪掻きの手伝いをするわけでもなく、向いの家は70超の母親に雪掻きをさせて、パラサイトシングルの一人娘は外に出てくるわけでもない。2世帯が住んでいる向かい側の家はというと、父親が朝早くから一人で雪掻きをしているけれど、妻・息子・息子の嫁はたぶん、ベッドの中だったりするのでしょう。
「モラルの低下」が叫ばれるようになった昨今ではありますが、もはや歯止めを掛けるのは難しいのかなあと思ってしまう現実。いったい、どうしてこんな「我がため街道まっしぐら!」の国になってしまったの?
う~ん、少なくとも私達1970年代~80年代ぐらいまでなのかなあ~。学校でも会社でもなんとなく、すでに出来上がっているモラルスタンダードというものに、「まずは従って生活をしていかなきゃいけないよね。」という前提があったように思う。そのためには「自分の希望や要望は取りあえず我慢しなきゃね。」という大人びたブレーキが自然と身についていっていったように思うのです。
いまや、親だろうが子供だろうが、男だろうが女だろうが、先輩だろうが後輩だろうが、上司だろうが部下だろうが、年長者だろうが若者だろうが、「人類皆平等」、「親も先輩もお友達」的な考えが横行しているように思えてしまう。そして、権利や主義・主張を述べる事だけが先行し、尚且つ「自分らしさ」や「自分のやりたいことをやる」、世界に一つだけの~じゃないけど、「もともと特別なオンリーワン」といった風潮が大手を振って一人歩きをして、どこか昔からの「長幼の序」(ググってみてね)という観念がどんどんと薄れてしまっているような気がしてならない。(-_-;)
この原因の一つに、私は「宗教」が大きく関わっているように思うのです。
皆さんがご存知のように、日本って無宗教の国でしょう。いや、これには語弊がありますね。ちゃんとした宗教、例えばキリスト教を信仰していて、日曜日には礼拝のために教会に行くとか、そういう人は別にして、私を含めほとんどの日本人は「宗教」っていったら、お葬式の時ぐらいしか出番が無い。(>_<)
どうして、こんなにも日本国民と宗教が縁遠いものになってしまったのかと言うと、どう考えても「戦後」なんだろうね。
「戦前」つまり、大日本帝国憲法下において、日本は神道つまり、「天皇の国」だった。
だから、「国体」(国家の成り立ちに従って、主権の所在に伝統を含めて、考えた世事的な国ぶり)と言うものがきちんと確立していて、良くも悪くも子供の頃から宗教的な思想が教え込まれていたんだと思うのです。
そういう子供たちが大人になって子供が生まれても、擦り込まれたDNAは脈々と受け継がれていくわで、何より昔は国体に逆らったら、生きていくこと自体が難しかったんだろうと思う。
太平洋戦争に負けて、戦後「日本」という国は自由の国「アメリカ」のDNAを注入されて、そうした武骨な「武士道」の精神みたいなものがどんどんと骨抜きにされていってしまったんではないだろうか?
多少なりとも戦前のDNAのエッセンスが残っていた昭和20年~30年代生まれの「団塊世代」その子供である「団塊ジュニア世代」までは辛うじて、DNAのかけらが残留していたのかもしれないが、今の世代まではさすがに継承が出来なかったように思う。
今でも、欧州や米国はキリスト教、アラブやインドネシアはイスラム教、インドはヒンズー教、韓国は儒教の国といった具合に宗教を根底とした人間教育の基盤みたいなものは、残っているんだと思うのです。
それと無宗教の我が国を比較したら、その国家の品格の差とは大きいのではないのかな?
いまさら、「アナタハ カミヲ シンジマスカ?」と言い出したところで、何がどう変わると言う分けではないかもしれないけれど、このまま放って置いたら「紙」よりも薄っぺらいモラルの国民だらけの国になってしまうような気がしてならない。
このブログを読んでくれている人には伝わると思うのですが、
モラルも超幼の序も目の前で起きていることに対して、あなたは人としてどう思うのか?
そして、それをどう感じとり、どう行動するのがベターでありベストなのか?
それが出来ればたぶん、「宗教」も「国体」に頼らなくとも、日本といく国はまだまだ捨てたもんじゃあ
ないはずです。何より東日本大震災の被災地の方たちのスマートな行動がそれを物語っている。
こんな時は、聖徳太子の十七条の憲法の第一条をもう一度、思い出してみましょう。
「和を以て貴しとなす」
今の時代に「聖徳太子」Come back !(-_-;)